【全2回(前編/後編)の前編】
皇室では40年ぶりとなる男性皇族の成年式が、9月6日に執り行われる。この日が19歳のお誕生日でもある秋篠宮家の長男・悠仁さまは朝から儀式に臨まれ、夜にはお身内による私的な祝宴が催される。が、いとこにあたる愛子さまは、この宴を欠席されるというのだ。
***
【写真15枚】首がすわりきらない時期の赤ちゃんをそっと支えつつ…圭さんも嬉しそうな「ウインドーショッピング」の模様
悠仁さまは当日、モーニングコート姿で天皇陛下の使者から成年の冠を受け取られる「冠を賜うの儀」や、未成年の装束で成年の冠を被られる「加冠の儀」、そして燕尾服で両陛下にごあいさつする「朝見の儀」などに臨まれる。
「宮内庁は7月下旬、一連の儀式や関連行事について発表しました。悠仁さまは『加冠の儀』の後、成年の装束である『縫腋袍(ほうえきのほう)』に着替えられ、儀装馬車に乗って宮中三殿へ拝礼に向かわれます。8月27日には、2頭引きで全長約4.5メートル、重さ1トンのその馬車が公開されました」(宮内庁担当記者)
続けて28日、宮内庁は儀式や関連行事の出席者を公表した。
「主催者である秋篠宮ご夫妻がご招待した方々のうち、皇族では89歳になられる常陸宮さまが欠席なさるとのことでした。また親族として、黒田清子さんや紀子さまの弟の川嶋舟さんらも参列することになっています」(同)
同日の朝、悠仁さまは皇居で成年式の「習礼」(リハーサル)に臨まれていた。
「8月8日にもリハーサルご見学のため宮殿を訪ねられていましたが、28日は儀式の段取りとともに、ご自身の所作の確認を3時間ほどかけて入念になさっていました」(同)
40年ぶりの慶事へ向け、お祝いムードは高まるばかり。が、そんな中、ある“異変”が生じていた。
「式の当日夜の祝宴は、18時半から帝国ホテルで催されます。私的行事の『内宴』という位置付けで、両陛下をはじめ上皇ご夫妻もお出ましになる。ところがこの場に、愛子さまは出席なさらないのです」(前出の記者)
というのも、
「愛子さまは翌7日、新潟県で開催される『防災推進国民大会2025』に臨席なさいます。そのため6日は儀式に参列後、祝宴にはお出にならず夕刻の上越新幹線で新潟に入られるのです」(同)
7日は朝10時半から、能登半島地震の支援や課題に関するセッションを聴講されるという。内閣府などが主催し、今年で10回を数える同大会に、皇族がご出席するのは初めてである。
「その後は市の歴史博物館をご訪問。また翌8日には、2004年の新潟県中越地震で甚大な被害を受けた長岡市の山古志地区を視察なさいます。愛子さまはお勤め先の日本赤十字社でもボランティアの育成にあたられており、今年5月には能登の被災地をお一人で視察なさるなど、防災に関して極めて高い関心を持たれています」(同)
今回のご出席についても、実は昨年から検討がなされてきたと明かすのは、さる宮内庁関係者である。
「天皇ご一家のお世話にあたる侍従職の側近らは、愛子さまが学習院大在学中から、長きにわたって携われるお仕事、つまり“ライフワーク”についてご意向を踏まえながら模索してきました」
24年1月、赤十字社への内定が発表された際に愛子さまは“社会のお役に立つことができれば”とのお気持ちを表明されており、
「福祉やボランティアについての思いは入社後いっそう強まり、10回の節目を迎えた防災推進国民大会へのご出席を早くから希望され、実現に至ったのです。今後は、ご自身の大切な公務として毎年のご出席が見込まれます」(同)
その一方で、図らずも悠仁さまの儀式と「バッティング」してしまったわけだ。同大会への愛子さまのご臨席が発表されたのは8月22日。そのニュースが報じられると、ネット上では、
〈(話題を)全部敬宮様に持って行かれます〉
〈愛子さまが日程をお決めになったわけではないとは思いますが(略)わざわざその日に合わせるのはなあ……と、思います〉
〈何故前泊なのだろうね。愛子さまがお気の毒だ〉
〈宮内庁もなんとか言えばいいのに〉
といった、穏やかならざるコメントが並ぶに至ったのである。
こうした“波紋”が生じてしまう背景には、過去の「両家バッティング」が少なからず影響しているという。
後編【「宮内庁も小室さん側も“無難にまとめた”」 悠仁さまの「成年の祝宴」に愛子さま、小室夫妻が欠席となった「複雑な事情」】では、これまでの「両家バッティング」について振り返る。
「週刊新潮」2025年9月11日号 掲載