【全文】秋篠宮さま59歳誕生日を迎えての会見 成年迎えた悠仁さまへの思い、宮内庁のSNS発信や「バッシング情報」などについての考え示す

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秋篠宮さまは、きょう11月30日に59歳の誕生日を迎えられました。誕生日に先立ち、25日に行われた記者会見では、9月に18歳・成年を迎えられた悠仁さまへの思いや、宮内庁が始めたインスタグラムによる発信についての感想、インターネット上での「バッシング」ともとれる情報に対する考えなどについて率直に述べられました。全文で紹介します。(表記は宮内庁のまま)令和6年11月25日(月) 11:17~12:12 赤坂東邸にて

(問1)この1年を振り返り、国内外の出来事で印象に残ったことをお聞かせください。この1年、皇室では、妃殿下は一時期胃腸の不調を訴えられ、上皇后さまは10月に骨折し手術を受けられました。11月には三笠宮妃百合子さまが亡くなられました。妃殿下の現在のご体調と、上皇ご夫妻の最近のご様子、百合子さまが亡くなられたことへの受けとめについてご紹介ください。(記者)まずは国内外の出来事についてお願いいたします。(殿下)この1年いろいろなことがありましたが、私としてやはり一番強く印象に残っているのが元日に起こった能登半島の地震です。多くの人たちが亡くなり、その中には災害関連死の方も非常に多くおられ、またその地震によって多くの人たちが被災されました。その後、復旧に向けた努力が進んでいましたけれども、その最中、今度は9月に線状降水帯による大雨があって二重の災害になりました。これは非常に大きなことであり、亡くなられた方たちへの哀悼の意を表するとともに、被災された数多くの方たちへのお見舞いを申し述べたく思います。そして速やかな復旧を心から願っております。自然災害ということに言及しますと、やはり今年も数多くの自然災害がありました。先ほどの能登地域の豪雨もそうですけれども、それ以外にも、各地で大きい被害が出ています。そしてこれは国内に限ったことではもちろんなくて、海外でも起こっており、恐らく気候変動に伴うと考えられるものも多々あると思います。気候変動というのは今言われていることとしては、人間活動による影響というのが多分にあるとされています。この前もスペインで鉄砲水がありましたけれども、極端な気候に伴う災害が起こることを考えますと、やはり一人一人による努力というのも大変重要になってくるのではないかと思います。今年は世界的にも平均気温が最も高くなるという見通しが出ていますけれども、日本においても非常に暑い夏でした。統計が始まって以来、昨年と並んで最も暑い夏だったそうでありますし、また、熱中症によって救急搬送される人の数も非常に多いですし、熱中症で亡くなった人も多数おられます。やはりこの気候の変化というのを重視していく必要があるということを感じました。また、海外に目を転じますと、ロシアによるウクライナ侵攻が2022年から始まっていますけれども、2年以上経った今も続いています。また、中東の情勢で言えばパレスチナ武装勢力がイスラエルを攻撃して以来の双方による戦闘状態が続いており、これらでも多くの人たちが亡くなり、また困難な暮らしを余儀なくされていることを大変残念に思っております。あとこの1年のことで言いますと、ノーベル平和賞を日本原水爆被害者団体協議会が受賞しました。1956年に結成されて以来、核兵器のない世界を目指して活動されてきたこと、その団体がノーベル平和賞を受賞したことに深い感慨を覚えます。人々が安心して暮らせる平和な社会というのは皆が願っていることだと思います。それより少し前になりますけれども、今年はパリでオリンピックとパラリンピックが開催され、日本代表の選手も非常に多くの活躍をいたしました。私はその中でも特に印象に残っているものとして総合馬術のメダル獲得というのがあります。西竹一さんがロサンゼルスで開催されたオリンピックの時に金メダルを取って、西竹一さんとウラヌス号ですね、金メダルを取って以来の92年ぶりということで、多少なりとも馬術と関わったことがある者として大変喜ばしいことだったと思います。そのほかいろいろなことがありますが、奄美大島でマングースの根絶宣言、奄美大島でマングースがいなくなったという宣言が出されたことは、あそこの生態系を考える上で大変大きなことだったのではないかと思います。あれだけ広がっていたものを長年の努力で、もちろんマングースが悪いわけではないので、放した人間が悪いわけですけれども、それを根絶することができたというのは大きな成果だったと思います。一方で、人と野生生物の共存ということにも思いを致すことが時々ありました。シカやイノシシなど様々な影響が出ていますけれども、もう一つ、熊による被害は2023年、多く出ておりますね。やはり人へのリスクというのは最小限にしないと、なければないに越したことはないわけで、そこはすごく大事である一方で熊の捕殺頭数が2023年はものすごく多かった。9千頭ぐらいが捕殺されています。そのことを考えると、これはいろいろなことで言えると思いますけども、野生生物と人間がどういうふうに共存していく形がいいのかというのはより一層皆で考えていく必要があるのかなと感じております。以上でしょうか。(記者)そしてこの一年、皇室では妃殿下は一時期胃腸の不調を訴えられ、上皇后さまは10月に骨折し手術を受けられました。11月には三笠宮妃百合子さまが亡くなられました。妃殿下の現在のご体調と上皇ご夫妻の最近のご様子、百合子さまが亡くなられたことへの受け止めについてご紹介ください。