大阪地検トップの検事正だった北川健太郎氏が在任中、部下の女性検事に性暴力したとして準強制性交罪に問われた事件。10月25日に大阪地裁であった初公判で北川氏は起訴内容を認めた。その後、被害者の女性が開いた記者会見で多くの驚くべき話が明かされた。
「これは検察組織にとってこれまでにない深刻な問題。第三者機関を設置して何があったのか事実を明らかにすべきです」。そう話す元検事の郷原信郎弁護士に、今回の事件が社会に与える衝撃について聞いた。(弁護士ドットコムニュース・一宮俊介)
報道によると、被告人の北川氏は2018年9月12日深夜~13日未明、当時住んでいた大阪市北区の自身の官舎で、部下の女性検事に性的暴行を加えたとされる。
女性は北川氏の検事正就任を祝う懇親会で酒に酔い帰宅しようとしたものの、北川氏の官舎に連れ込まれ、意識が戻った時に性的暴行を受けていることに気づいたという。
裁判では、北川氏は犯行中に女性に「これでお前も俺の女だ」と告げたり、事件後に「時効がくるまで食事をごちそうする」と述べたりしていたことが明かされた。
また、被害女性から性加害の理由を問われた際に、北川氏は「公になれば私は生きていけない、自死を考えている」「検察庁に大きな非難の目が向けられ、業務が立ち行かなくなる。総長の辞職もありえる」「私のためでなく、あなたの愛する検察庁のため告発はやめてください」などと回答したとされる。
所属する組織の最高権力者からそうした脅しを受けた女性は、すぐに被害を申告できなかったという。
記者会見では、副検事の女性が内偵捜査の対象となっていた北川氏に対して捜査情報を漏えいしたり、検察庁職員らに被害者についての虚偽の話を広めたりした疑いがあることも明かされ、被害者の女性検事はこの副検事を国家公務員法違反や名誉毀損などの疑いで告訴したと説明した。
「今回の検事正による事件は検察組織にとってこれまでにない深刻な問題です。しかもこれだけではなく、今、検察を取り巻く重大な問題が同時多発的に発生し続けているので、とどめを刺すような本当に未曾有(みぞう)の危機というべき状況になっています」
郷原弁護士が「同時多発的」と表現するのは、検察による不祥事が最近目立っていることだ。
その代表が、静岡県一家4人殺害事件で死刑囚とされた袴田巌さんの再審で無罪が言い渡された冤罪事件での対応だ。検察庁が控訴を断念した際に検察トップの畝本直美・検事総長が、無罪となった袴田さんをいまだに犯人視している内容の談話を公表した。
また、大阪地検特捜部に逮捕・起訴された不動産会社の社長がその後無罪となったプレサンス事件で、大阪高裁が今年8月、違法な取調べをしたとされる検事を特別公務員暴行陵虐罪で付審判開始という異例の決定を出した。
その他にも、1986年に福井市で起きた女子中学生殺害事件に関して、名古屋高裁金沢支部が10月23日、被告人に有利な証拠を検察が隠していたことなどを批判し、裁判やり直しの決定を出した。
「袴田さんの冤罪事件で、結論としては控訴を断念するとする一方で『本判決は、到底承服できないものであり、控訴して上級審の判断を仰ぐべき』などと談話を出したこと自体、検事総長としてありえない問題発言でした。それだけでも職を辞すべき重大な問題です。
それに、検察にとっては衝撃的な大阪高裁の付審判決定がすでに出ていて、検察として取調べの問題に直面していたところに今回の大阪地検の検事正による性犯罪事件が起きた。しかも、これは単発の問題ではなく、組織的に隠蔽されていた疑いがあるので、検察組織として非常に重大な責任が生じています」
郷原弁護士は異常事態にそう危機感を募らせる。
”検察の危機”が叫ばれたことはこれまでにもあった。
大阪地検特捜部の検事が証拠のフロッピーディスクのデータを改ざんしたとして、証拠隠滅罪で実刑判決が確定。特捜部長らにも有罪判決が下された。この事件の後に「検察の在り方検討会議」が発足し、2011年3月に改革の道筋を提言した。
自身も委員として議論に参加した検察の在り方検討会議の提言について、郷原さんは「本当はあの時、もっと検察組織全体の問題として色々な対策をとって信頼回復を図るべきでしたが、結局、大阪地検特捜部の主任検事やその上司の特捜部長、副部長の問題として矮小化されてしまいました」と振り返る。
「ところが、今回はもう全く個人レベルの問題ではなく、大阪地検トップの人間が犯した犯罪です。一体、検察の中でどこまでの人間がそれを認識していたのか。北川氏は事件について何も明らかにしないまま早期退職したことになっていますが、検事正が理由なく辞めるというのは普通には考えられないことです。
被害者が被害を申告しないからそのままにしていただけで、検察内部ではある程度認識されていたのではないでしょうか。法務省も何か事情があることを把握していた可能性があります」
検察による不祥事の隠蔽疑惑に言及した郷原弁護士は、第三者による調査を実施すべきだと主張する。
「(北川氏による性加害について)大阪地検の中でどこまで報告が上がっていたのか。当然、法務省にも報告されるべき事案なので、法務省としてどう対応したのか。
それらの問題点を含めて、被害者が先日の記者会見で話したことを前提に、とにかく何らかの形で第三者機関を設置して、中立、公平な形で事実関係を明らかにしていくしかないと思います。
それに加えて、副検事による情報漏えい、名誉棄損などの疑いを告訴事件として処理するだけではなく、そのようなことが行われた組織的背景についても、第三者調査をすべきではないでしょうか」
今回の事件が注目されているのは他にも要因がある。
北川氏は2018年2月に大阪地検の検事正に着任し2019年11月に退官したが、その在任中に学校法人「森友学園」への国有地売却をめぐる財務省の公文書改ざん問題に対応した。
この問題では国税庁長官だった佐川宣寿氏が虚偽公文書作成などの疑いで告発されたが、大阪地検は2018年5月に不起訴処分を下した。その後、検察審査会が「不起訴不当」の議決を出したが、大阪地検は2019年8月に佐川氏を再び不起訴処分としていた。
いずれの不起訴処分も北川氏が検事正だった時期と重なる。検審議決後の不起訴処分は、性的暴行事件の後だ。こうした経緯に関して、郷原弁護士は次のような見方を示す。
「不起訴不当の検審議決を受けての刑事処分では、一部には起訴せざるを得ないと思えるものもありましたが、すべて再度不起訴処分になりました。性的暴行事件を起こした後の北川氏の被害者への言動からすると、地検の処分の最終決裁者の検事正として職責が果たせる状況だったとは思えません。当時の大阪地検の不起訴が公正な処分だったと我々が信じるのは無理でしょう」
さらに、検察官がある事件を起訴するかどうか決められる強大な権限を独占していることを踏まえて、郷原弁護士はこう強調した。
「性加害事件を起こした人が大阪地検の検事正として様々な事件の決裁に関わっていた状況を考えると、その在任期間中に大阪地検が扱い、検事正が決裁した事件の処分がどうして適正だったと言えるのか、深刻な疑問が生じます。
これまでの検察の対応をみていると自浄作用が働くとは思えません。法務大臣が、北川氏の問題、検察官の不当な取調べの問題など、今起きている検察をめぐる問題を、組織の問題として徹底調査を行うよう指示すべきです。それは、個別の刑事事件に関するものではないので、検察庁法14条但し書の「個別的指揮権」ではなく、同法14条本文の一般的指揮権によって行うことが可能です」