【長谷部 真奈見】「親は付き添わないで」ダウン症のある娘が短期留学に飛び込んで学んだこと

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待望の第一子を産んだ直後に、ダウン症と知らされたフリーアナウンサーの長谷部真奈見さん。出産当初は娘がダウン症である事実を受け入れることができず、誰にも明かせないまま、自殺を考えるほど思いつめた時期もあったという。あれから15年、娘さんは今春中学校を卒業し、日々の出来事を積極的に発信している。
※ 正式名はダウン症候群。染色体の突然変異によって起こり、通常、21番目の染色体が1本多くなっていることから「21トリソミー」とも呼ばれる。筋肉の緊張度が低く、多くの場合、知的な発達に遅れがある。心疾患などを伴うことも多いが、医療や療育、教育が進み、最近ではほとんどの人が普通に学校生活や社会生活を送っている(参考:日本ダウン症協会HP)。
「大好きで大事で大切な娘のことを、出産当時なかなか受け入れられなかった自分を、娘に許してもらいたい」――そんな思いから、長谷部さんが覚悟をもって当時の自らの思いと向き合う本連載は、毎回大きな反響を呼んでいる。
第9回目の今回は、娘さんが中学時代、夏休みを利用してお試しでチャレンジした、2回の海外短期留学の経験についてお伝えする。海外留学を考えた理由含めて、前編では、ハワイでの初めての短期留学体験について綴っていただいた。
今春、娘は義務教育である中学校を卒業しましたが、娘が中学に進学した頃から、中学卒業後の進路について真剣に悩み始めていました。コロナ禍の影響で娘の小学校の卒業式も中学の入学式も制限された環境の中で行われ、世の中には閉塞感が漂っていたそんな頃でした。
ダウン症のある子の場合、中学卒業後は、特別支援学校や養護学校へ進学するケースが多く、実際に娘自身も当然のように「卒業したら、私も○○特別支援学校へ行く」と信じて疑っていませんでした。地域の中学校の特別支援学級で学んだ娘は、先輩卒業生や、お友達、先生から「どこの特別支援学校へ行くの?」と聞かれ、特別支援学校以外の選択肢が話題になることもなく、当たり前のように“その道”しか知らされていませんでした。
私は高校の時、アメリカの現地校へ留学した経験があり、娘にも「学ぶ場はもっといろんなところがある。もっと色々な選択肢が世の中にはある」ということを知ってもらいたいとずっと思っていました。
ところが、世界的なコロナ禍のパンデミックで海外という選択肢は遠のき、そもそも知的障がいのある子が海外留学をしたという話はこれまで周りで聞いたことはありませんでした。私が地方から海外留学した頃から30年の月日が経っていても、大都会、東京にいても、知的障がいのある子の進学先の選択肢はこんなにも限られているのかと、寂しさや物足りなさを感じていました。
「でも、本当にできないのだろうか」と私は考え続けていました。そこで、コロナ禍が少し落ち着いて来た頃、娘の中学2年の夏休みを利用して、思い切って海外へ短期留学をしてみることにしました。
選んだ場所はアメリカ・ハワイ州、ホノルルにある私立校でした。ハワイの多様性に富んだ環境であれば、娘にとっても、人種や言語、障がいなどが障壁になりにくいだろうと考えたからです。それでも、障がいのある娘を一人で学校に通わせるには不安があったため、事前にメールで担当者とやり取りしながら、私も同伴することが可能な学校を選びました。
そうして迎えたハワイ現地校への登校初日、私も一緒に娘に付き添い学校へ入ろうとしたところ、「親は校内に入ることはできません」と言われ、娘だけが案内されたんです。
「え!? 事前の打ち合わせと話が違う!」と、とっさにスマホを取り出し、「娘にはダウン症があるため、事前に担当の方に私も同伴することをメールでお伝えして許可を頂いていたのですが」と事務局との今までのメールのやり取りを見せようとすると、「その担当者は今、夏休みでしばらく不在なので、わからない」と言われ、「とにかく親は入れないので、午後3時半にお迎えに来てね」とあっさり、娘だけ連れて行かれてしまったのです。
当の本人である娘は、特に不安そうな顔をすることもなく、私を振り返ることすらありませんでした(苦笑)。あまりにもあっさりとアメリカの現地校へ吸い込まれるように入って行った娘の後ろ姿を今も思い出します。
日本の学校では、通常級に障がいのある子を通わせる場合、地域や学校によっては親が付き添うのが当たり前だったり、親の付き添いが必須だったりするケースもあります。一方アメリカの学校では、良くも悪くも「親が付き添うのは禁止」とされていることは、なかなか新鮮でした。
実は、子離れ出来ていなかったのは私の方で、それから「娘はどうしているだろうか」「英語が通じなくて泣いていないだろうか」「トイレは我慢せずちゃんと行けているだろうか?」「お友だちができなくて一人で寂しくしていないだろうか」と不安で胸がいっぱいになり、泣きそうになりながら、お迎えの時間まで娘を案じて待ちました。