(殿下)今月、三笠宮妃殿下が101歳で薨去されました。殿下と共に大変な御長寿であったわけですけれども、私は今年の1月にお目に掛かったのが多分最後で、また昨年の私の誕生日には、宮邸までお越しくださってお話をしたりいたしました。そのようなことからも大変寂しい気持ちであります。次に、上皇上皇后両陛下のことですけれども、上皇后陛下が骨折されました。私もそのことを聞いて非常に驚いており、早い御回復を願っておりました。その後、恐らく最初にお目に掛かったのが10月20日のお誕生日だと思います。その時は車椅子だったのですけれども、この前三笠宮妃殿下がお亡くなりになった後、お悔やみに仙洞御所に上がった時は杖をつかれてはいましたけれども、立って迎えてくださいました。私の印象ではとても回復が早いのではないかと思い、嬉しく思いました。また、上皇陛下とは、ここ1月半ぐらいの間に2回ぐらい、私が御用地の中を散歩している時に偶然お目に掛かるということがあり、短い時間ですけれどもお話をしたりすることがありました。上皇后陛下のリハビリは非常に大変だと思いますけれども、より回復され、そして上皇陛下と共に健やかに過ごしていただくよう願っております。(記者)妃殿下の現在のご体調についてお願いします。(殿下)完全に元の状態に戻っているかというとそうではないと思います。ただ、随分と回復して、通常の活動を行えるようになっております。以上です。(問2)悠仁さまが39年ぶりに男性の成年皇族となられました。ご成長の過程で思い出に残っていることや、成年に当たって掛けられた言葉、将来皇位を継承されるお立場である悠仁さまへの期待をお聞かせください。先日、皇嗣職大夫が悠仁さまの進学を巡り「根拠のない情報が流れていることに心を痛めている」と発言しました。「自然誌」を学べる大学への進学を目指す悠仁さまの最近のご様子や、進路について親子で話し合われていることもお聞かせください。(殿下)長男が今年の9月に18歳になり、民法の定める成年年齢によって成年となりました。ただ、私もずっと20歳の成年という認識できておりますし、2022年の4月からですかね、施行されたのが。その18歳の成年というのにまだ慣れていない、周りも慣れていないこともありますし、高校の在学中です。そのようなことから、今一つ私としては実感が湧いていません。恐らくこれで成年式があると成人になったんだな、ということを感覚的に分かるようになるのではないかと思っています。それでこの18年間の思い出で何かあるかということだったと思いますが、本当にあっという間に18年は過ぎるものだなと強く思っているところです。子供の頃というのは1年がすごく長く感じるように思います。私も小学校の6年間だけはとても長かったように思います。ただ年齢を重ねるにつれて、どんどん時間が短く感じられるようになって、親の立場で見ると、本当についこの前までチャイルドシートに乗っていた子供が、もう成年なのかと思うと実に時の流れが速いということを実感いたします。そのような中で、いろいろな思い出を作ってくれました。国内の旅行をしたことも度々にありましたし、海外もブータンだけですけれども、一緒に行ったのもとてもいい思い出です。その中で、特に強く印象に残っているのは、もう大分前になりますが、長男が小学校6年生ぐらいの時のことです。学校では、例えば地震があったりとか緊急時に親が引き取りに行って、連れて帰るという、その練習があるんですね。たまたまある時、妻が用事があって行けなかったことがあり、私が代わりに引き取りに行きました。学校で子供を引き取ってから、具体的なことは忘れましたけれども、ある一定の距離は徒歩で帰らなければいけないのですね。私もそうしたのですが、残念ながら私は空間認識が非常に悪いんです。いつもエレベーターを降りても大体逆に行くようなことが多くて、方向が定まらないから、息子を引き取ったのはいいけれども、道を歩いて、二つに別れた所をどっちに行っていいか分からないのですね。そういうようなことがあったもので、ほとんど帰り道は長男に手を引かれて、彼が行くままに従って行ったということがありました。その時に随分成長したんだなということを感じました。それが一番強い思い出ですかね。強く印象に残っていることでしょうかね。ほかにもありましたか。(記者)成年に当たって掛けられた言葉を教えてください。(殿下)9月6日に成年になったわけですけれども、いかんせん高校3年生の忙しい時ですし、その時に取り立てて何か声を掛けたということはないと思います。ただ、折々に成年になってからのことというのは話をすることがあって、私や妻が娘たちに言ってきたことと同じになってしまいますけれども、成年後、実際にはもうちょっと後が多いと思いますけれども、いろいろなところから声が掛かることが予想されます。そのときに、声を掛けていただいたものに関わるときには一つ一つ大事に思って丁寧に取り組んでほしいということは、成年に当たってというよりも、一定年齢になってからの話として、度々にいたしました。(記者)そして将来皇位を継承されるお立場である悠仁さまへの期待をお聞かせください。(殿下)今、お話ししたことと恐らく重複しますけれども、一つ一つ自分が関わる仕事を大事に思って、取り組んでほしいということですね。今の段階ではそのことでしょうか。(記者)そして先日皇嗣職大夫が悠仁さまの進学を巡り「根拠のない情報が流れていることに心を痛めている」と発言しました。「自然誌」を学べる大学への進学を目指す悠仁さまの最近のご様子や、進路について親子で話し合われていることもお聞かせください。(殿下)今恐らく最も忙しい時期ですね。