10月28日、さわやかな秋空の下、元赤坂の赤坂御苑で天皇皇后両陛下が主催される秋の園遊会が開催された。
会場をのぞめる小高い丘の上で並ばれた天皇皇后両陛下をはじめとする皇室の方々。女性方は色鮮やかなセットアップと帽子をお召しになっていた。
「丘を降りた皇室の方々は、まず一列になって、招待者のなかから選ばれた人たちと懇談されます。今回は競馬騎手の武豊さんや陶芸家で人間国宝の山岸一男さんらでした。
それから各方面へ歩かれて、ほかの招待者たちとお話しになるのですが、常陸宮妃の華子さまと、三笠宮家の瑶子さまは武豊さんらとの懇談を終えると、園遊会の会場から退出されたのです」(皇室担当記者)
実は華子さまの“途中退出”は、当日取材を担当した記者たちには知らされていたという。だが、瑶子さまの退出は園遊会の取材現場での発表だった。
「両陛下、皇族方がお出ましになる直前に宮内庁職員から『華子さまと瑶子さまはお声がけが終わりましたら、列を離れて直接お帰りになります』と、アナウンスがあったのです。
華子さまは85歳で腰痛にも悩まれているそうで、広い赤坂御苑の会場をお歩きになるのは難しいことは周知のことです。しかし“なぜ瑶子さまも退出するのか?”と、疑問を感じた記者たちもいたのです。
職員に理由を聞いていた記者もいたそうですが、その職員も理由は聞かされていないようでした。
実際に武豊夫妻と明るい表情で話されていた瑶子さまが退出される際には、いぶかしげな表情をしている職員もいたのです」(前出・皇室担当記者)
なぜ瑶子さまは、ほかの方々より先にお帰りになられたのか? 宮内庁関係者は次のように語る。
「園遊会は両陛下のご主催であり、皇室の方々にとってかなり優先度の高い行事です。もちろんほかにご公務がある場合もありますが、そのときは『この後、ご公務があり……』といった説明になることが多いです。
しかし、そうした説明がなかったのは、瑶子さまのご体調の問題か、お気持ちの問題と思われます」
昨年11月に三笠宮妃百合子さまが薨去されて以来、決まっていなかった三笠宮家の後継者問題は9月30日に決定した。
「長女・彬子さまが三笠宮家当主として祭祀を継承され、母・信子さまが『三笠宮仁親王妃家』を創設し、その当主になられたのです。
お三方が同じ家で生活することを望んでおられず、それぞれ独立した生計を営むことも検討されており、次女・瑶子さまも期待されていたようです。
しかし結果は、瑶子さまは独立できず、姉の彬子さまと同じ三笠宮東邸にお住まいになり続けることになりました。瑶子さまご自身は、三笠宮家に貢献してきたというご自負もあり、この裁定には衝撃を受けられたと聞いています」(前出・宮内庁関係者)
丘の上で一堂に会されたときも、彬子さまと瑶子さまはお隣に並ばれていたにも関わらず、目を合わせることもせず、特に瑶子さまは厳しい表情で立たれていたのだ。
「各場所で招待者たちとお話しする際には、天皇皇后両陛下と皇族の方々で、2ルートに分かれました。そして皇族方によるお声がけでは、秋篠宮ご夫妻と彬子さまのグループと、愛子さま、佳子さま、信子さま、久子さま、承子さまのグループになられていました。つまり信子さまと彬子さまは、しょうぶ池前では別々のグループだったのです。もしかすると瑶子さまには“どちらにも入りたくない”というお気持ちがあったのかもしれません」(宮内庁関係者)
ご家族の確執の、秋晴れのようなさわやかな解決は、望むべくもないのか。