なぜ今「高校生のキス離れ」が起きているのか…若者を恋愛から遠ざけた本当の原因と”十数年後に起きること”

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

「高校生のキスや性交の経験が大幅に減少した一方、自慰は過去最高水準となった」
――そんなニュースが波紋を呼んでいた。
2月14日はバレンタインデー。学校生活では盛り上がるイベントの一つだが、近頃は果たしてどうだろうか。
Yahoo!ニュース「高校生男子のキスは過去最低、性交は18年前の約半分――変化の理由を学生たちが自己分析すると?」(2024年2月13日)より引用
いまの中高生は男女とも性的な行動に関してはきわめて自制的で、潔癖になっているといえる。その原因や背景について上掲の記事では「モテることがステータスではなくなってきている(むしろ部活や課外活動を熱心にやっているほうがステータスと見なされる)」という当事者からの意見が出されていた。この意見は私が実際に中高生から聞いた話とも完全に一致している。
いまどきの中高生はいわゆる「恋愛力」の高さが、必ずしも同世代内における「イケてる度」とは強く結びつかなくなってきている。むしろ逆に「恋愛のことばかり気にしている人はかえってダサいしキモい」といった人もいる。念のため言っておくがそれは「酸っぱいブドウ」ではない。かれらの価値基準において「恋愛力」のプライオリティが本当に下がってきているのである。
「イケてる度」の決定因子の変化のほかにも、近年の娯楽の多様化や社会全体の倫理化といった原因も挙げられるだろう。とくに男子にとっては恋愛や性交渉にコミットすることのリスク・リターンが、社会から提供されアクセス可能な他の娯楽コンテンツと比較したときに割に合わなくなってきているのもある。恋愛やセックスの倫理的コンフリクト、そして不同意性交やハラスメントの加害者になるリスク意識の高まりを彼らだって知らないわけではない。その問題については、これまでもプレジデントオンラインで論じてきた。
「女性を傷つけてはいけない」という社会倫理と「恋愛は女性に対してグイグイ侵襲的な態度が必要である」という恋愛テクニック――その二律背反を突きつけられた年頃の男子には、「そうまでして恋愛したくない」という意識が植えつけられる。
しかしながら、こうした背景分析は「若者の恋愛離れ」の全体的なトレンドを説明することはできるとしても、冒頭の記事で示されているようなここ数年に起こった「急降下」の原因については十分に芯をとらえきれていない。
そして思うに、おそらくその原因は「コロナ」にある。
より厳密にいえば、新型コロナウイルス感染症の拡大に端を発して、全社会的に開始された「新しい生活様式」や「外出自粛」のムードとともに多感な中学生の時分を過ごしたことが、かれらが高校生に差し掛かって、さながら遅効性の毒のように効いてきたということだ。
キスや性交などの異性経験が急落している現役の高校生たちは、中学時代にコロナ騒動(新しい生活様式や外出自粛)が重なった「コロナ直撃世代」ということになる。世の中はまだそこまで強い関心を向けていないようだが、かれらの中学時代の日々が「新しい生活様式」一色で抑圧的な形に染め上げられてしまったことは、かれらだけでなく社会全体にとっても大きな禍根を残していたことが後になって明らかになるだろう。
覚えている人も多いだろうが、「コロナ直撃世代」であるかれらの“コロナ禍”とともにあった学校生活の日々は、あまりにも気の毒なものだった。部活動はもちろん各種学校行事も中止もしくは「リモート」で開催され、給食は当然のごとく席を離して沈黙しながらで、課外活動をしようにも外に遊びに行こうにもどこにも行く当てがない。そもそも学校も遠出を禁止していた――そういう状況で卒業まで過ごしてきた人びとである。
そしてなにより中学生という、心身ともに成長していよいよ他者(異性)を意識しはじめる微妙な年頃にさしかかったそのタイミングで、かれらは大人世代とくらべて十分に異性との交流経験を積むことができなかった。「学校外での(異性交流がともなう)イベントや遊び」はいつの時代でもいわゆる「恋愛強者」だけがもっぱらやっていたことだったから百歩譲ってまだしも、問題は学校内のイベントだ。異性とのコミュニケーションや接触が生まれる学内行事が「感染対策」の名目でもろとも失われてしまったことがなによりも大きな禍根を残した。
学内行事・学内イベントというのは、世の中の雰囲気や校則や倫理観に背いてでも外に繰り出して異性交遊できる少数の「恋愛強者」のためにあるのではない。概して奥手で引っ込み思案でムッツリスケベなそのまま行けばほぼ確実に「恋愛弱者」になってしまうこと請け合いのその他大勢のためにこそあった。かれら「恋愛弱者」予備軍に予行演習的に最低限の経験値を積ませるためにこそ重要な役割を果たしていたのだ。
だがかれらは、一番大事なときにその基礎経験を積めなかった。
