14年前に、岡山県内で起きた強姦殺人事件で娘を亡くした父親【画像①】が、岡山県警本部で自身の辛い記憶を語りました。
【写真を見る】殺害された加藤みささん(当時27歳)
2011年9月30日(金)、午後6時半から午後7時半の間(推定)に、加藤裕司さんの長女・加藤みささん(当時27)は、元会社の同僚の元死刑囚の男(当時29)に性的暴行を受け、ナイフで十数回刺され、殺害されました。その後、元死刑囚の男は、遺体を大阪へ運び、バラバラに切断してごみ袋に入れ、川などに遺棄しました。
元死刑囚の男は、2013年2月、岡山地方裁判所で死刑判決を受けましたが、被告側の弁護人の考えで即日控訴しました。しかし、翌月に控訴を取り下げたため、死刑が確定し、2017年7月に死刑が執行されました。【第1回】からつづく(全3回の2回目)。
元死刑囚の男は倉庫に入るなり、鍵をかけ、みささんが気絶するぐらい殴り倒しました。(加藤裕司さん)「抵抗できないように殴り、ここに【画像⑯】ロッカーとロッカーの間に娘は倒れました。あらかじめ、用意してた手錠を娘の両手にかけ、残念なことに娘はここで強姦をされてしまいます」
「おそらく娘は、一体自分に何が起きているのかっていうのが、はっきりとは分からなかったんじゃないかなと思うんですね」「もう呆然とした形の中で、でも時間が経過するにつれて、意識が戻り『あっ、これはひょっとしたら、自分はこのまま殺されてしまうんじゃないか』と多分思ったと思うんです」「娘は、元死刑囚の男に対し、『今起きたことは誰にも喋らないから、無事に返してほしい』という願いをしたそうです。いわゆる命乞いですよね」
「元死刑囚の男は、『このことが世間に知れたら自分は捕まって死刑になってしまう。だから証拠は一切残さない』ということで、しかも娘を生かしては返さないということで、あらかじめ持ってたナイフで娘の胸を数回刺したと」「ところが、なかなか死ななかったと。なかなか死なないと思った元死刑囚の男は、娘の頸動脈をかき切って、頸動脈を切ると血がものすごい出ますよね。それを被ったんだと思うんですけど、大量に血が吹き出て、瞳がふっと閉じたのを見て、『あ、死んだな』と。いわゆる出血死ですかね。これも後の情報で聞きました」
「元死刑囚の男は、亡くなった娘の遺体をここ【画像⑯】の一番奥のロッカーにいったん入れて、モップとトイレットペーパーで血を拭き取り、自分のマンションに帰って、車を取ってきて、トランクに入れてあった毛布に娘の遺体をくるんで、トランクに入れ、その足で大阪に帰ったということでした」
加藤さんの心配はどんどん大きくなり、この時期が一番苦しかったと語りました。(加藤裕司さん)「そのことは、われわれ夫婦は知らないわけで、私は毎日のように仕事で高松に行くわけですけど、心配がどんどん、どんどん大きくなってきて、『あの男は誰なんだろう?』『娘は無事に生きてるんだろうか?』『大丈夫なんだろうか?』って考えるとごはんが喉を通らないんですよね」「寝ようと思っても、寝付けない。寝させてもらってないかもしれないと思うと、寝られない。まったく寝てないわけでも、食べてないわけでもないと思うんですけど…そんな日を過ごしていました」
「一番苦しかったのは、この時期かなと思います。自分の無力さを一番感じる時期なんですよね。何もできないわけです。情報もなければ、娘が助けを求めていても助けることすらできない。親としての役割が果たせていないという思いがものすごく強くなります」「おそらく、多くの被害者の方も同じような思いを持たれたのでは、と思うんですけど。そういう日を過ごしていました」
警察が捜索をしている間、岡山西警察署の人が、一日に3度くらい入れ代わり立ち代わり訪ねてきていたようです。「『何をそんなに心配してくれているんだろうな』というぐらい、わたしたち夫婦は何の事実も知りませんでしたので、すごく声をかけてくれるんだなと思っていました」
「ひょっとしたら、誘拐事件になるかもしれないというので、盗聴マイクを仕掛けて、それに何か録音されていないかとか、体調が悪くてごはんとか、買い物行けないんだったら、代わりに行きましょうかと声をかけていただきながら、過ごしておりました」
警察が会社の倉庫を調べていくと、一番奥のロッカーからルミノール反応が・・・。(加藤裕司さん)「警察は、当然のことながら、もうここ【画像⑲】全部調べるわけですよね。一応、綺麗に血はふき取っているわけですよね」「パッと見た限りでは何もないんだけども、一番奥のロッカーから“ルミノール反応”が出たということで、この血痕は誰の血なんだといいうことで、すぐに我が家に飛んで来られました」
「わたしたち夫婦の口の中の粘膜をとって、DNA鑑定をするということです。驚くほど早い。1日か2日だったと思うんですけど、『お嬢さんの血に間違いがない』と言われました」「それを聞くと、もう動転しますよね。娘は知らない男に連れ回され、しかもけがをしている。もうどんどん、どんどん不安が大きくなっていくんですけども・・・」