高校3年生の秋ですから、多くの高校3年生と同じように毎日を忙しく過ごしています。進路については、これはもちろん話し合うことはあります。以上です。(記者)では、3問目に移らせていただきます。(問3)宮内庁は4月からインスタグラムを活用し、天皇、皇后両陛下のご活動を中心に発信しています。このことをどうご覧になっていますか。秋篠宮家のご活動も紹介することへのお考えをお教えください。秋篠宮家へのバッシングとも取れる情報について、妃殿下が誕生日に当たっての文書で「思い悩むことがあります」と記されました。殿下の受け止めや、宮内庁に求めていることもお聞かせください。(殿下)宮内庁がインスタグラムを始めて、1年近く経ちます。それまで、ウェブサイトのみだったのが、SNSを使うことによって、天皇皇后両陛下の動静をタイムリーに伝えることができるようになって、私は大変、良かったなと思っております。一方で、今はインスタグラムの一つのアカウントの中に天皇皇后両陛下の動静と宮内庁の事柄と、二つが一緒になっている状態です。見るときに、その二つが一緒になっていると、ちょっと分かりにくいなと思うことはあります。これは宮内庁というお役所の特性によるものなのかもしれないけれども、そんな印象を持っております。後はいつだったか、SNSとウェブサイトとのことについて、触れたことがありますけれども、ウェブサイトというのは、あくまでも情報の本体だと私は理解しております。したがって、そこを見ると、ほとんどの情報がそのウェブサイトに掲載されている。SNSは、そこへ導く一つのツールではないかと思っております。言ってみれば、これも前にお話ししたことがありますね。惑星とそれに紐(ひも)の付いた衛星のような感じ。この二つというのは、きちんとリンクしていて、衛星の方にある情報というのは、全て写真も含めて惑星の方にあるというのが理想だと私は思っておりますし、導入部分から、情報の本体に触れるということは、システム上も分かりやすいかなと思います。ですから、ウェブサイトとインスタグラムをバラバラに進めないようにすることが、大事なのかなという印象を持っています。それから何でしたか。(記者)秋篠宮家のご活動も紹介することへのお考えをお教えください。(殿下)秋篠宮家の紹介について、恐らくこれはうちだけではなくて、ほかの宮家全部に関係するのではないかと思います。全宮家を紹介するときに、一つ大事かなと思っていることは、広報を進めていく上できちんとした枠組み、皇室の広報の枠組みというのをきちんと設定して、それに基づく情報発信をするということです。それがバラバラであると内容も統一性がなくなってきて、どこに基準を合わせていいのかが分かりにくくなるのかなと思います。ただ、いずれにしても、まだ始まったばかりです。恐らく何年か掛けてきちんとした条件を整えていき、そして、その中で今お話のあった、秋篠宮家の紹介というのも位置付けていくという形がいいのかなと思っております。(記者)そして、秋篠宮家へのバッシングとも取れる情報について、妃殿下が誕生日に当たっての文書で「思い悩むことがあります」と記されました。殿下の受け止めや、宮内庁に求めていることもお聞かせください。(殿下)一般的には、バッシング情報と言われております。ただ、本当にたくさんの情報があるわけですけれども、その中でのバッシング情報というのは、これは第三者と当事者では恐らく意味合いが異なってくるように思います。当事者的に見るとバッシング情報というよりも、いじめ的情報と感じるのではないかと思います。つまり、不特定多数からそういうものが寄せられているという情報ですね。ただこれは、難しいところが多々あって、今は特定の媒体ではなくて、誰もがそういう情報発信できる時代になっています。確か、スマートフォンの普及率というのが、全世帯の90%ぐらいあるのだと思うのですね。そうすると、いい情報悪い情報ということは抜きにして、誰もが情報発信できる時代です。したがって先ほどお話しした当事者にとるといじめ的情報、これについて果たして全体のうちのどれぐらいの人たちが、そういうものを出していて、またその割合がどうなのか、そういうものを俯瞰してみないとどういうふうに受け止めるかっていうのは難しいと思いますし、俯瞰できる状態じゃないと、受け止める側もきちんとした判断にならないのではないかと思っています。ただ、そういう情報が、アルゴリズム編集というような形で、ある一定の意見になると、それと違う意見に接しにくくなるという現状があると思いますし、それが今度は情報を見る人の確証へとなっていくと、それに対応するというのはなかなか難しいと思います。そして今、宮内庁に求めていること。(記者)宮内庁に求めていること。(殿下)そういう状況であると、何か宮内庁に求めるといってもですね、やはり以前とは大分状況が違うとは思いますし、例えば何かで宮内庁が抗議をしたとします。でも、それがどちらの方向に振れるかが分からないわけですよね。そういう中で、何か要求する、何か頼むというのは、私はなかなか難しいのかなというふうに思っています。恐らく、あれは何ていうのでしょうね、「いいね」じゃない方の、逆の、あれをとにかくクリックするぐらい、それ以外私はなかなか思い付かないですね。(問4)佳子さまは手話を使われ、国内外で精力的に公的ご活動に取り組まれていますが、ご活動ぶりをどう受け止めていますか。分室で生活されている佳子さまのご様子、ご結婚についてのお考えやご家族で話し合われていることもお聞かせください。(殿下)手話のみならずいろいろなところから声を掛けていただいて公的な活動の幅が広がっていると思います。