高田馬場のラーメン店「渡なべ」の店主・渡辺樹庵さん。「渡なべ」や「神保町 可以」などを手掛ける、ラーメン業界の有名人だ。しかし、今も彼を突き動かすのは「好き」という気持ちだ(筆者撮影)
東京・高田馬場にあるラーメン店「渡なべ」。
早稲田通りと明治通りのぶつかる馬場口交差点の近くで、JR高田馬場駅から徒歩10分、東京メトロ西早稲田駅から徒歩4分の場所にある。
2002年4月創業で東京のラーメンシーンを20年以上牽引する老舗だ。濃厚豚骨魚介のパイオニアとして知られ、その後の豚骨魚介ブームに大きな影響を与えた。
高田馬場にある「渡なべ」の外観(筆者撮影)
店主の渡辺樹庵さんは全国のラーメン店を1万店舗以上も食べ歩くラーメンフリークとしても知られる。
【画像9枚】美味しそうすぎる…1ヶ月限定で提供された「渡なべの味噌らーめん」。レギュラーメニュー「味玉らーめん」も
樹庵さんは自分のことを「ラヲタ」(「ラーメンヲタク」の略)と呼ぶ。高校時代からラーメン作りを始め、大学時代にはラーメン店のプロデュースも行う。そんな樹庵さんが満を持してオープンしたお店が「渡なべ」だった。
そんな「渡なべ」が創業から22年経った昨年12月に過去最高の売り上げを叩き出したという。これは本当にすごいことだ。
老舗といえど、普通ならば安定した売り上げは上げられても、なかなかそこからジャンプアップすることは難しい。一体どんな努力があったのか、店主の樹庵さんを取材した。
こちらは「渡なべ」のレギュラーメニュー「味玉らーめん」(筆者撮影)
「渡なべ」は創業当初から通常のメニューのほかに「限定ラーメン」を提供している。
創業前からもともといろんなラーメンを作っていて、レシピがすでにいくつもあったので、それを限定として提供していた。売り上げや集客に困ったわけではなく、自分が作りたくて始めたのがきっかけだった。
定休日には「お遊びラーメン」といって限定ラーメンのみで営業している時もあった。常に「新しいものを作りたい」という欲求があり、それを限定ラーメンで表現していたのだという。
「お客さんに望まれているから作っているということは特になく、あくまで自分が作りたいから作るスタンスでした。地方に食べ歩きに行って刺激を受けたり、都内の食べ歩きの中からヒントを見つけて作ったりすることもあります」(樹庵さん)
もともとは月1回ぐらいのペースで限定ラーメンを出し、1~2週間提供していた。
初日に40~50杯出て、その後少しずつ杯数が落ちて20~30杯になるというペースだった。全体で1日大体100~120杯出るので、限定ラーメンの割合は2~3割だった。
その中でも横浜家系ラーメンや富山ブラックは大ヒットし、初日から100杯以上出ることもあった。
2025年お正月の限定ラーメン「渡なべの味噌らーめん」(筆者撮影)
その後、コロナの時期から明確に限定ラーメンの頻度を上げた。
コロナで緊急事態宣言が出るなどしてお客さんの数が急激に減ってから、お客さんを取り戻すために限定ラーメンの頻度を上げていくことにしたのだ。次から次へと限定ラーメンを連発し、毎月何かしらの限定を提供するようにした。
「限定を連発してから出る杯数のベースが上がってきたんです。初日に100杯出るのが当たり前になってきて、その後落ちても50杯はキープできるようになりました。それに乗じて全体の売り上げも上がっていきました。
限定を常に用意するようになったので、それによって“限定ラーメンをやっている店”として認知されたのではないかなと思います」(樹庵さん)
すると、「渡なべ」がどんな限定ラーメンを出しても食べに来てくれる「限定ファン」が現れ、興味のある限定が出ている時だけ来てくれるお客さんも自ずと増えていった。
特に、限定ファンが何度もリピートして食べに来てくれるラーメンが大ヒットする傾向が出てきた。
渡辺樹庵さん(筆者撮影)
「渡なべ」の限定は視点が面白く、本気で作っていて美味しいという噂が広まっていく。ラーメン関係者の注目度が高いというのもポイントだ。ラヲタである樹庵さんが作る一杯だからこそ、関係者やラヲタに響くのだ。
