「袴田事件」無罪判決後、姉・ひで子さんが会見 巌さんの“拘禁症”による変化を告白「死刑囚のいる房に行ってからおかしくなった」

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1966年6月に静岡県清水市(現静岡市)で起きた一家4人殺害事件のやり直しの裁判(再審)で、静岡地裁の無罪判決(求刑・死刑)を受けた袴田巌さんの姉・ひで子さんが30日、都内で記者会見に応じた。会見では、巌さんの“拘禁症”がどのような形で出てきたのかなどを赤裸々に語った。
「無期(懲役)時には大変、元気でございました。面会に行っても、私達の方が励まされたぐらい。事件のことを一生懸命話していました。そんな状況でしたが、死刑が確定して死刑囚だけのいるところへ行ってから、隣の部屋の人が処刑された時に、私がたまたま一人で面会に行ったら、あたふたと出てきて、もう身を乗り出すようにして『昨日処刑があった!隣の部屋の人だった!お元気でと言っていた』と言って、みんながっかりしていると一気に言ったんですよ。私はそれを聞いて、突拍子もないことを言うからぽけっとしちゃって。それ以後、電気を出す奴がいるとか、サルがいるとか変なことを言うようになったんです。だから死刑囚のいる房に行ってから、がくんとおかしなことを言うようになったんです。死刑確定から、特に拘禁症はひどくなったと思います」
「(釈放されて)出てきた時はね、本当に能面のような顔をしていて、あまり物も言わないし、再審開始になったよと言っても『この人たちは変なことばっかり言うから帰ってもらってくれ』と刑務官にそう言っていた。出てきてからも、裁判の話とかそういう話は一切しませんでした。ともかく、家の中を1時間も2時間も歩き回る、家の中から一歩も出ない。男の人たちが来ると、『面会謝絶ですからお断りします』と玄関に鍵をかけてしまう。そういう状況でしたし、2カ月間はうちを出ませんでした。やっぱり、猜疑心が強いというか、とてもじゃないが男の人は敵と見ているんですね。それで長い間、男だけの生活の中で苦労してきたからでしょうけど、そういうことがありありとわかりました。だから私がうちの中に何か閉じこもっていてもしょうがないと思って『私、買い物があるんだけど、荷物が重たいから手伝ってよ』と引っ張り出して、外に出させました。その時には、うんと素直に言うことを聞いて、デパートでわざと重いものを買いましてね。2人で仲良く持って、家に帰ってきたことがあります」
「そうこうしているうちに、自分が1人で今度歩きたいんでしょうね。私のところへね。『今日はお化けのところに行くから、ついてきちゃ困る』と言うんです。変なことを言うなと思ったんですが、それも逆らわないでそりゃ行っておいでと、1人で出したんです。それ以後、1人で出歩くようになりました。その前に家の押し入れに霊がいると言っていました。押し入れの中をトントン、トントン何かを追い出すようなことをするんですよ。1カ月、過ぎてまた今度その押し入れを探しに来て、開けたら『もういないな』と言ったんです。だから霊が見えなくなったんだと思います」
「3年ぐらいはそれが続きましたね、拘禁症の加減ですかね。だけど私はともかく巌は自由にしておくしかないかと思いましてね。言う通りにしていました。それで変なこと、とんちんかんなことを言うんです。そんな馬鹿なことを言うじゃないって言いたいけども、そんなことを言ったって通用するわけじゃありません。だから、そうしようねとか、相槌を打って、とんちんかんな話をしていました。それがだんだんとね、5年ぐらい経ちますと薄れてきたと言いますか、拘置所から出てきたときはまともだったんですが、それが後遺症というものが出たのか何か知りませんが、48年も入っていた、その習慣というものは簡単には抜けません。ティッシュペーパーを四つに折るとか、部屋の鍵は全部閉めるとか、お風呂の窓も全部閉めるとか、そういうことをするんですね。夜は電気を全部つけるんです。私が全部消すと、彼はつけて回るんですね。今でも電気はもう全部つけます」
「袴田事件」は証拠の捏造などを理由に再審が行われ、静岡地裁で無罪判決。10月10日までに検察側が控訴しなければ、無罪が確定する。(ABEMA NEWS)

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