私から見て娘はそれ一つ一つ非常に大切に、そして一所懸命取り組んでいると思っております。そして分室でですね、少し離れた所で過ごしているわけですけれども、時々会う機会があります。何と言っていいのか分かりませんが、元気に過ごしています。それぐらいしか言えないかな。そして結婚でしたか。結婚については何か話し合ってるということは今はありません。以上です。(問5)衆参両院議長は9月、皇族数確保策に関する与野党協議で、女性皇族が結婚後も皇室に残る案についてはおおむね賛同を得られたとの見解を示しました。殿下は2009年の記者会見で、今後の皇室の在り方を議論する際には、「将来当事者になる皇太子ほかの意見を聞く過程が必要」との考えを述べられましたが、今回の過程で当事者のご意見を聴取する機会が必要とお考えでしょうか。佳子さまとは、ご家族の中で何か話し合われていますか。昨年の記者会見で、殿下は皇室の公的ご活動見直しの必要性に言及されましたが、改めて現在の活動量についての受け止めもお願いいたします。(殿下)最初の方の質問ですけれども、基本的にこれは皇室のシステム、制度に関わることでありますので、これについて私が何かお話しするという事は控えることにいたします。ただ一方で該当する皇族は生身の人間なわけで、その人たちがそれによってどういう状況になるのか、そのことについて私は、少なくとも、そういう人たちを生活や仕事の面でサポートする宮内庁の然るべき人たちは、その人たちがどういう考えを持っているかということを理解して、若しくは知っておく必要があるのではないかと思っております。少し質問からそれてしまいましたけれども、今の考えをお伝えいたします。もう一つ何でしたか。(記者)佳子さまとはご家族の中で何か話し合われていることはありますか。(殿下)そのことについて話し合いをしているということはありません。(記者)昨年の記者会見で、殿下は皇室の公的ご活動見直しの必要性に言及されましたが、改めて現在の活動量についての受け止めもお願いします。(殿下)活動量というのは、実際に現れる数字と共にそれを行う側の年齢であったり、健康状態であったりすることによっても違ってくると思います。もちろん私たちは年々齢を重ねるわけですから、何らかの見直しというのは必要になると思います。でもその中でどういうことができるのか、まずシステムとかではなくて、その中でできることを考えていく必要があると思います。例えばですけれども、二つのものに出席依頼があったとします。もし活動量を少し抑えるというのであれば、夫婦単位であれば一人ずつ行くとか、そういう工夫はできるのではないかと思っております。以上です。(関連質問1)よろしくお願いいたします。2問目の悠仁さまへの期待というところに関連してお伺いします。これまで殿下そして妃殿下は国内外いろいろな場所へ悠仁さまと共に赴かれてきたかと思いますが、その中で沖縄であるとか、広島、それから長崎に赴かれた際には先の大戦の犠牲者の方の慰霊にも行かれてきたかと思います。来年は戦後80年の一つの節目にもなりますけれども、殿下も先の大戦というものを考えたときに、どういったことを悠仁さまに伝えていくのが大切だとお考えになって、そうした機会を持たれてきたのか、それから成年された悠仁さまに今後どのように理解を深めていただきたいのか、お考えをお聞かせください。(殿下)今まで私が長男と行ったのは沖縄と長崎、広島は一緒に行っていないのですけれども、先の大戦のことというのはもちろん学校でも習うわけですけれども、そこの場所に行って、かつてこういうことがあったということに対する理解を深めるということは、私は大事なことだと思いますし、長崎では語り部の人から話を聞いたりしました。そういう体験というのは平和な社会のことを大事にする気持ちを育むこととしては大事だと思います。そして子供に伝えていくこと、これについては、私はもちろん親が知っていることを伝えるということは実際にありました。一方で今、先の大戦のことに関連した書籍、それからもう少し広く言うと昭和史についての書籍もかなりたくさん出ております。やはりそういうものを機会を見つけて、読んで、それで理解を深めていくということも、私は大切なことだと思っておりますので、今は息子が忙しい時期なのでしていませんけども、少し前などは、こういう本が出ているよという紹介をしておりました。よろしいでしょうか。(殿下)もう一人おられましたね。(関連質問2)私も2問目に関連して、先ほど、緊急の引き取り訓練の時に手を引かれるままに悠仁さまとお道筋をお帰りになったということですけれども、その時に何か具体的な悠仁さまから方向が分からない殿下に対してお言葉があったのかどうか、それを一つお伺いしたいのと、あと佳子さまが成年を迎えられるときには少し性格が似ているところがあると殿下おっしゃっていたと思いますが、悠仁さまについてはどういったご性格で、似たところがおありなのかどうか、あと今大変忙しいとおっしゃっていましたけれども高校3年生で過ごしていらっしゃる少し具体的なご様子をお聞かせいただけたらと思います。(殿下)引き取り訓練の時ですけれども、もうしばらく前のことになるので、定かではありませんが、恐らく、最初の曲がり角で私が逆に行ったのだと思います。それで見るに見かねて手を引いてこっちだ、とするようになったのだと思います。そこで何か話したかは記憶にはないです。性格ですか。性格はどうでしょうね。生き物が好きということは共通していると思います。ただ対象は大分違いますし、性格というと、なかなか私自身もそこはよく分からないところがあります。むしろ恐らく、第三者が見るとこういうところが似ているねと気が付くことがあるのかもしれません。あと、どのように過ごしているか。今は勉強をしているのがほとんどでしょうか。もちろん親と全然会話がないかというと、そういうことはなくて、1日のうちのそんなに長い時間ではないですけれども、あれやこれや話したりすることはあります。それぐらいでしょうか。
