愛知・一宮に小栗旬さん、坂口健太郎さん登場 観覧倍率71倍

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大河ドラマ「鎌倉殿の13人」で北条義時役を務める小栗旬さんと、息子・泰時役の坂口健太郎さんが3日、今後のドラマで描かれる「承久の乱」(1221年)ゆかりの地である愛知県一宮市で開かれたトークイベントに出演した。
【“親子トーク”をする小栗さんと坂口さん】 1500人の募集定員に対し、応募者は10万7174人(倍率71倍)。「狭き門」をくぐり抜け、全国各地から集まった観客は、人気俳優の歴史トークや撮影の裏話などに聴き入った。同市とNHKの主催。

承久の乱は鎌倉幕府を開いた源頼朝ら源氏将軍3代が没した後、朝廷の権威を回復しようとした後鳥羽上皇が幕府の第2代執権だった義時を討つために挙兵した内乱。鎌倉幕府の正史「吾妻鏡(あずまかがみ)」には、幕府軍が尾張国一宮・真清田神社(一宮市)の周辺に陣地を置き、軍議を開いたとの記述があり、泰時が参加していたとされる。 トークイベントで小栗さんは「意識のどこかで武士として(撮影期間の)1年5カ月間を過ごしてきた。実生活を含め義時として過ごした時間だった」、坂口さんは「この先、泰時がどうやって次の鎌倉を作っていくのか興味を持ちつつ、無事に役を全うできた」と語った。2人は2日には真清田神社を訪れており、小栗さんは「承久の乱の成功を祈願してきた」と明かした。 承久の乱では、両軍が愛知、岐阜両県の間を流れる木曽川を挟んで戦い、幕府軍が圧勝。朝廷は権威を失い、北条氏が主導権を握る執権政治が本格化した。2日に愛知県江南市の複合タワー「すいとぴあ江南」に上り、承久の乱の戦場となった木曽川を眺めたという坂口さんは「良い景色だった。ここに陣を実際に張っていたんだと教えてもらい、泰時も昔ここにいたと知れて良かった」と振り返った。 撮影は10月25日にクランクアップしたが、ドラマは現在、承久の乱に向けて佳境を迎えている。今後の見どころについて小栗さんは「最後まで行くと、もう少し僕(義時)のことが嫌いになるかもしれないが、生き様を見届けてほしい。悔い無く義時という役を最後まで届けることができた」と語った。【川瀬慎一朗】
1500人の募集定員に対し、応募者は10万7174人(倍率71倍)。「狭き門」をくぐり抜け、全国各地から集まった観客は、人気俳優の歴史トークや撮影の裏話などに聴き入った。同市とNHKの主催。
承久の乱は鎌倉幕府を開いた源頼朝ら源氏将軍3代が没した後、朝廷の権威を回復しようとした後鳥羽上皇が幕府の第2代執権だった義時を討つために挙兵した内乱。鎌倉幕府の正史「吾妻鏡(あずまかがみ)」には、幕府軍が尾張国一宮・真清田神社(一宮市)の周辺に陣地を置き、軍議を開いたとの記述があり、泰時が参加していたとされる。
トークイベントで小栗さんは「意識のどこかで武士として(撮影期間の)1年5カ月間を過ごしてきた。実生活を含め義時として過ごした時間だった」、坂口さんは「この先、泰時がどうやって次の鎌倉を作っていくのか興味を持ちつつ、無事に役を全うできた」と語った。2人は2日には真清田神社を訪れており、小栗さんは「承久の乱の成功を祈願してきた」と明かした。 承久の乱では、両軍が愛知、岐阜両県の間を流れる木曽川を挟んで戦い、幕府軍が圧勝。朝廷は権威を失い、北条氏が主導権を握る執権政治が本格化した。2日に愛知県江南市の複合タワー「すいとぴあ江南」に上り、承久の乱の戦場となった木曽川を眺めたという坂口さんは「良い景色だった。ここに陣を実際に張っていたんだと教えてもらい、泰時も昔ここにいたと知れて良かった」と振り返った。
撮影は10月25日にクランクアップしたが、ドラマは現在、承久の乱に向けて佳境を迎えている。今後の見どころについて小栗さんは「最後まで行くと、もう少し僕(義時)のことが嫌いになるかもしれないが、生き様を見届けてほしい。悔い無く義時という役を最後まで届けることができた」と語った。【川瀬慎一朗】

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