昭和末期の1988年3月18日、名古屋市内の住宅で臨月の妊婦が首を絞められ、腹を切り裂かれて死亡する事件が発生した。切り裂かれた腹の中には電話の受話器とミッキーマウスの人形の付いたキーホルダーが押し込められていた。俗に言う「名古屋妊婦切り裂き事件」である。中にいた胎児は一命を取り留め、また、愛知県警が4万人もの捜査員を動員したものの、ついに犯人を逮捕できずに時効を迎えたことでも注目された。時に「史上最悪の未解決猟奇事件」と呼ばれることもある。
被害女性をA子さん、その夫をB男さんとする。【前編】では事件の詳細を記した。当初、顔見知りの犯行が疑われたものの、ある証言から捜査は別の展開をみせる。【後編】では、困難を極めた捜査と、悲劇の子どもの“その後”を詳述する。
【前後編の後編】
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【写真を見る】腹を切り裂かれた妻の遺影と、葬儀で涙ながらに挨拶する夫
その証言とは、A子さんB男さん夫妻の住んでいた名古屋市中川区のアパート2階の、階下の部屋の主婦からもたらされた。
「(当日の)午後3時過ぎだったと思います。突然、“ガチャガチャ”と玄関のドアノブが回される音がして、しばらくするとチャイムが鳴ったんです。怖いから、ドアを半開きに開けました。30歳前後のサラリーマン風の男性が立っていて“ナカムラさんのお宅を知りませんか”と聞くんです。近所にナカムラさんなんていないし、ナカムラなんてとってつけたようでしょう。気味悪いから“知りません”と答え、すぐにドアを閉めました」(「新潮45」1999年10月号より)。その男は「丸顔」で「小太り」だったという。
他にも、死亡推定時間の前後、アパートの周辺をうろつく男がいたことや、エンジンをかけっ放しにした自動車が駐車場に停められていたことが聞き込みから浮かび上がってきた。
こうした証言が上がってきたことから、捜査本部は「流し」の犯行を疑うようになった。現場からは凶器が発見されず、指紋は綺麗に拭き取られ、台所には血を洗い流した形跡まであった。現場に残ったのは25センチの靴の足跡くらいで、手慣れた者による犯行とみられる。また、A子さんの財布とクレジットカードもなくなっていた。
これらを総合し、30代、「丸顔」「小太り」の異常性格者が物盗り目的でアパートに入り、A子さんを殺害。その後、もともと持っていた異常な性格が目覚めてしまった――そんな見立てを取ったのだ。
愛知県警の威信をかけた捜査が始まった。関西一円にまで範囲を広げ、不審者1000人をリストアップ。その中で30人が有力な容疑者として浮かんだ。しかし、聴取したところ、当日のアリバイがあり、捜査線上から消えたという。犯人が現場に残した唯一の物証である足跡も、靴が大手メーカーの模造品であることがわかり、犯人に辿り着くことは出来なかった。
なぜお腹に電話の受話器とミッキーマウスの人形が付いたキーホルダーを押し込んだのか。その謎も解けないままだった。
当時は殺人罪には時効制度が存在し、期間は15年。刻刻と時が過ぎていく中、警察は焦燥感に駆られていった。「話したくない」「こんなことをするのは、あの宮崎(勤・幼女連続事件の元死刑囚)のような奴に決まっている」…当時の雑誌には捜査に当たった県警中川署による、そんなコメントが載っている。
捜査の動きが止まるのとは対照的に、一命を取り留めた子どもはすくすくと育っていった。
遺族はこの子に、事件のことは知らせていないという。
12歳の時に「週刊朝日」(2000年12月22日号)で母方の祖母が証言したところによれば、孫はスイミングスクールに通い、空手も習っている。「あの子が小さいころは、家族がお母さんの写真も見せないようにしていたようです」。小学校低学年の頃、祖母が家族写真の中の母の顔を指さし、「これ、だあれ?」と問うと、孫は「お父さんの会社のお姉ちゃん」と答えたという。
2001年の「週刊文春」(8月16・23日合併号)によれば、子どもは13歳の当時で、父親と変わらぬ背丈まで成長していたという。父親は取材にこう答えている。
「子どもが物心つく頃から“お母さんはお前の誕生日に亡くなったんだよ”と教えています。息子もなぜ母親が亡くなったのかは私に聞きません。わかっているけれども、あえて私に聞かないかもしれない。もしそうだとすればせつないです。将来事件のことを息子に聞かれても私は教えないと思う」。
実は父と息子はその2年前、ハワイに転居していた。
「新たな人生をスタートさせようと、移り住んだのです。今はただ、どこかに潜んでいる犯人が捕まることだけを望んでいます」
その2年後の2003年、発生から15年が経過し、事件は時効を迎えた。投入した捜査員は延べ4万人。しかし、容疑者の特定には至らなかった。
中川署はこうコメントした。
「力を尽くしたが、逮捕に至らなかったのは大変残念。犯人の海外逃亡などによる時効の中断も視野に入れ、今後も情報提供があれば受け付けたい」
当時の新聞には、「丸顔の男が犯人」「捜査の範囲が広くなり、容疑者の割り出しに至らなかった」との捜査幹部のコメントが掲載された。
「女性セブン」2003年4月10日号では、母方の祖父が悔しさを露わにしている。
「時効が来たとはいえ、犯人は、自分の犯した罪の重荷を一生、背負っていくことになります。こういう事件を犯しても平気で生きているような人間だからこそ、娘を殺害したのでしょうし。そう考えると本当に悔しいんです」
孫については、
「こんな不幸はもういい。せめて孫だけは幸せになってほしいと思うしかありません。B男さんも向こう(=ハワイ)で新たに所帯を持ったと聞きました。孫が成人を迎えたとき、事件について話をしたいということでした」
以来、22年。この子は37歳になっている。母の死の真相を知っただろうか。そして影を潜めた犯人は、今なお、ほくそ笑んでいるのだろうか。いつ再びその獣性が蘇ってもおかしくない。最悪の結末に終わった史上稀に見る猟奇事件。現場では、アパートが当時の姿のまま建っているという。
【前編】では、臨月の妊婦の腹を切り裂き、中に異物を押し込むという、おぞまし過ぎる事件の詳細を記している。
デイリー新潮編集部