限定用の食材を使ったり、その都度卓上調味料を入れ替えたりと他の店にはないこだわりを見せており、それがしっかりお客さんに伝わっている。
限定ラーメンが1日100杯出るお店というのは日本全国探してもそうそうない。一般的には20~30杯ぐらい出ればいいところだろう。「100」というのは1日の来店客数の目安にもなる数字。それを限定ラーメンだけで出してしまうというのはとんでもないことだ。
コロナ期間で樹庵さんのXのフォロワー数も増えた。限定ラーメンを頻繁に出しているので、その内容をチェックしに来る人が多かったことが推測される。これよりお店には新しいお客さんが増えていった。
「渡なべ」の看板(筆者撮影)
限定ラーメンが次々ヒットしていくことによって、反響に合わせてさらに本気度が増し、一杯一杯を作り込むようになった。
「限定ラーメンを常連客に飽きさせないためにだけ作っているお店は多いと思います。この場合は売り上げのアップは見込めません。こういったパターンであれば、どんなラーメンを作ってもいいとは思います。
ですが、いつもの売り上げにプラスしてお客さんを呼びたいのならば、本気の限定ラーメンを作る必要があると思います。普段、ラーメン屋で限定ラーメンを食べないという人でも食べたくなるような話題性を大事にしています」(樹庵さん)
2024年の限定ラーメンのラインナップを見ていこう。
1月 背脂チャッチャ(こってり、あっさり)2月 背脂チャッチャ(味噌)3月 札幌ブラック、札幌塩ラーメン、札幌味噌ラーメン4月 中華そば、ワンタンメン、もっと美味しい渡なべ5月 幻の渡なべ2024、すっごいよ豚骨6月 後期型六坊、つけめん、辛つけめん7月 豚骨ラーメン8月 大分佐伯ラーメン、ちゃんぽん9月 沖縄そば 元味、沖縄そば 新味10月 鶏と豚皮11月 京都風ラーメン12月 ちゃぶ屋1996
樹庵さんはいまだに、自分が作りたいラーメンを作っているだけだという。
一年中各地のラーメンを食べ回るラヲタとしての感度の高さが多くのラーメンファンに届いているのだろう。限定ラーメンのヒットを連発したことで、実績と信頼が作れたのではないかと樹庵さんは分析している。
長く続いているラーメン店であっても、一般的には売り上げは年々徐々に落ちていくものだ。
常連客のしっかりいるお店でも、お客さんの環境の変化で少しずつ客足は減っていくものである。売り上げを保ち続けるためには、必ず新規のお客さんを獲得しなければならない。
「渡なべ」は幸い「食べログ」で高田馬場エリアのラーメンで1位なので、新規のお客さんが来やすい環境ではあった。しかし、コロナ以降の限定の連発で明らかに売り上げのベースがアップしている。
「『渡なべ』は創業からも長いですし、皆さんに知ってもらえているラーメン屋ではあると思いますが、いまだに初めて食べに来てくれる人というのは必ずいます。
ここに来て売り上げが伸びていることを考えると、まだ『渡なべ』は売れてないのかもしれないと思いました。伸びしろはまだあるのかもしれないなと思うんです」(樹庵さん)
2024年12月の限定ラーメン「ちゃぶ屋1996」(※「渡なべ」提供)
2024年12月は、伝説のお店「ちゃぶ屋」の1996年の味を再現した「ちゃぶ屋1996」という限定ラーメンを提供した。
これが空前の大ヒットとなり、「渡なべ」は創業から22年経った昨年12月に過去最高の売り上げを叩き出した。最高で1日135杯を記録し、12月5日から31日の27日間、ペースを落とすことなく売れ続けた。
このラーメンには実はストーリーがあった。
樹庵さんは昨年8月に千葉県大網白里市にある「古民家ヌードゥル 黒揚羽森住」というラーメン店に食べに行った。このお店はもともと「ちゃぶ屋」を開いていた店主・森住康二さんが営むお店である。
森住さんはフレンチのコックとして10年間修業後、ラーメンの世界に転身し29歳で独立し、1996年に東京都荒川区新三河島に「柳麺 ちゃぶ屋」を開業した。2002年には「TVチャンピオン」のラーメン職人選手権で優勝。海外では『ミシュランガイド』の一つ星も獲得したこともあるレジェンドオブレジェンドである。
