プロポーズから、わずか2日後。21歳のうーたんさんを襲ったのは、10万人に6例未満と言われ、診断や治療が難しいとされる希少がんという過酷な現実でした。幸せの絶頂で突きつけられた現実。「どうするかはあなたの気持ちを尊重したい」と涙ながらに告げた彼女に、彼が返した言葉、ふたりで泣き崩れた夜を越え、彼らが導き出した「答え」とは。
【写真】「がん告知の2日前」長年つき合った彼からプロポーズを受けたときの記念写真ほか(全12枚)
── 大学生のころに耳下腺がんステージ4と診断、現在も闘病を続けながら、Youtubeで自身のがんについて発信しているうーたんさん。症状が出始めたのは高校生のころだったそうですね。
うーたんさん:たしか高校2年生のころだったと思うのですが、右側の首の胸鎖乳突筋のあたりにギュッと押すような痛みを感じるようになりました。常に痛いというよりは、静かにしていると痛む感じです。テスト前など机に向かって同じ姿勢でいることが増えたのもあって、肩こりの延長なのかなと思っていました。それで湿布を貼ったり肩を揉んだりしてやり過ごしているなかで、整形外科を受診しました。
── 整形外科ではどんな診断が出たんでしょうか?
うーたんさん:レントゲンを撮ったのですが特に異常はなく、首の骨が少しグラつきやすいのかもしれないという診断でした。湿布の貼り薬や痛み止めを処方されて使っていたのですが、症状は1、2年経っても改善しませんでした。
大学生になると、ほおにビリビリとした痛みや耳の下あたりから顎をグッと押されるような痛みが出てきて、耐えるのがつらいほどの痛みになっていました。いちばんひどいときだとなかなか寝つけず、夜も痛みのせいで20分に1回起きてしまうような状況でした。
それで「これは肩こりなどではなく他に原因があるんじゃないか」と思い始めたんです。神経内科や耳鼻科などいろんな病院を受診して診てもらったのですが、受診のたびに違う診断が出ていました。
── たとえばどんな診断がありましたか?
うーたんさん:神経内科では三叉神経痛だという診断を受けました。ただ、これは間違っていなかったようで、耳下腺の腫瘍が神経を押すことで三叉神経痛が起きていたみたいです。そのため、神経痛の薬を服用することで痛みが少しやわらいだ時期もありました。
── 原因不明で痛みも強くなってと、うーたんさんもご両親も不安だったと思います。
うーたんさん:幼い頃から大きな病気をしたことがなく、学校もずっと皆勤賞という人間だったので、初めのころはあまり深刻には考えていませんでしたね。ただ、はっきりとした原因がわからないまま痛みが強くなっていったことで、何の病気なのかという不安よりも、早く病名を知って早く治療を始めたいという気持ちになっていました。両親も最初は肩こりだと思っていたので大ごとと捉えてなかったそうですが、睡眠にまで影響が出るようになり、だんだんと心配になったようです。
── がんだとわかったのは21歳のときだったそうですね。
うーたんさん:大学4年生の夏ごろに、もしかしたらこの痛みは顎関節症かもしれないと思い歯科を受診したんです。そうしたら、レントゲンに白いものが写っていて、腫瘍の疑いがあるからすぐに大きな病院で検査を受けてください、と言われました。
その後、大きな病院で診てもらったところ、触診や歯科で取ったレントゲンをもとに「右の耳下腺に腫瘍がありそうだ」ということになったんです。それで、すぐに注射で組織を取り、検査の結果を待つことになりました。ただ、お医者さんからは、「耳下腺の場合、腫瘍が良性であってもその後悪性になる可能性が高く、基本は手術で取る方針です」と説明を受けました。
耳下腺は耳の前のところにあって、顔面神経が通っている場所でもあるんです。そのため耳下腺を取るとなると神経の一部も取ることになり影響が出て顔が変わってしまうことや、自分の体から神経や骨を移植する大きな手術になるという説明も受けました。神経を取ることで顔が変わると聞いて、悲しかったです。
── 検査の結果はどうだったのでしょうか?
うーたんさん:良性とも悪性とも言いきれないグレーな結果で、もっと検査をしないといけませんでした。その後、詳しい検査をするための準備として心電図や採血、全身のCTを撮ってもらう中で肺への多発転移が判明したようです。その後、さらなる検査を経て、10万人に6例未満と症例が少ない希少がんである頭頸部がんの一種、耳下腺がんのステージ4だと告知されました。
── 聞いたときはどんな気持ちで受け止めましたか?
