〈19歳の“陽キャ”女子大生を惨殺した元バンドマン(33)のカメラから復元された「残酷すぎる」57枚の写真の中身〉から続く
2009年に発生した島根女子大生死体遺棄事件。警察は7年の歳月をかけて被疑者を矢野富栄(よしはる)と特定した。だが、矢野はすでに死亡していた。卑劣で小心な犯人は、どのような最期を迎えたのだろうか。
【当時の写真】警察庁長官がMさんの遺影に献花。Mさんの写真は笑顔だった
本件被害者のMさんの遺体が臥龍山の山頂付近で発見されたのが2009年11月6日。その夜、被疑者の矢野は勤め先の社長に「用事があるので、明日から2日間、代休がほしい」と申請していた。その「用事」とは、前年に亡くなった父親の墓参りに行くと告げていたとの証言もある。
そして11月8日の午後3時過ぎ、山口県美祢市の伊佐パーキングエリア付近、中国自動車道下り車線において単独事故を起こし、ガードレールに三度衝突。車は路側帯で炎上し、矢野は運転席で死亡し、同乗の母親は外に投げ出されて車外で死亡した。ともに焼死である。
現場にブレーキ痕やスリップ痕がなかったことから、矢野が自殺を図ったとの見方もある。父の墓前に手を合わせたのち、捜査の手が自分に及ぶ前に母親と無理心中した、と。
「墓参り」に行くという矢野の言葉を信じるなら、その可能性もあるだろう。ただ、11月に入ってからの矢野の足跡を追うと、不自然なほど頻繁に地元と勤務地を行き来している様子がうかがえるので、何かを画策していたのではないかという印象も抱く。
また、山口へと向かう下り線に母親が同乗していた点にも不自然さがある。実家に暮らす母の元を訪れて一緒に墓参りに行く、という状況とは違ったようだ。
なお、遺書が見つかっていないことから、警察は事故死と断定している。そもそも美祢インターチェンジ~伊佐パーキングエリア~美祢西インターチェンジの区間は、以前から“運転の難所”とされ、地元では事故多発地帯として有名だ。2013年10月5日には、タレントの桜塚やっくんもこの区間で事故死している。
2016年12月20日、島根・広島両県警合同捜査本部は被疑者死亡のまま松江地方検察庁へ書類送検し、翌2017年1月31日、松江地検は被疑者死亡で不起訴処分とした。
ちなみに2017年3月16日には、島根県警は被疑者に繋がる有力な情報を提供した3人に捜査特別報奨金として合計300万円を支払うことを発表した。しかしながら、実際にどのような情報が提供されたのか、その内容については公表を差し控えられた。
それにしても目撃証言の少なさを考えると、近い場所にバラバラにした遺体をまとめて遺棄せずに少しずつ処分していたら、この事件は完全に“迷宮入り”になっていた可能性が高い。
事件発生の2009年から、島根県益田市では可燃ごみを出す際には記名制になっていたので、遺体の処分方法が限定されていたことは推測できる。また、公開捜査が犯人を焦らせて遺体遺棄に向かわせ、それが結果として発見につながった……と考えることもできよう。
いずれにせよ、警察の執念が実るかたちで事件は解決に至ったのだが、それにしても7年の歳月は長い。再捜査からのスピード感を考えると、もっと早く前歴のある被疑者を洗い出すことはできなかったのだろうか。犯人が事故死していた事実は動かしようがないが、遺族が心を痛めた時間を考えると、やり切れない気持ちになる。
ともあれ、Nシステムや画像復元といった先端技術が、“未解決事件”を解決へと導くこともあるのだ。
(加山 竜司)