約1週間後、岡山西警察署から午後8時ごろに「これからお邪魔していいか?」と電話がありました。「その時、われわれ夫婦は『何か新しい事実が分かったのかな』と期待が半分ありました。だけど、もう半分は、ちょっと説明ができない不安みたいなのがありました」
「多くの被害者の家族というのは、たぶん同じ思いだと思うんですけど、よくテレビドラマで殺人事件があったりしますよね。テレビを観ている我々は、『あ、これ殺されてるよな』って勝手に思ったりしてます」「ところが、自分のことになると『娘が殺されているんじゃないか』などの思いは1ミリもありません。『生きてる』ということしか思ってないんです」「もう『不自由になってても、生きてるんだ』と。そういう思いしかないんです。だから殺されてるという思いは1ミリもないので、そういう意味での不安はほぼありませんでした」
岡山西警察署の人が訪れた際、加藤さんは警察官が下を向いていて目線が合わなかったことから、「ちょっと雰囲気が違うな」と感じました。(加藤裕司さん)「『とても残念なお知らせをしなければなりません』と言われて、ちょっとビクッとしたんですけども」「何も考える暇もなくすぐに、『お嬢さんの加藤みささんは、9月30日の金曜日の晩、午後6時半~午後7時半の間に、元同僚の元死刑囚の男に会社の倉庫内で殺害され、元死刑囚の男はその遺体を大阪に持ち帰り、近所に借りた倉庫で解体し、遺棄されました』という話でした」
「それを聞いたら、妻がワァーッと泣き叫んで倒れたのが雰囲気で分かりました。私は上からすごい圧迫力、声が出ないような圧迫を感じました。涙だけがポロポロポロと流れてました」「どのくらい時間が経ったのか分かりませんが、警察の方にありがとうございましたとお礼を言ってお帰りいただきました」
「署の方は帰られる前に、『署に帰ると記者会見をしないといけません。構いませんか』と言われたんですけども、もう我々に何もすることができないので、『分かりました』とお答えをするだけでした」「しばらく家の中に2人いるわけですけども、何時間かは分かりませんが、部屋に入るなり、妻と目と目を合わすことができませんでした」
加藤さん夫婦は、お互い背中を向けたまま、お互いに何を思っているか分かりませんが、しばらく経って離れたところに住んでいる息子に連絡をしました。「お姉ちゃんが殺されたんだと。すぐ帰って来いって言って帰らせました。親子3人何も語らず、朝を迎えました」
しばらく経ってから、岡山西警察署から電話がありました。(加藤裕司さん)「『お嬢さんの遺体をお預かりしてるんですけど、どうなさいますか』という連絡でした」「『ああそうか、預かってもらってたんだ』と思って、『妻に一緒に行こう』と言ってたんですけど、妻は『もう、よう行かない』って言っていました。息子にお姉ちゃんを迎えに行こうということで行きました」
「迎えに行くと、50cmぐらいの発泡スチールに、透明なビニールに遺体の一部がくるまれておりました。遺体の部分というのは腰回りのごく一部のみでした」「テープで止めてあったので、テープを剥がしていただいて、持ち上げてもいいですかということで持ち上げてみました。色は、もうドス黒く変色して、これが人間の肉体かと言われたら、誰も見た目では分からないだろう、ぐらいの感じでした」
「持ち上げた感触は、私が娘が生まれて初めて抱っこした時の重さよりも軽いなという気がしました。『なんでこんな目に遭わないといけないのか、いったい何を悪いことをしたというのか』という思いが駆け上がってきて、涙が止まりませんでした」「できることなら自分が代わってやりたい、それもできない自分が情けないなとつくづく思いました」
「息子もおそらく、同じような思いだっただろうなと思います。早く葬儀をあげてやらないといけないな、ということだったので、その帰りに斎場に予約を入れ、金曜日がお通夜、土曜日が本葬という形をとらせていただきました」「斎場からは遺体が小さいので、『赤ちゃん用の棺にしましょうか』と言われたんですけど、断って大人用の棺に入れていただきました」「これは妻がものすごく反対しておりまして、実は私は世間に隠れてひっそりと葬儀を行おうと思っていたんです。家族葬でやろうかなと思ったんですけど、妻が猛反対しまして」「『何も悪いこともしてない娘が、この世の最後でなんで人に隠れてそんな葬儀をしなきゃならないんだ』と。最後なら、盛大に葬儀をやるべきだと言ったので、そうさせてもらいました。その通りだなと思って」
「私は、昔勤めてたサラリーマンをしてた時の会社と、その時にお世話になってた会社の2か所だけ電話を入れました。妻は、娘と小学生から大学まで一緒だった親友の子だけに電話を入れました」「その子は『みんなに連絡していいか』と言ったので、『お願いします』と連絡していただいて、びっくりしたんですけど、約650名の方に参列していただきました」
そして、この1年4か月後に裁判員裁判が始まりました。加藤さんは検事から知らされた内容に愕然とするしかありませんでした。【第3回】に続く。