「黒揚羽森住」のお店の世界観と森住さんのラーメンに感動した樹庵さんは、家に帰って森住さんに自分のYouTubeにどうしても出演してほしいと思い、ダメ元でオファーをした。
すると森住さんは快諾してくれ、樹庵さんのYouTubeで森住さんのインタビューが配信された。ラーメン界のレジェンドである森住さんのインタビューが配信されたことで、筆者も含めたラーメンファンは皆驚いた。
20年ぐらい前はよくテレビに出ていた森住さんだったが、今の森住さんのラーメン観や当時の話が聞けたことは大変貴重だった。
その後、森住さんが「渡なべ」を訪れ、樹庵さんのラーメンを食べることになる。そこで樹庵さんはとんでもないことを思いつく。それは、当時の「ちゃぶ屋」の味を「渡なべ」の限定ラーメンで出せないかということだった。
「『ちゃぶ屋』の味を作りたいので、当時使っていた食材などヒントをいただけないかと森住さんにお願いしたところ、『昔のレシピを探してみるよ』と言われ、1996年当時の完全レシピを見せてくれたんです。『樹庵が作るなら完璧なものを出してほしい』という森住さんの思いを受け取りました」(樹庵さん)
もちろん森住さんの方が先輩だが、樹庵さんもれっきとしたベテランのラーメン職人。
当時はラーメン戦争のど真ん中を走っていた2人が、十数年の時を経て、遠かった距離が一気に近づいたと樹庵さんは感じたという。気づいたらお互いを認め合う関係になっていたのだ。
こうして、「ちゃぶ屋」の当時のラーメンを再現するまでのストーリーをYouTubeにアップし続け、これが12月の限定ラーメンとして発売されたのだ。
森住さんのYouTube登場から追い続けたラーメンファンがこぞってこの限定ラーメンを食べに来た。醤油と味噌を3回ずつ食べに来た限定ファンもいたという。
樹庵さんは今や毎日YouTubeをアップし続けるラーメンYouTuberだ。
「コロナの時期に暇だったから始めたYouTubeですが、今や自分にはなくてはならないものになりました。楽しくてやっているだけで今も無目的ですが、お店の集客にここまで影響が出るとは思っていませんでした。
もともと自分は『怖い』とか『冷たい』というイメージを持たれていたのですが、YouTubeを見て印象が変わったとよく言われます。
またYouTubeで初めて自分のことを知ったという人も多く、これで新たなお客さんの獲得にもつながっています」(樹庵さん)
大岡山にある「なるめん」の店主・道理さんと(画像:渡辺樹庵のここだけの話/YouTube)
限定ラーメンについてもYouTubeで語っている(画像:渡辺樹庵のここだけの話/YouTube)
もともとXやInstagramをやっていた樹庵さんだったが、YouTubeを始めたことでまったく違う層のファンと出会うことになる。2023年の年末からは毎日投稿するようになり、2024年は一日も投稿を欠かさなかった。
「YouTubeを始めたことにより自分の“楽しい”を共有できるようになりました。これを限定ラーメンにも表現していきます。目標は作らず楽しいことをやっているだけで、ビジネス臭を感じないところもいいのかもしれません(笑)。
自分が心底ラーメンが好きだということがYouTubeを通して伝わったのがよかったのかなと感じています」(樹庵さん)
樹庵さんのYouTubeからはラーメンに対する「好き感」や「本気度」が伝わってくる。時に辛辣な発言や厳しい言葉もあるが、根底にラーメンが大好きであることが滲み出ているのがいい。
ラーメン職人である前に自分がラヲタであることを公言しながら楽しくしゃべっている無邪気なYouTubeだ。
樹庵さんは限定ラーメンとYouTubeで自分の好きを突き詰め、その楽しさをファンに共有することで「渡なべ」で過去最高の売り上げを作り出した。
この動きは老舗ながら新しさがあり、飲食店の売り上げ向上や集客についての大きなヒントが詰まっている。
【拡大画像で見る】1ヶ月限定で提供された「渡なべの味噌らーめん」やレギュラーメニュー「味玉らーめん」はこちら
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(井手隊長 : ラーメンライター/ミュージシャン)