秋篠宮さまは、きょう11月30日に59歳の誕生日を迎えられました。誕生日に先立ち、25日に行われた記者会見では、9月に18歳・成年を迎えられた悠仁さまへの思いや、宮内庁が始めたインスタグラムによる発信についての感想、インターネット上での「バッシング」ともとれる情報に対する考えなどについて率直に述べられました。全文で紹介します。(表記は宮内庁のまま)
令和6年11月25日(月) 11:17~12:12 赤坂東邸にて
(問1)この1年を振り返り、国内外の出来事で印象に残ったことをお聞かせください。この1年、皇室では、妃殿下は一時期胃腸の不調を訴えられ、上皇后さまは10月に骨折し手術を受けられました。11月には三笠宮妃百合子さまが亡くなられました。妃殿下の現在のご体調と、上皇ご夫妻の最近のご様子、百合子さまが亡くなられたことへの受けとめについてご紹介ください。
(記者)まずは国内外の出来事についてお願いいたします。
(殿下)この1年いろいろなことがありましたが、私としてやはり一番強く印象に残っているのが元日に起こった能登半島の地震です。多くの人たちが亡くなり、その中には災害関連死の方も非常に多くおられ、またその地震によって多くの人たちが被災されました。その後、復旧に向けた努力が進んでいましたけれども、その最中、今度は9月に線状降水帯による大雨があって二重の災害になりました。これは非常に大きなことであり、亡くなられた方たちへの哀悼の意を表するとともに、被災された数多くの方たちへのお見舞いを申し述べたく思います。そして速やかな復旧を心から願っております。自然災害ということに言及しますと、やはり今年も数多くの自然災害がありました。先ほどの能登地域の豪雨もそうですけれども、それ以外にも、各地で大きい被害が出ています。そしてこれは国内に限ったことではもちろんなくて、海外でも起こっており、恐らく気候変動に伴うと考えられるものも多々あると思います。気候変動というのは今言われていることとしては、人間活動による影響というのが多分にあるとされています。この前もスペインで鉄砲水がありましたけれども、極端な気候に伴う災害が起こることを考えますと、やはり一人一人による努力というのも大変重要になってくるのではないかと思います。今年は世界的にも平均気温が最も高くなるという見通しが出ていますけれども、日本においても非常に暑い夏でした。統計が始まって以来、昨年と並んで最も暑い夏だったそうでありますし、また、熱中症によって救急搬送される人の数も非常に多いですし、熱中症で亡くなった人も多数おられます。やはりこの気候の変化というのを重視していく必要があるということを感じました。
また、海外に目を転じますと、ロシアによるウクライナ侵攻が2022年から始まっていますけれども、2年以上経った今も続いています。また、中東の情勢で言えばパレスチナ武装勢力がイスラエルを攻撃して以来の双方による戦闘状態が続いており、これらでも多くの人たちが亡くなり、また困難な暮らしを余儀なくされていることを大変残念に思っております。
あとこの1年のことで言いますと、ノーベル平和賞を日本原水爆被害者団体協議会が受賞しました。1956年に結成されて以来、核兵器のない世界を目指して活動されてきたこと、その団体がノーベル平和賞を受賞したことに深い感慨を覚えます。人々が安心して暮らせる平和な社会というのは皆が願っていることだと思います。
それより少し前になりますけれども、今年はパリでオリンピックとパラリンピックが開催され、日本代表の選手も非常に多くの活躍をいたしました。私はその中でも特に印象に残っているものとして総合馬術のメダル獲得というのがあります。西竹一さんがロサンゼルスで開催されたオリンピックの時に金メダルを取って、西竹一さんとウラヌス号ですね、金メダルを取って以来の92年ぶりということで、多少なりとも馬術と関わったことがある者として大変喜ばしいことだったと思います。
そのほかいろいろなことがありますが、奄美大島でマングースの根絶宣言、奄美大島でマングースがいなくなったという宣言が出されたことは、あそこの生態系を考える上で大変大きなことだったのではないかと思います。あれだけ広がっていたものを長年の努力で、もちろんマングースが悪いわけではないので、放した人間が悪いわけですけれども、それを根絶することができたというのは大きな成果だったと思います。
一方で、人と野生生物の共存ということにも思いを致すことが時々ありました。シカやイノシシなど様々な影響が出ていますけれども、もう一つ、熊による被害は2023年、多く出ておりますね。やはり人へのリスクというのは最小限にしないと、なければないに越したことはないわけで、そこはすごく大事である一方で熊の捕殺頭数が2023年はものすごく多かった。9千頭ぐらいが捕殺されています。そのことを考えると、これはいろいろなことで言えると思いますけども、野生生物と人間がどういうふうに共存していく形がいいのかというのはより一層皆で考えていく必要があるのかなと感じております。以上でしょうか。
(記者)そしてこの一年、皇室では妃殿下は一時期胃腸の不調を訴えられ、上皇后さまは10月に骨折し手術を受けられました。11月には三笠宮妃百合子さまが亡くなられました。妃殿下の現在のご体調と上皇ご夫妻の最近のご様子、百合子さまが亡くなられたことへの受け止めについてご紹介ください。