うーたんさん:診断を聞いたのが、耳下腺の手術の話をする診察のときだったんです。なので、そのとき、私は顔の手術についてしか考えていなくて。やっと手術を受けようと決心した段階だったので、予想もしていなかった遥か彼方から話が降ってきた感覚で、状況を理解するのに精一杯でした。今思うと、悲しいとかショックだといった自分の気持ちは追いてけぼりでしたね。
そのとき、さらに先生からは、肺に転移した腫瘍の種類によって進行の速度や薬の効き目が違うため、長く生きられる人はたくさんいるという話と同時に、最悪の場合には1、2年で生活に支障が出る可能性もあるという説明を受けました。
── 21歳という若さで、酷だったと思います。
うーたんさん:考えていた将来像やキャリアプランが全部なくなってしまったという感覚でした。それまでやりたいことがいっぱいあったはずなのに、これから自分がどれくらい元気でいられるか予測がつかないから、最低限やっておきたいことや優先すべきことがわからなくなりました。
── 告知の2日前には、恋人の方からプロポーズを受けていたと伺いました。
うーたんさん:そうなんです。長年つき合っていた彼がいて、病気がわかる前から「大学4年生のときにプロポーズをしようと思っている」と言われていました。おそらく彼としては大学卒業くらいのタイミングを考えていたと思うんですが、夏ごろに私の病気がわかり、手術で顔が変わってしまうかもということになってしまって。それで、彼は「顔が変わったあとよりも、これまでの顔でプロポーズの写真を残したいだろう」と私の気持ちを考えてくれて、手術の前にプロポーズしてくれたんです。
── 彼としても、手術もふたりで乗り越えていく覚悟だったのですね。
うーたんさん:たとえ手術で顔が変わったとしても、リハビリを頑張って、結婚して子育てをして…と、ふたりで新生活への想像を膨らませていたんです。顔のことも心配だったけれど「前を向いていくぞ」とポジティブな気持ちになっていたときに肺の転移の話を聞いたので、彼への申し訳なさでいっぱいでした。
若いうちから婚約をするって、彼の方でも相当な覚悟が必要だったと思うんです。そんな彼の気持ちを考えると、私の人生に巻き込んで彼をどん底に落としてしまったと思いました。
── うーたんさん自身もつらいのに、大事な人に話さなくてはいけなくて苦しかったと思います。
うーたんさん:もともと告知された日の夕方にカフェで会う予定だったのですが、いざ会ってもなかなか言い出せませんでした。カフェを出てからもずっと言えずにいたら、彼もなにかただごとではないと感じたようで、人通りの少ないところで「どうしたの?」と聞かれて。それでやっとがんであることや肺への転移について説明しました。話しながら私も彼も涙が止まらず、ふたりで号泣しました。
自分でもまだ受け止めきれていませんでしたが、病気になったことはしょうがないと思うしかないし、そのことを彼に押しつけたくないと思っていたので、彼には「婚約して2日しか経っていないからすぐに考えられないとは思うけれど、どうするかはあなたの気持ちを尊重したい」と伝えました。
── 彼も驚いたでしょうね。
うーたんさん:彼も私と同じで、事実として理解はできるけれども感情は追いついていなかったと思います。それでも「俺はそんなんじゃ気持ちは変わらないから。今後も一緒に頑張っていくつもりだよ」とすぐに言ってくれて…。すごくありがたかったです。その足で、彼の両親にも会いに行って状況を説明しました。自分の口から伝えることで誠意を伝えたくて。ご両親も驚きながらも状況を理解し、まず頑張ろうと話してくださいました。
それからしばらくして耳下腺の手術を受け、現在も転移した胸の腫瘍には抗がん剤の投与を続けています。彼は、今も私が入院するときは面会に来てくれて「簡単なことではないけれど変わらず一緒に頑張っていこう」というスタンスで支えてもらっています。
── 告知から約1年半、現在も治療を続けているなかで、Youtubeで闘病の様子を発信していらっしゃいます。うーたんさんがみなさんにいちばん伝えたいことはなんですか?
うーたんさん:私のように発見が遅くなる人を減らしたくて、違和感があったらとにかく病院に行ってくださいと呼びかけています。また「病院に行って診断がついたし、もらった薬を飲んでおけば大丈夫」とは思わず、症状が改善しない場合には違う病院に行くなど対処をして、体の違和感を見逃さないようにして欲しいです。

みなさんも、人生のなかで「大切な人の幸せ」をいちばんに願い、自分自身のあり方を深く考えた瞬間はありますか。今、あなたの大切な人に伝えたい想いなどがあれば、ぜひ温かい言葉で聞かせてください。
取材・文:阿部祐子 写真:うーたん