〈《出所後はIT系の会社で月収40万円》女子高校生を40日間監禁し、殺害した準主犯格のその後「母親から暴力団組員を紹介され…」〉から続く
1989年に東京・綾瀬で起きた「女子高校生コンクリ詰め殺人事件」。複数の少年が女子高校生を40日間にわたって監禁し、強姦・暴行のすえに殺害した事件である。
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1月に刊行された『償い 綾瀬女子高校生コンクリート詰め殺人事件 6人の加害少年を追って』(文藝春秋)は、北海道放送報道部デスクの山裕侍氏が6人の加害者のその後を追ったノンフィクションだ。著者である山氏に話を聞いた。(全2回の2回目/最初から読む)
山裕侍氏
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――この事件の異様さのひとつに、多くの少年やその親が、女子高校生が監禁されていると知っていながら、誰も警察に通報しなかった不可解さにあります。
山 主犯格のAは、下校中の女子高校生の被害者を強姦目的で連れ去り、たまり場になっていたCの部屋に監禁します。そこで、準主犯格のBらが加わって、集団で強姦したうえ、顔が変形するまで殴ったり、ライターで皮膚をあぶったりの暴行が行われました。
部屋に出入りしていた少年は、十数人いました。なかには「面白いものがあるから見に来いよ」とAに誘われ、集団での強姦に参加した者もいます。
では、なぜ彼らは警察に通報しなかったのかといえば、AやBを恐れていたのもあるけれども、女子高校生が監禁され、暴行されている事態を深刻に考えていなかったのではないかと思います。というのも、AとBは性犯罪を日常的にやっていました。そのため、まわりの少年たちは、いつものことくらいの認識でいたのかもしれません。実際、この事件で少年院に行ったFは、「まさか殺人までやるとは」と言っています。
事件現場となったCの家の母親も、女子高校生に会っています。母親は、食事を出したこともあれば、被害者のカバンからアドレス帳を見つけて自宅に電話をかけ、様子をうかがったこともありました。またBの母親に、被害者の女性が家にいることを伝え、「何か事件が起きそうだ」と相談しています。そこまでしていながら、警察への通報はしませんでした。
たらればを言っても仕方がありませんが、誰か一人でも本気で事件を止めようとしていれば、被害者は殺されることはなかったんです。
――そうして殺人にまで至る事件ですが、『償い』はその後の加害者たちが主題です。被害者の父親は、裁判で加害者に対して「一生をかけて償ってほしい」と言います。
山 たとえばBは、「できるだけ償いたい」と裁判で述べます。けれども2004年に再び事件を起こした時、検事に「(コンクリ詰め殺人事件は)償ったのか?」と問われると、彼は「今思うと、(償ってきたとは)思いません」と答えます。
そうした態度のBであっても、遺体の遺棄現場には何度か行ったと、彼の母親は僕の取材に答えています。それが事実なら(償いとは別に)被害者を悼む気持ちくらいはあったと思う。その感情を生涯、持ち続けていたかはわかりません。
――たとえば、加害者が仏壇に手を合わせたいと言ってきても、家に来られるのは嫌な遺族もいるだろうし、同じ空気を吸いたくない遺族もいる。
山 罪を償うというのは、実際、難しいことだと思います。誰が「償った」と判定するのかといえば、被害者や被害者遺族になる。ただ、被害感情も人それぞれです。僕は多くの被害者遺族を取材して来ました。遺族の中には、事件から早く立ち直りたいと思う方もいますし、「加害者には死んで欲しい」とずっと言い続ける方もいます。
