【平野 国美】看取り医がみた…膵臓がんの痛みでパニックを起こす72歳男性が「こっそり身につけていた」赤いブラジャーの意味

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かつての日本の終末医療は、「医者任せ」のことが多かった。一方でこと令和においては、患者本人の意志が尊重される。良くも悪くも寿命が伸び続けるなか、介護を取り巻く環境は目まぐるしく変わり続けている。
6000人以上の患者とその家族に出会い、2700人以上の最期に立ち会った看取りの医者・平野国美氏が、理想の最期を夢みるなか、生と死の狭間に立ち、揺れ動いていく患者たちのいまをリポートする。
北山裕一郎さん(仮名・72歳)は膵臓がんの末期である。
有名大学を卒業し、順調に会社で出世して定年まで勤め上げたようだ。妻子はいたようだが別居中。キーパーソンの連絡先には友人の名前が記入されていた。理由は不明。彼は、多くを語らない。古い賃貸マンションで独り住まいを続けている。
月に2回の診察を行って3ヵ月ほどが経過した。ここまでは特に症状の悪化もなく無事に過ぎしてきたが、さすがに食欲の低下や窶れ(やつれ)が見え始めてきた。
ケアマネがついているものの、ヘルパーや訪問入浴サービスは入っていない。北山さんは私の診察以外、医療従事者を自宅に入れようとしない。自宅で最期を迎えるつもりなのか、ホスピスで療養するつもりなのか、意思がみえてこない。何度となく、これからの療養に関して話し合いをしようとしたが、断られていた。
膵臓がんは進行すると、膵臓周辺の組織や神経が圧迫されて焼けつくような痛みが生じてくる。終末期に自宅で穏やかな生活を送るためには、医師が処方する痛み止めの薬が必須で、自分の最期をどうするかは先送りし、ひとまずは私のような医者をしぶしぶ受け入れているようにも感じた。
診察も決して私を寝室には入れず、玄関から上がったところにあるキッチンで椅子に座り受けていた。
北山さんは72歳でまだ若い。自分の運命を受け入れがたい気持ちも理解できる。国内の病院で行われた統計では、死亡前の治療において、患者の意思決定が必要に迫られているなか、約70%の患者が「意思決定が不可能な状態」だったという報告もあるくらいだ。未来の私も彼と同じように決められないまま、時間だけが過ぎていく気がしている。
とはいえ、いつまでも先送りはできない。早急に、少なくともどこで人生の最期を迎えるかだけでも決めておく必要がある。
そんなある冬の晩、私の携帯電話が鳴りだし、「痛みがどうしようもない」と北山さんから深夜に往診の依頼があった。通いなれた古い賃貸マンションの部屋のドアの前まで辿り着きチャイムを鳴らすと、中から呻き声が聞こえた。鍵がかかっていないドアをあけて部屋に上がり込み、キッチンの奧にある彼の寝室に繋がるふすまを開けた。
部屋は真っ暗だった。遮光カーテンが道路を照らす街灯の光まで完全に遮っていた。キッチンの窓から入り込む弱々しい月明かりだけが頼りで、部屋のスイッチがどこにあるかもわからない。
「灯りはつけないで」
手探りで壁をさわりスイッチを探そうとすると、強い口調で無茶なことを言われた。とはいえ患者の要望なので、灯りは諦める。
「北山さん、平野です。痛みますか?」
声をかけて、彼の眠るベッドの脇に膝立ちすると、私から顔を背けながら、「お腹の痛みがとまらず、背中が焼けるように痛いです…」と言った。
「わかりました。少しお腹を触らせてもらいますね」
布団をめくると、カカオの匂いにも似た、甘い香水の香りが空を舞った。
手探りで北山さんの腰に手をやり、パジャマを捲ると、北山さんの身体がびくりと硬直し、パジャマの裾を拒むように押さえて、
「大丈夫ですっ。もう先生にいただいた薬で落ち着きましたから。少し痛みが出てきて焦ってしまったのかもしれません。すみませんでした」
そう言って私の手を払いのけた。方針を変更し、パジャマの上から腹部を触診したが、それほど痛がる気配はなかった。本当に薬が効いてきたのだろうか?
が、呼吸は荒い。過換気状態になっているように感じる。指先で酸素飽和度を測ってみるため、北山さんの手を取った。数値は100%、やはり過換気の傾向にあった。でも、それ以上にきれいな爪だったことに目が釘付けになった。
マニキュアが施されていることが薄暗いこの部屋でもわかったからだ。
ここらへんで私も察した。慣れた目で冷静に周囲を見渡せば、水差しの置いた小テーブルには女性用のウィッグがおかれ、壁にかけられたハンガーには女性の服が吊るされている。
先入観で、同居していない奧さん、あるいは内縁の女性のものかとばかり考えていたが、これは北山さんが使っているものだと思われた。
私から顔を背けているのも、私を信用していないのではなく、化粧をしているからなのかもしれない。
北山さんは私に「秘密を知られた」ことを察したのだろう。「聴診させてください」と言ったら、今度は抵抗しなかった。
ただ私もパジャマの第三ボタンまで開いたところで指を止めて、聴診器を当てずに終わらせることにした。赤いブラジャーがみえてしまったからだ。もしかしたらこの存在は私に知られたくないかもしれない。気づかないふりをしよう…そんな配慮の行動だった。あらためて尋ねてみた。
「痛みは、どうですか?」
「落ち着いたようです。初めてのことで、今後のことを考えると、どうしたら良いのかとパニックになったのかもしれません」
「しばらく痛み止めを一日3回、飲むようにしましょうか。それで、駄目なら別な方法を考えます」
そう伝えると、彼は布団の中で頷いた。
アパートのドアを閉めようとすると、背中に声をかけられ、こう頼まれた。
「また、診察に来てもらえますか?」
もしかしたら女装がバレたことで、私が診察を拒否するかも?と誤解したのかもしれない。
「私でよければ参ります。いつでも呼んでください」と答えて、車のエンジンをかけて帰路に就いた。
運転しながら思いを巡らせた。これまでさまざまな患者と出会ってきたが、女性用の下着を身に着け、メイクする男性患者は初めてだった。
北山さんのそれは女装癖なのか、それともLGBTのどこかに分類されるのか、どちらなのかも分からない。分かったところで、どう対応すれば正解なのかも想像がつかない。
男性として接するべきなのか、女性として接するべきなのか――。
いずれにしても、末期の膵臓がんである北山さんに残された時間は少ないと思われる。次の診察では、人生の最期に何を望むのか、膝を突き合わせて話し合おうと考えながら、車を走らせた。
つづく後編記事「「最期は“本当の自分”に戻りたかった」…女装する末期がんの72歳男性患者が看取り医に伝えた「人生最後のわがまま」」では、北山さんがはじめて明かした本音をリポートします。
「最期は“本当の自分”に戻りたかった」…女装する末期がんの72歳男性患者が看取り医に伝えた「人生最後のわがまま」

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