(殿下)今月、三笠宮妃殿下が101歳で薨去されました。殿下と共に大変な御長寿であったわけですけれども、私は今年の1月にお目に掛かったのが多分最後で、また昨年の私の誕生日には、宮邸までお越しくださってお話をしたりいたしました。そのようなことからも大変寂しい気持ちであります。
次に、上皇上皇后両陛下のことですけれども、上皇后陛下が骨折されました。私もそのことを聞いて非常に驚いており、早い御回復を願っておりました。その後、恐らく最初にお目に掛かったのが10月20日のお誕生日だと思います。その時は車椅子だったのですけれども、この前三笠宮妃殿下がお亡くなりになった後、お悔やみに仙洞御所に上がった時は杖をつかれてはいましたけれども、立って迎えてくださいました。私の印象ではとても回復が早いのではないかと思い、嬉しく思いました。また、上皇陛下とは、ここ1月半ぐらいの間に2回ぐらい、私が御用地の中を散歩している時に偶然お目に掛かるということがあり、短い時間ですけれどもお話をしたりすることがありました。上皇后陛下のリハビリは非常に大変だと思いますけれども、より回復され、そして上皇陛下と共に健やかに過ごしていただくよう願っております。
(記者)妃殿下の現在のご体調についてお願いします。
(殿下)完全に元の状態に戻っているかというとそうではないと思います。ただ、随分と回復して、通常の活動を行えるようになっております。以上です。
(問2)悠仁さまが39年ぶりに男性の成年皇族となられました。ご成長の過程で思い出に残っていることや、成年に当たって掛けられた言葉、将来皇位を継承されるお立場である悠仁さまへの期待をお聞かせください。先日、皇嗣職大夫が悠仁さまの進学を巡り「根拠のない情報が流れていることに心を痛めている」と発言しました。「自然誌」を学べる大学への進学を目指す悠仁さまの最近のご様子や、進路について親子で話し合われていることもお聞かせください。
(殿下)長男が今年の9月に18歳になり、民法の定める成年年齢によって成年となりました。ただ、私もずっと20歳の成年という認識できておりますし、2022年の4月からですかね、施行されたのが。その18歳の成年というのにまだ慣れていない、周りも慣れていないこともありますし、高校の在学中です。そのようなことから、今一つ私としては実感が湧いていません。恐らくこれで成年式があると成人になったんだな、ということを感覚的に分かるようになるのではないかと思っています。それでこの18年間の思い出で何かあるかということだったと思いますが、本当にあっという間に18年は過ぎるものだなと強く思っているところです。子供の頃というのは1年がすごく長く感じるように思います。私も小学校の6年間だけはとても長かったように思います。ただ年齢を重ねるにつれて、どんどん時間が短く感じられるようになって、親の立場で見ると、本当についこの前までチャイルドシートに乗っていた子供が、もう成年なのかと思うと実に時の流れが速いということを実感いたします。そのような中で、いろいろな思い出を作ってくれました。国内の旅行をしたことも度々にありましたし、海外もブータンだけですけれども、一緒に行ったのもとてもいい思い出です。
その中で、特に強く印象に残っているのは、もう大分前になりますが、長男が小学校6年生ぐらいの時のことです。学校では、例えば地震があったりとか緊急時に親が引き取りに行って、連れて帰るという、その練習があるんですね。たまたまある時、妻が用事があって行けなかったことがあり、私が代わりに引き取りに行きました。学校で子供を引き取ってから、具体的なことは忘れましたけれども、ある一定の距離は徒歩で帰らなければいけないのですね。私もそうしたのですが、残念ながら私は空間認識が非常に悪いんです。いつもエレベーターを降りても大体逆に行くようなことが多くて、方向が定まらないから、息子を引き取ったのはいいけれども、道を歩いて、二つに別れた所をどっちに行っていいか分からないのですね。そういうようなことがあったもので、ほとんど帰り道は長男に手を引かれて、彼が行くままに従って行ったということがありました。その時に随分成長したんだなということを感じました。それが一番強い思い出ですかね。強く印象に残っていることでしょうかね。
ほかにもありましたか。
(記者)成年に当たって掛けられた言葉を教えてください。
(殿下)9月6日に成年になったわけですけれども、いかんせん高校3年生の忙しい時ですし、その時に取り立てて何か声を掛けたということはないと思います。ただ、折々に成年になってからのことというのは話をすることがあって、私や妻が娘たちに言ってきたことと同じになってしまいますけれども、成年後、実際にはもうちょっと後が多いと思いますけれども、いろいろなところから声が掛かることが予想されます。そのときに、声を掛けていただいたものに関わるときには一つ一つ大事に思って丁寧に取り組んでほしいということは、成年に当たってというよりも、一定年齢になってからの話として、度々にいたしました。
(記者)そして将来皇位を継承されるお立場である悠仁さまへの期待をお聞かせください。
(殿下)今、お話ししたことと恐らく重複しますけれども、一つ一つ自分が関わる仕事を大事に思って、取り組んでほしいということですね。今の段階ではそのことでしょうか。
(記者)そして先日皇嗣職大夫が悠仁さまの進学を巡り「根拠のない情報が流れていることに心を痛めている」と発言しました。「自然誌」を学べる大学への進学を目指す悠仁さまの最近のご様子や、進路について親子で話し合われていることもお聞かせください。
