【Mr.tsubaking】妻を失い、舌癌を患って…50年以上、毎日「野外排泄」している男性の「波乱に満ちた半生」

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「きっかけは、1973年に起こった『し尿処理場建設反対運動』でした」
茨城県桜川市。ここに、職業・糞土師(ふんどし)の肩書きで生きる男性・伊沢正名氏(74歳)がいる。彼は50年以上に亘って「トイレでうんこをしない」という常軌を逸したルールを自らに課し、生活を送っている。
56歳までは菌類・隠花植物専門の写真家の肩書きを持っていたものの、現在はそれを辞め、自然界の循環型社会に人間も参加し、人と自然の共生社会を目指すための啓蒙と、自身の活動に関する著書の発表などで生活している伊沢氏。
誰しもひとつやふたつ「譲れないもの」はあるはずだが、彼はなぜ、50年以上に亘って「信念の野糞」を続けることになったのか。
本人を直撃すると、その人生は波乱に満ちていた。
現代人にしてみれば、トイレが見つからない場合の緊急避難として以外は野糞は避けたい。しかし、伊沢氏は長年に亘って積極的に“それ”を続けている。
その始まりは、冒頭で本人が語った、1973年に起きた住民運動が関係していた。
「当時は汲みとり式便所に溜まった排泄物をバキュームカーで処理場に運んでいた時代ですが、その処理場の建設予定地近くの住民たちが反対運動を起こしていた。ニュースで見て『自分の排泄物の処理を他の地域に押し付けている。なんて奴らだ』と思いました。
でも、考えてみれば私もトイレでうんこをしているので『私も、誰かに押し付ける加害者だ』と感じたのです。それから、特に汚いと扱われる大便をトイレですることができなくなっちゃったんですよ」
さらに、当時菌類の働きを知ったことも、活動の大きなきっかけになったという。
「きのこは、枯れ木や落ち葉・動物のフンや死骸を分解して土に還す。その養分で植物が育って森ができ、動物が生きられるという循環を生んでいます。そこから『排泄物を人間社会の中だけで処理しようとするから、ウンコを焼却処分して、その灰をコンクリートに固めて生き物社会に還さないのが問題』という考えに行き着いたわけです」
1974年1月1日、こうした思いを背景に今の生活が始まった。そこから50年以上で、現在(取材時)までに1万6593回もの野糞が続いている。
どれだけの強い思いがあっても、現代社会ではどこでも野外で排泄行為ができるわけではない。ロケーション選択はどのように行っているのだろう。
「私は茨城の田舎に住んでいるので、普段は困りません。だいたい近所にある林で地面に穴を掘ってそこにしていますし、自宅の庭も広いので緊急時などはそこでもできます」
しかし、いくら普段の生活圏では困らないとはいえ、野糞を通した考え方や自然哲学を伝える活動をしている事情から、都会や土地勘のない場所に出かけることも多いはずだ。
「本作り(出版)での打ち合わせや講演会などで都心に出て来た時も、なんとか場所を見つけています。都会でも、公園の植栽の影など、できる場所は意外とありますよ。もちろん、ティッシュではなく、きちんと土に還っていく落ち葉をストックしておき、それを使っています。毛の生えている葉が結構沢山あるのですが、紙以上に柔らかくてとても気持ちいいですよ。これを知ってしまうと、紙なんかでは拭きたくないですね」
本人はそう語るが、そもそも野糞は犯罪になる。その点についてはどう向き合っているのか。
「軽犯罪法に野糞は含まれます。ところが、『街路又は公園その他公衆の集合する場所で、たんつばを吐き、又は大小便をし、若しくはこれをさせた者』とある。まず、公衆の集合する場所とされているので、私が普段している林や山の中は含まれませんね。それに軽犯罪法は、高くても罰金9,999円までしか取られません。そのくらいのマナー違反を罰する軽い法ならば、食べて奪った命を地球に還して循環させることのほうがはるかに大事。私はそう信じて活動しています」
実は伊沢氏は51歳で結婚し、約10年間妻と共に生活をしていた過去を持つ。結婚当初、風変わりなライフスタイルを送る彼に対して、相手は何も言わなかったのだろうか?