「コロナ直撃世代」は中学生~高校生という、大人になりつつあるがまだ子どもを脱し切れていない「あどけなさ」の余韻によってまだ異性と接することに心理的ハードルを強く感じなくて済むギリギリの時期、いわば最後のボーナスステージのときに十分な経験値を得られなかった。
「コロナ直撃世代」が結婚適齢期になるのはあと10年後くらいだろうが、そのときに私たちは「コロナ騒ぎ」がもたらしたもうひとつの負の遺産に気づくことになる。かれらが結婚・出産適齢期になったとき、かれらは上の世代よりもさらに結婚もせず産みもしないことが浮き彫りになるはずだ。
キスしない、性交しない、そういうセクシャルな話題自体に関心が薄い、興味はある層もどうしたらいいのか具体的な手続きがわからない。だからとりあえず自慰する――こうした統計データが物語る現状は、まさにかれらが基礎的な経験を逸してきたことを強く示唆している。
性的経験についてはおそらく「二極化」が加速していく。
実際のところ、コロナ騒動は恋愛強者にはあまり影響はなかったのだろう。たとえ世間が「うちで踊ろう」などと言っていても、恋愛強者の人びとは表面的にはそのようなムードに従っていたフリをしつつ、ちゃっかり外に出て意中の相手と“濃厚接触”していたからだ。
コロナ騒動が芯から効いてしまったのは恋愛強者ではないその他大勢の平凡な人びとに対してだ。これまでの時代には第三者があれこれお膳立てして「異性交流イベント」を半ば強制参加で用意してくれていたからこそ、どうにか他者や異性とコミュニケーションの機会や経験が担保されていたような人びと(つまりそれは平均的な少年少女のほとんどが該当する)は、コロナ騒動によってエアポケットに堕ちてしまう格好となった。
かれらは恋愛弱者どころか、恋愛疎外者になってしまった。
ただでさえ社会が高度に倫理化して、ハラスメント意識や人権意識がアップデートして、異性交流が法的にも社会的にもハイリスク化して、疑似恋愛・擬似的承認が得られる娯楽コンテンツが隆盛を迎え、若い世代にとっての「自由恋愛」の訴求性が相対的に右肩下がりだったところに、追い打ちとばかりに「コロナ騒動」が直撃してしまったのだ。キスやセックスどころか、異性とのコミュニケーションのための「基本セット」を持たないかれらがやがて妙齢になったころ、国や自治体は彼・彼女たちの“草食”っぷりに度肝を抜かれることになる。
国や自治体は大慌てで対策を講じ、年頃の彼・彼女たちを出会わせるキャンペーンを展開するなど頑張るだろうが、はっきり言ってそのときにはもう手遅れになる。かれらを強制的にパーティー会場に放り込んでも、お互いもじもじして終わる。かれらは「出会いがない」から恋愛や結婚に消極的なのではなく「性的に成就することを目指すためのコミュニケーションモード」がもとよりインストールされていないから異性とかかわろうとしない(できない)のだ。
基礎的手続きのインストールの機会を奪ってしまったのは十数年前の自分たちだったのだと、そのときになってようやく世間は気づく。
「他者(異性)」を経験するべき時機に経験できなかったこと、かれらからその基礎経験や機会を私たち大人の都合で奪い去ってしまったことは、遅くとも十数年後には「コロナ直撃世代」の恋愛や結婚や出産にまつわる悲惨な統計という形で“答え合わせ”がなされるだろう。
子どもたちの体験や経験や機会を「感染対策」の名目で著しく制限した「コロナ騒ぎ」さえなければ、恋愛や結婚は大得意というほどではないけどとりあえず最低限のリテラシーを持ち合わせている人にはできたかもしれないのに、私たちはそうなる道を選択しなかった。
語弊をおそれず言い換えるなら、それほど恋愛強者でもないごくごく平凡な彼・彼女らが出会い、結婚し、そうして生まれるはずだった未来の子どもたち――そんな未来の可能性を切り捨ててまで私たちが必死に守ったのは80歳台(≒新型コロナウイルス感染症による平均死亡年齢)の人びとの命だったともいえる。
私は「中高生がとんでもなく恋愛アレルギーになっている!」とか「最近の新入社員のコミュニケーションがなんか奇妙だ!」と、まるで災厄のように語るニュースも、それを他人事のように眺めるオーディエンスの態度もあまり好きではない。かれらがそういう姿になってしまったことには、私たちが起こした「コロナ騒ぎ」が確実につながっている側面があるからだ。かれらは、なりたくてそんな風になったわけではない。私たちがそうなるよう変えてしまったのだ。
———-御田寺 圭(みたてら・けい)文筆家・ラジオパーソナリティー会社員として働くかたわら、「テラケイ」「白饅頭」名義でインターネットを中心に、家族・労働・人間関係などをはじめとする広範な社会問題についての言論活動を行う。「SYNODOS(シノドス)」などに寄稿。「note」での連載をまとめた初の著作『矛盾社会序説』(イースト・プレス)を2018年11月に刊行。近著に『ただしさに殺されないために』(大和書房)。「白饅頭note」はこちら。———-
(文筆家・ラジオパーソナリティー 御田寺 圭)

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

SNSでもご購読できます。