(殿下)今恐らく最も忙しい時期ですね。高校3年生の秋ですから、多くの高校3年生と同じように毎日を忙しく過ごしています。進路については、これはもちろん話し合うことはあります。以上です。
(記者)では、3問目に移らせていただきます。
(問3)宮内庁は4月からインスタグラムを活用し、天皇、皇后両陛下のご活動を中心に発信しています。このことをどうご覧になっていますか。秋篠宮家のご活動も紹介することへのお考えをお教えください。秋篠宮家へのバッシングとも取れる情報について、妃殿下が誕生日に当たっての文書で「思い悩むことがあります」と記されました。殿下の受け止めや、宮内庁に求めていることもお聞かせください。
(殿下)宮内庁がインスタグラムを始めて、1年近く経ちます。それまで、ウェブサイトのみだったのが、SNSを使うことによって、天皇皇后両陛下の動静をタイムリーに伝えることができるようになって、私は大変、良かったなと思っております。一方で、今はインスタグラムの一つのアカウントの中に天皇皇后両陛下の動静と宮内庁の事柄と、二つが一緒になっている状態です。見るときに、その二つが一緒になっていると、ちょっと分かりにくいなと思うことはあります。これは宮内庁というお役所の特性によるものなのかもしれないけれども、そんな印象を持っております。後はいつだったか、SNSとウェブサイトとのことについて、触れたことがありますけれども、ウェブサイトというのは、あくまでも情報の本体だと私は理解しております。したがって、そこを見ると、ほとんどの情報がそのウェブサイトに掲載されている。SNSは、そこへ導く一つのツールではないかと思っております。言ってみれば、これも前にお話ししたことがありますね。惑星とそれに紐(ひも)の付いた衛星のような感じ。この二つというのは、きちんとリンクしていて、衛星の方にある情報というのは、全て写真も含めて惑星の方にあるというのが理想だと私は思っておりますし、導入部分から、情報の本体に触れるということは、システム上も分かりやすいかなと思います。ですから、ウェブサイトとインスタグラムをバラバラに進めないようにすることが、大事なのかなという印象を持っています。それから何でしたか。
(記者)秋篠宮家のご活動も紹介することへのお考えをお教えください。
(殿下)秋篠宮家の紹介について、恐らくこれはうちだけではなくて、ほかの宮家全部に関係するのではないかと思います。全宮家を紹介するときに、一つ大事かなと思っていることは、広報を進めていく上できちんとした枠組み、皇室の広報の枠組みというのをきちんと設定して、それに基づく情報発信をするということです。それがバラバラであると内容も統一性がなくなってきて、どこに基準を合わせていいのかが分かりにくくなるのかなと思います。ただ、いずれにしても、まだ始まったばかりです。恐らく何年か掛けてきちんとした条件を整えていき、そして、その中で今お話のあった、秋篠宮家の紹介というのも位置付けていくという形がいいのかなと思っております。
(記者)そして、秋篠宮家へのバッシングとも取れる情報について、妃殿下が誕生日に当たっての文書で「思い悩むことがあります」と記されました。殿下の受け止めや、宮内庁に求めていることもお聞かせください。
(殿下)一般的には、バッシング情報と言われております。ただ、本当にたくさんの情報があるわけですけれども、その中でのバッシング情報というのは、これは第三者と当事者では恐らく意味合いが異なってくるように思います。当事者的に見るとバッシング情報というよりも、いじめ的情報と感じるのではないかと思います。つまり、不特定多数からそういうものが寄せられているという情報ですね。ただこれは、難しいところが多々あって、今は特定の媒体ではなくて、誰もがそういう情報発信できる時代になっています。確か、スマートフォンの普及率というのが、全世帯の90%ぐらいあるのだと思うのですね。そうすると、いい情報悪い情報ということは抜きにして、誰もが情報発信できる時代です。したがって先ほどお話しした当事者にとるといじめ的情報、これについて果たして全体のうちのどれぐらいの人たちが、そういうものを出していて、またその割合がどうなのか、そういうものを俯瞰してみないとどういうふうに受け止めるかっていうのは難しいと思いますし、俯瞰できる状態じゃないと、受け止める側もきちんとした判断にならないのではないかと思っています。ただ、そういう情報が、アルゴリズム編集というような形で、ある一定の意見になると、それと違う意見に接しにくくなるという現状があると思いますし、それが今度は情報を見る人の確証へとなっていくと、それに対応するというのはなかなか難しいと思います。そして今、宮内庁に求めていること。
(記者)宮内庁に求めていること。
(殿下)そういう状況であると、何か宮内庁に求めるといってもですね、やはり以前とは大分状況が違うとは思いますし、例えば何かで宮内庁が抗議をしたとします。でも、それがどちらの方向に振れるかが分からないわけですよね。そういう中で、何か要求する、何か頼むというのは、私はなかなか難しいのかなというふうに思っています。恐らく、あれは何ていうのでしょうね、「いいね」じゃない方の、逆の、あれをとにかくクリックするぐらい、それ以外私はなかなか思い付かないですね。
(問4)佳子さまは手話を使われ、国内外で精力的に公的ご活動に取り組まれていますが、ご活動ぶりをどう受け止めていますか。分室で生活されている佳子さまのご様子、ご結婚についてのお考えやご家族で話し合われていることもお聞かせください。