「元妻と出会った時には私はすでに毎日野糞をしていましたし、彼女も自然関係の仕事をしていたので、私のライフスタイルに特に抵抗はなかったようです」
しかし、結婚生活はやがて破綻を迎えることになる。
「私は、野糞をダメだというような”人間社会の良識人”こそ、自然の成り立ちという視点から見れば非常識だと思っています。また、人権派も人間中心主義でしか言及しませんが、その外の自然界で生きている植物や動物に敬意を払うべきです。
そのため、私は良識人や人権派の人たちをよく批判するんです。そこが分かってもらえなかったようで、離婚の大きな原因になりました」
生き方に理解を示してくれても、考え方の相違は根深かったようだ。自身の信念によって妻までも失ってしまったのは驚くばかりである。
伊沢氏の人生に訪れた波乱は離婚ばかりではない。異変が起きたのは2015年のことだった。
「前年の秋から舌が痛くて、『口内炎でもできたかな』と思っていました。しかし、なかなか治らず、ある朝目が覚めると、枕が血で真っ赤に染まっていた。食べるのも話すのも困難になり、病院で診てもらったら、舌ガンのステージ3でした」
すぐにガンの治療方針について医師から説明を受けた伊沢氏。そこで、野糞の啓蒙活動と自分の命とを天秤にかける選択を迫られることになる。
「ガンの大きさが4センチあったので、お医者さんには『舌を半分切除する』と言われました。しかし、その頃私が最も大切にしていたのが講演会で野糞から生まれた糞土思想を伝える事だった。喋れなくなるのは致命的なので、手術は拒否しました」
家族ばかりでなく、自身の命までも賭す覚悟だったのだ。ところが、そんな伊沢氏の命を救った癌の治療法があった。
「その直後、放射線の出る針を患部に直接刺す『小線源治療』という、舌を切らなくて済む治療法があることを知ったのです。ただ、この方法が使えるのはステージ2までのガンなので、放射線や抗がん剤の治療でステージ2まで落としてから実施することになりました」
小線源治療のため、伊沢氏は9日間の入院を余儀なくされた。必然的にライフスタイルを変えなければいけない状況になったわけである。
「できる限りトイレでうんこをしないようにしてきましたが、この期間だけはどうにもならず、6回しました。これも含めて、この24年間でトイレを使用した排泄は17回だけです」
舌ガンの治療からすでに10年近く経過しているが、現在も口内炎のような痛みが続き、辛いものが食べられないだけでなく、最近歯がボロボロになり食べること自体が大変になった不自由さを抱えながら生きている伊沢氏。74歳という年齢もあり、今では死についての考えを巡らせる機会も増えてきたという。
「自分のことだけを考えていると、死ねば全て終わりになります。しかし、自分を命の循環の中にいる一員と考えれば、自分の死体が他の命の糧になるわけです。そこに、『しあわせな死』というのもあると思って、探求しているところです。野糞をしながら、今はそんなことを考えています」
離婚に癌と、人生の壁をいくつも乗り越えてきながらも、取材中は終始明るい様子だった伊沢氏。この幸福な雰囲気は、信念を貫いた生き方をしているからなのかもしれない。
後編記事『スズメバチに襲われ、サルに石を投げられたことも…50年以上「野外排泄」をして暮らす男性が驚いた「衝撃の瞬間」』では、50年にわたる野糞生活で遭遇した、様々なハプニングを紹介しよう。
<取材・文/Mr.tsubaking>
スズメバチに襲われ、サルに石を投げられたことも…50年以上「野外排泄」をして暮らす男性が驚いた「衝撃の瞬間」

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