前の記事『【床下収納から遺体が】さいたま市義母殺害事件・母の不在に家族が「1週間気付かなかった」衝撃の理由』では、義母を手にかけた被告の「衝撃の隠蔽工作」を取り上げた。
’25年1月29日からさいたま地裁で、同居する義母を殺害し、その死体を遺棄したとして殺人と死体遺棄の罪に問われている渡辺美智子(55)被告の裁判員裁判が開かれている。30日には渡辺被告の被告人質問が行われたが、一時休廷となる事態となった。
被告人質問に先立ち、弁護人が証拠を提出。まずは自宅リビングの壁など、あちこちに貼ってあった張り紙の写真を提出した。
そこには、「この家の主婦・美智子(渡辺被告)は面倒くさがりで、義母から言われていることができない」「毎日、毎日、うそだけはつく」などと書かれていた。続いて、義母のスマートフォンに録音されていたという事件の4日前の渡辺被告と義母の会話を、弁護人が法廷内で流した。
「全部、嘘か、150(万)、もらってねえんだな、ん?」
「なんで黙ってる、出ていけ、鍵を置いて出ていけ」
義母の責めるような音声が法廷に流れると、渡辺被告の顔が真っ赤になり、目をつむって泣きながら、痙攣するように震えだした。
江見健一裁判長が「被告人、大丈夫ですか?」と尋ねると、「大丈夫です」と答えるものの、震えは止まらない。検察官が「あなたの伝えたいことはちゃんと(弁護士の)先生が伝えてくれるから。先生を信頼して、少し休みましょう」と説得にあたり、一時休廷となった。
1時間ほどの休廷を挟んで、被告人質問が行われた。まず弁護人が「渡辺被告の1日のスケジュールを教えてください」と質問した。
「毎朝、遅くとも5時くらいには起きて、まず猫の世話をします。それから雨戸を開けて、花に水をあげて、仏壇にお供えしてから、家族の食事の準備をします。その後、夫と(夫の)下の妹のお弁当を詰めます。下の妹のお弁当は義母から『誰かと食べるときに見栄えが悪くないよう、緑・黄・赤の三原色を入れなさい』と指示されていました。
その後、掃除や洗濯をします。そして毎日21時に、指示通りに家事をしましたということを書いた紙を持って義母の部屋に『おやすみなさい』の挨拶をしに行くのが日課でした」
家事について細かく指示が出ており、また、家族が何時に帰ってきたかを義母にLINEで報告する義務もあったという。
そして、事件を起こすきっかけとなった義母との金銭トラブルに質問が及んだ。まず、’18年8月21日に実母から142万円が送金されている件について聞かれると、渡辺被告はこう答えた。
「『毎月1万円ずつ預かっていたお金を使いこんでしまったから、穴埋めをしないといけない』という義母の台本のまま、母に伝えました。送金された金は私が下ろして、義母に渡しました」
’18年11月2日に実母から150万円を受け取った際のことについては、こう説明した。
「『私がストーカーをして、相手の奥さんに慰謝料300万円を払わないといけない』という台本で母に連絡して、新潟駅で150万を受け取りました。母には『これが限界』と言われてしまいました。埼玉の家に帰ると、義母が玄関で立って待っていて、鞄の中身をチェックして、150万は義母のところに行きました。
しかし、台本では(必要な金額は)300万。実際に持って帰ったのが150万。『こちらが言ってる金額と違う。実家に電話しなさい』と言われ、その日のうちに『残りを出してほしい』と実家に電話したのです。そして、11月3日に50万、2日後に150万が送金され、合計200万を義母に渡しました」(渡辺被告)
その後も実母からの送金は続き、’21年6月までにその総額は770万円を超えたという。弁護人が「義母は何にお金を使っていたのですか?」と質問すると、こう答えた。
「義母はあちこちのパチンコ屋に出入りしていたので、パチンコに使ったのだと思う。また、急にどこどこに(旅行に)行こうと言い出したこともありました」
’21年8月に実母が亡くなったことで、嘘の台本に基づく送金は終わった。しかし、’23年3月頃から、義母は「150万、出せ」と執拗に迫るようになったという。
この150万は、’18年に11月2日に新潟駅で受け取るはずだった300万の残金の150万を指しており、「持ってない」と何度言っても聞き入れられず、暴力を振るわれることもあったと渡辺被告は証言した。
「他の人(家族)がいない時間になると、『150万を出せ。隠しているだろう』と言いながら、頭を殴ってきたり、耳を引っ張ったりされました。台所用洗剤を目にかけられたこともあります」(渡辺被告)
そんな毎日が続くなか、寝不足になり、手首や腕に原因不明の湿疹が出るようになった。そして’23年4月22日の8時15分頃、(夫の)下の妹が出勤して、リビングに誰もいなくなると、義母はまた「150万、出せ」と言いはじめた。それから起こったことを渡辺被告は涙を流しながら、こう証言した。
「『最後のチャンスだよ』という言葉を最後に、義母の言葉が聞き取れなくなりました。モヤがかかっているような状態で、意識がだんだんと遠くなっていく感じがしました。トイレに行って戻ってきた義母の『目をつむってるから出しな』という声が聞こえたとたん、私の中でブチっと音がして、そばにあったビニールひもを適当な長さに切り、椅子に座っていた義母の後ろからひもを回して首を絞めました。
義母が椅子から落ちたので、2~3回、『お母さん』と声をかけましたが、反応はありませんでした。顔から出血していたのでティッシュで血をふいて、義母の頭に袋をかぶせた後、服を引っ張って、床下収納のところまで連れていきました。ふたを開けて、プラスチックケースをどかして、義母を床下収納に入れた後、プラスチックケースが元通りに収まるように義母の体を動かしました。その後のことは、はっきりと覚えていません」
弁護人に「義母が死んだとわかったときの気持ちは?」と聞かれて、渡辺被告はこう答えている。
「どうしようという気持ちと、これでお金のことを言われないというホッとした気持ちが、半分半分でした」
検察官は渡辺被告が22日以降、義母に送るはずのLINEのメッセージを下の妹に送り、「お母さんに送るはずが(笑)」と続けたことについて、「義母が生きてるように見せる、偽装工作じゃないんですか?」と質問したが、「そんなLINE、初めて知りました」と答えている。
殺害後も、義母にLINEでメッセージを送り続けたことについて検察官に聞かれると、「1日のルーティンなので」と答えるなど、「殺害を隠蔽しようとしたのではないか」という質問は否認した。
2月12日に下された判決は懲役7年(求刑・懲役10年)というものだった。裁判長からは遺体を床下に遺棄したことについて「被害者への配慮のなさ」を指摘された渡辺被告。これから、自らの犯した罪と向き合う長い日々が始まる。
取材・文:中平良