そして、ようやく迎えた下校時刻。
向こうから笑顔で堂々、はつらつと歩いて来る娘の姿を見て、思わず夫と顔を見合わせました。こんなにも自信に満ち溢れた表情をした娘を見たのは初めてでした。
「ああ、来て良かった」「チャレンジさせて良かったな」と思いつつ、あっという間に娘が先生と「See you tomorrow!」と別れたので、慌てて私から先生に駆け寄り、「娘は今日1日どうでしたか?」と聞くと、「She has no barriers.(彼女には何のバリアもないよ)No language barriers. No disability barriers. (言語の壁も障がいの壁もないよ)」と、笑顔で言われました。
そして、「Mom, she will be fine. You don’t have to come tomorrow. (お母さん、彼女は一人で大丈夫だから、明日も来なくて大丈夫だからね。)」と……。
こうして、娘の短期留学は、私の付き添いなしでスタートしたのです。お陰で、もともと娘の学校に付き添うつもりで予定していた私は、翌日からすっかり暇になりました(笑)。夫とゆっくり食事をしたり、ショッピングをしたり、久々のハワイを満喫する時間も持てるようになり、仕事もリモートで再開、娘にとっても、私にとっても良い風が吹き始めました。
ところが、しばらくすると、わかっていたものの見て見ぬ振りをしてきたアフターコロナの急速なインフレと円安が、我が家の家計を襲い始めたのです。外食をすれば軽食であっても信じられない値段に毎回驚きを越えて恐怖を覚えるように……。外食はなるべく控えて、自炊をするようになりました。
夫は仕事で先に日本に帰国してしまったため、私は一人公共のバスを利用しながら娘の送り迎えの往復と、食材の買い出し、そしてリモートでの仕事を続けていました。慣れない暑さも蓄積されたのか、ある日、娘をお迎えに行った帰りのバスの中で、「ママ、どうしたの? 何か変。すごく疲れているね。心配だよ」と娘に言われる始末。
「大丈夫だよ。ちょっと暑くて疲れちゃった。今日は夕飯、何が食べたい?」と娘に聞くと、娘から思いもよらぬ一言が……。
「ママ、今日は『サッポロ一番』にしよう。私がラーメン作ってあげるから、ママは休んで」
その一言を聞いた瞬間、思わず私の中で何かが崩壊し、涙がこぼれ落ちていました。娘が学校に通っている間、娘も一人で頑張っているんだから、私も色々頑張らなきゃと、必死にあれこれ詰め込み、頑張り過ぎていたんだなと……反省しました。
夕飯がインスタントラーメンだけ、というのは気が引けたため、「下のスーパーで何か買って帰ろうか」と言うと、「うん! スパムおにぎりが食べたい!!」と、普段よりよっぽどうれしそうな娘に救われました。
娘のスパムおにぎり1個(3.99ドル=当時のレート(1ドル=150円)で約600円)、それに私のチップスとビール、お水を買って帰宅。日本円にしてトータル3,000円くらいでした。これなら、日本だとお店で定食を食べられたのになあ……などと、色々考え、複雑な感情を抱きながら、娘と一緒にサッポロ一番をすすっていたその時でした。
ようやく大切なことに気付いたのです。何をやっていたのか私は……。こんなことをしている場合じゃない。
「娘に色々な経験をさせたい」、そう思ってハワイまで来たのに……。日本食の自炊ばかりして、挙げ句の果てに疲れて娘に心配を掛けている(涙)。もっとハワイでしか食べられない物を味わったり、今ここでしか見られない景色を見せてあげたりしなきゃ、せっかく来たのにもったいない……!!
そう思った私は、翌日から娘の学校のお友だちを誘って夕飯に出かけたり、バーベキューを楽しんだり、美しい夕日が見えるレストランにも連れて行ってもらいました。
お陰で、新しくできた沢山のお友だち家族と一緒に貴重な時間を過ごすことが出来ました。
日本では、特別支援学級に通っている娘の周りには、どうしても障がいのある子どもたちばかりで集まることが多くなります。もちろん、特別支援学級のお友だちも大切な存在ですが、娘のこれからの人生を考えると、できる限りいろんな人たちと接してほしいと願っていました。そして、ハワイに来ていろんなお友だちが出来たなと……。人種や障がいを超えた出会いが多く、まさにインクルーシブな環境に恵まれたなと感じられたのでした。
子育てや教育に正解はない。最初から答えなんてない。
だからこそ、親も子も一緒に、もがいたり、楽しんだりしながら、ともに成長していけたらそれで良いのではないかとその時、気づかされました。
◇後編では、二度目の夏休みを利用したシンガポールでの短期留学についてお伝えします。
ダウン症のある娘が海外留学、「友だちはできるの?」と心配した母が驚愕したこと

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