ある遺族は、刑事施設を出た後に月命日に毎月お参りに来る加害者に「君はもう償ったから、もう来なくていいよ」と言うんです。償いに、答えはないと思います。けれども、答えがないからといって、どうすれば償えるかを考えなくていいのかというと、そうではない。答えのないことを考え続けることが、償い続けるということなのではないでしょうか。この、続けるということが大事なんだと思いますね。
――同じく、被害者遺族の取材を続けているノンフィクションライターの藤井誠二氏の『贖罪』(集英社新書)に、被害者遺族は、加害者からの謝罪の手紙の表現が拙かったり、極端なまでの美辞麗句であったりすることで、かえって傷ついてしまうとあります。
山 現在、「心情等伝達制度」というものがあります。これは2023年に始まったものですが、被害者やその遺族が、刑務所などの施設に収監されている加害者に対して、自分がどんな思いでいるのかを伝える制度です。それに対して加害者がどう思ったのかを聴取することもできます。
この時、自分の罪に向き合っていない加害者が、「被害者が悪い」みたいなことを言って、遺族を傷つけることがある。刑務所にちゃんとした更生プログラムがあって、加害者が償いの言葉を持つことができれば、そうやって被害者遺族が傷つくことはないんです。
被害者の権利は、昨年亡くなられた「あすの会」(「全国犯罪被害者の会」)の岡村勲弁護士(逆恨みで家族を殺害された被害者遺族でもある)らの根強い努力で、法的に認められるようになりました。
一方で、加害者との関係をどうしていくのかについては、まだまだ議論になっていないのが実情です。
――この事件にはデマの被害者もいます。コンクリ詰め殺人事件に限らず、報道の萎縮がデマを生むように思いますが、少年を守る名目の少年法が、デマを生むこともあるのでは?
山 それはそうだと思う。デマは、情報の空白地帯に起きるんです。
現在、僕は北海道放送にいるのですが、たとえば旭川市で起きた女子中学生いじめ凍死事件があります。この事件は「文春オンライン」が独自に報じていったのですが、われわれ地元メディアは遺族になかなか取材ができず、新聞・テレビは報道さえできなかった。すると、「こいつが犯人だ」などといったデマが次々と生まれ、どんどん広がっていった。迷惑系ユーチューバーが校長の家に行くなど、旭川の町がものすごく混乱しました。
コンクリ詰め殺人事件も現在、ユーチューバーによる興味本位の動画が流されたりしています。なかには、デマもあれば、被害者の尊厳を傷つけるようなものまであります。
――『償い』は、報道とネットの問題にも言及されています。山さんがこの事件を最初に取材したものが放送されたのは、2000年11月28日。ネット世論に浮かれて政変を起こそうとして失敗した「加藤の乱」もその月のこと。いわばネットの時代の幕開けの頃です。
山 当時の「2ちゃんねる」には、もちろん真偽不明の情報もあったけれども、それでも、しっかりと番組を見たうえでの意見や批判が書き込まれていました。今は、番組や記事を見ずにタイトルだけ見てコメントするものが多い。とくにYahoo!ニュースのコメント欄がそうです。
きちんと見たり読んだりしたうえでの感想ならいいのですが、加害者を取材したものというだけで、「こんなやつは死ねばいい」とか「取り上げる価値なし」と反応している。それでは、何の議論も生まれませんよね。
――今日のメディアは、賛否両論の否を恐れ、否の反響を炎上と捉えて、それを回避しようとする傾向にある?