(殿下)手話のみならずいろいろなところから声を掛けていただいて公的な活動の幅が広がっていると思います。私から見て娘はそれ一つ一つ非常に大切に、そして一所懸命取り組んでいると思っております。そして分室でですね、少し離れた所で過ごしているわけですけれども、時々会う機会があります。何と言っていいのか分かりませんが、元気に過ごしています。それぐらいしか言えないかな。そして結婚でしたか。結婚については何か話し合ってるということは今はありません。以上です。
(問5)衆参両院議長は9月、皇族数確保策に関する与野党協議で、女性皇族が結婚後も皇室に残る案についてはおおむね賛同を得られたとの見解を示しました。殿下は2009年の記者会見で、今後の皇室の在り方を議論する際には、「将来当事者になる皇太子ほかの意見を聞く過程が必要」との考えを述べられましたが、今回の過程で当事者のご意見を聴取する機会が必要とお考えでしょうか。佳子さまとは、ご家族の中で何か話し合われていますか。昨年の記者会見で、殿下は皇室の公的ご活動見直しの必要性に言及されましたが、改めて現在の活動量についての受け止めもお願いいたします。
(殿下)最初の方の質問ですけれども、基本的にこれは皇室のシステム、制度に関わることでありますので、これについて私が何かお話しするという事は控えることにいたします。ただ一方で該当する皇族は生身の人間なわけで、その人たちがそれによってどういう状況になるのか、そのことについて私は、少なくとも、そういう人たちを生活や仕事の面でサポートする宮内庁の然るべき人たちは、その人たちがどういう考えを持っているかということを理解して、若しくは知っておく必要があるのではないかと思っております。少し質問からそれてしまいましたけれども、今の考えをお伝えいたします。
もう一つ何でしたか。
(記者)佳子さまとはご家族の中で何か話し合われていることはありますか。
(殿下)そのことについて話し合いをしているということはありません。
(記者)昨年の記者会見で、殿下は皇室の公的ご活動見直しの必要性に言及されましたが、改めて現在の活動量についての受け止めもお願いします。
(殿下)活動量というのは、実際に現れる数字と共にそれを行う側の年齢であったり、健康状態であったりすることによっても違ってくると思います。もちろん私たちは年々齢を重ねるわけですから、何らかの見直しというのは必要になると思います。でもその中でどういうことができるのか、まずシステムとかではなくて、その中でできることを考えていく必要があると思います。例えばですけれども、二つのものに出席依頼があったとします。もし活動量を少し抑えるというのであれば、夫婦単位であれば一人ずつ行くとか、そういう工夫はできるのではないかと思っております。以上です。
(関連質問1)よろしくお願いいたします。2問目の悠仁さまへの期待というところに関連してお伺いします。これまで殿下そして妃殿下は国内外いろいろな場所へ悠仁さまと共に赴かれてきたかと思いますが、その中で沖縄であるとか、広島、それから長崎に赴かれた際には先の大戦の犠牲者の方の慰霊にも行かれてきたかと思います。来年は戦後80年の一つの節目にもなりますけれども、殿下も先の大戦というものを考えたときに、どういったことを悠仁さまに伝えていくのが大切だとお考えになって、そうした機会を持たれてきたのか、それから成年された悠仁さまに今後どのように理解を深めていただきたいのか、お考えをお聞かせください。
(殿下)今まで私が長男と行ったのは沖縄と長崎、広島は一緒に行っていないのですけれども、先の大戦のことというのはもちろん学校でも習うわけですけれども、そこの場所に行って、かつてこういうことがあったということに対する理解を深めるということは、私は大事なことだと思いますし、長崎では語り部の人から話を聞いたりしました。そういう体験というのは平和な社会のことを大事にする気持ちを育むこととしては大事だと思います。そして子供に伝えていくこと、これについては、私はもちろん親が知っていることを伝えるということは実際にありました。一方で今、先の大戦のことに関連した書籍、それからもう少し広く言うと昭和史についての書籍もかなりたくさん出ております。やはりそういうものを機会を見つけて、読んで、それで理解を深めていくということも、私は大切なことだと思っておりますので、今は息子が忙しい時期なのでしていませんけども、少し前などは、こういう本が出ているよという紹介をしておりました。よろしいでしょうか。
(殿下)もう一人おられましたね。
(関連質問2)私も2問目に関連して、先ほど、緊急の引き取り訓練の時に手を引かれるままに悠仁さまとお道筋をお帰りになったということですけれども、その時に何か具体的な悠仁さまから方向が分からない殿下に対してお言葉があったのかどうか、それを一つお伺いしたいのと、あと佳子さまが成年を迎えられるときには少し性格が似ているところがあると殿下おっしゃっていたと思いますが、悠仁さまについてはどういったご性格で、似たところがおありなのかどうか、あと今大変忙しいとおっしゃっていましたけれども高校3年生で過ごしていらっしゃる少し具体的なご様子をお聞かせいただけたらと思います。
(殿下)引き取り訓練の時ですけれども、もうしばらく前のことになるので、定かではありませんが、恐らく、最初の曲がり角で私が逆に行ったのだと思います。それで見るに見かねて手を引いてこっちだ、とするようになったのだと思います。そこで何か話したかは記憶にはないです。

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