山 先日亡くなった久米宏さんは、「ニュースステーション」のキャスターをしていた当時、「批判の声は多ければ多いほどいい」と言っていました。報道に対して、誰からも反応がないことほど、つまらないことはありません。賛成もあれば、反対もある。それで議論が湧き起こるんです。人々の感情をゆさぶることが大事だと思っています。
ところが、いつからか、報道する側が批判をものすごく恐れるようになっています。
――記者バッシングもありますね。
山 最近の話でいうと、アイヌ差別のヘイター(差別主義の活動家)たちのデモに取材にいくと、彼らもカメラを持っていて、僕ら報道の人間を撮影します。「北海道放送の山が来た」とネットにアップされる。あるいは、番組のスポンサーに電話して「山を辞めさせろ」と圧力をかける。
それでも彼らのやっている行為は無視できないので、僕は取材するんです。
でも、若い記者は好き好んでそういう相手を取材したくはないでしょう。だから僕は現場に彼らを連れて行って、僕がヘイターたちの矢面に立つようにして、取材現場を見せるようにしている。そうやって、免疫をつけようとしているんです。
記者が誹謗中傷に遭う時代だけれども、それでも取材して報じていく記者を確保していかないといけない。そうしないと、どのメディアも取り上げない問題が生まれます。報道の空白地帯が生まれると、この間の兵庫県知事選のように、デマによって選挙戦がゆがんだものになったり、自殺に追い込まれる方が出てしまう。
――山さんの取材の仕方について聞きます。Bの義兄は04年に取材を受け、それから20年後に山さんに電話してきて、Bの死を伝えます。こうしたことから、山さんは取材の前後が丁寧なのだろうと想像します。たとえば本書には取材依頼の手紙が多く出てきますね。
山 取材したい相手に、事実を知りたいということと、それを正確に報じたいということがきちんと伝われば、取材に応じてくれることもあるんです。
たとえば森達也さんがオウム真理教を取材した「A」(1998年)というドキュメンタリー映画がありますね。この作品は森さんが教団の内部を撮ったものですが、オウムの広報部長が言うには、正式な手紙での取材依頼が来たのは森さんからが初めてだった。それ以外はいきなり押しかけて来るか、隠し撮り。それで、手紙を送って来た森さんの取材を受けたという話があります。
相手の立場になって考えると、どんな考えを持っているのかわからない人間がいきなり家に来て、「今の気持ちを聞かせて欲しい」と言われても、それは受け入れられないですよね。では、どうすれば、相手が僕に対して心が動くのか。それを考えた時、手紙に自分はどんな人間で、どういう動機で取材しようとしていて、どういう方法で、なにを聞きたいのか、事細かに書いて、それで初めて検討してもらえるきっかけになるのではないかと思うんです。
それはメールでも無理だし、電話でも無理だと思う。長い手紙を書くことしか、僕には方法が見つけられなかった。だから、手紙を書いてきました。
――Bの死を義兄に知らされた山さんは、再犯で服役してから死に至るまでの轍を取材します。現在の勤務先の北海道放送ですが、そもそも東京で起きた事件を取材するのは、社内的には大丈夫だったのでしょうか?
山 北海道では当時、旭川で女子高校生を橋から転落させた殺人事件や、江別での男子大学生強盗致死事件が起きて、少年犯罪が注目されていました。だから、女子高生コンクリート詰め殺人事件と北海道は、かろうじて細い糸でつながっていた。くわえて少年法が改正(2022年)されたばかりでした。
コンクリ詰め殺人事件は、少年事件の原点のような事件です。そういう背景もあります。
それに北海道放送は、おおらかなところがあるから、できた面もある。これがもし他の局だったら、できなかったかもしれない。たまたま運よく、そういう局にいる人間が、Bの死を知った。それで取材して放送することができた。
でも、たまたまでいいのか、とは思いますね。
――『償い』の読後感として、山さんは新聞社・テレビ局のプロパーではないからこそ、関係者を取材し続け、取材開始から25年を経て、一冊のノンフィクションになったように思います。
山 そうですね。僕は制作会社出身なので、テレビ局のしきたりや記者クラブの制度などに染まっていない。「いい取材ができたら、それでいい」という現場主義でやって来た。残業代が出るとか出ないとか関係なく、自分が興味を引かれることには、どこにでもカメラを片手に取材に出かけて来ました。
会社の業務時間内だけで仕事をしていると、みんなと同じことしかできなくなってしまう。もちろん、そういう生き方もあります。みんなと同じことを確実にやる、ルーチンワークをやることも大事だと思う。だけど、今のままの形で、新聞・テレビ・出版が、あと何年あるのか分からない変革の時代に、あなたは10年後、胸を張れる仕事を何回できていますか、と言うことだと思います。
写真=橋本篤/文藝春秋
(urbansea)