「学校に行くのが当たり前」と考えるのは、もはや“時代遅れ”の「バカ親」なのかもしれない――。
AIやネットが普及した今、学びも仕事も“自分で創る”時代。ホワイトカラー正社員の椅子が激減し、「学歴はこれからの時代、不要になる」と喝破する堀江氏は、親がなすべきは子どもを受験戦争に放り込むのではなく、自主性を尊重し、その挑戦を見守ることだと説く──。
新著『バカ親につけるクスリ』から“ネオ教育論”の核心を抜粋する。
第3回『AI時代を生き抜くには「代替不可能なレア人材になれ!」堀江貴文が説く《100万分の1》の存在になる「唯一の条件」』より続く。
首都圏を中心に、中学受験が盛り上がりを見せている。子どもの人数は年々減っているのに、東京都などは受験者数が増えている。世間のブームに乗り遅れまいと、子どもの適性を考慮せずに中学受験に参入する親は、バカ親だ。
世の中には、中学受験が無意味なタイプの子どももいる。はっきり言えば、学力の低いタイプだ。
小学2年生や3年生で文章をきちんと読めておらず、傍から見れば学力的に「絶対無理だろう」とわかるのに、偏差値の高い学校に入るための受験塾に行かされているような子は、むしろ可哀想だ。塾の時間は地獄でしかない。
僕は勉強に向いているタイプだが、向いていないものもあった。柔道だ。
小学生のとき6年間、僕は母親から無理やり柔道を習わされた。柔道なんか全然好きじゃないし得意でもないから行きたくないのだが、ズル休みは母親が許してくれず、サボリがばれたら激怒された。週3回の柔道の時間は、苦痛でしょうがない、まさに地獄の時間だった。
子どもによって、こうした適性は違う。親はきちんと適性を見た上で、中学受験に参入するかどうかを考えているのだろうか?
学力の高低は、足の速さと違ってはっきりと目に見えないから、親は「努力すればなんとかなるはず」と、期待することを諦められないようだ。しかし小学5年、6年、中学生、高校生……と、年齢が上がるにつれ、その差は縮まらないことは次第にわかってくる。
なんとか志望校に受かっても、中学・高校の間、成績は集団の中で下のほうのレベル。 向いていない勉強を必死にやって大学受験をし、就職をする。その後どんな仕事があるだろうか?
ChatGPTは今すでにIQ100と、人間の平均域に達しているのだ。2025年に中学受験をした子が大学を卒業するのは2035年。AIは今よりさらに進化しているだろう。
仕事はAIがメインで行っていて、人間はAIを使いこなしつつ、週休4日でほとんど働かなくていいといった状況かもしれない。
だからこそ、勉強が苦手なタイプは、今無理をして勉強を詰め込む必要なんてない。思いっきり遊びに没頭し、自分の好きなことは何かを突き詰めよう。それを将来の仕事にしていけばいいのだ。
親は自分の思い込みや願望を捨て、子どものありのままの姿を見ることで、その子ども自身が何を望んでいるのか、理解すべきだ。
一方で、勉強が得意な子は、本人がやりたいなら中学受験をやってもいいだろう。
勉強が得意な子とは、そんなに努力しなくても勉強のコツがわかる子だ。そういう子は、塾で難しい問題を解くのも楽しめるし、受験にも大して苦労をしない。
僕自身は中学受験を経て、私立の久留米大学附設中学校・高等学校という中高一貫校に進学した。現在は共学校となっているが、当時は男子校だった。寮もあり、九州で成績のいい男子は、この久留米附設か、鹿児島県のラ・サール学園に進学したものだ。
僕は田舎の公立小学校があまりにもつまらなかったので、中学受験をしたことは結果的に良かったと思っている。
クソつまらない家で百科事典ばかり読んでいた僕は、通知表の素行欄に「協調性がない」とよく書かれるものの、勉強はダントツにできた。そして小学3年のときの担任・星野先生の勧めで、久留米市の進学塾に通い始めた。
塾の授業は楽しかった。今振り返れば、中学受験塾の先生たちの授業が一番上手だった。集中力のない小学生たちに聞いてもらえるよう、工夫して授業を進めてくれていた。
そして進学校の久留米附設に合格したおかげで、八女の山奥に閉じ込められる日々から脱出することに成功したのだ。
小学生で、テレビや百科事典くらいしか情報源のなかった当時の僕が、中学受験という選択肢に自発的に気づける可能性なんて、99%なかったと思う。高卒の両親にも、中学受験という選択肢は思いもつかなかったはずだ。
そうした意味では、「あなたがいるべき場所はここではない」「中学受験という道がある」と僕に教え、温かく導いてくれた星野先生には感謝しかない。
子どもには金を出し、口や手は出すな。
こう書くと、「金がない家庭はどうすればいいんだ」という声が聞こえてきそうだ。もちろん、金銭的に可能なライン、不可能なラインは、家庭によってそれぞれだろう。
「30万円の楽器を買って」と子どもに頼まれてすぐに買える家もあれば、買えない家もある。そのときは、親が代案を出すのもありだ。「その楽器は買えないけど、楽器レンタルサービスで楽器を借りて、月々の代金を支払うことはできるよ」といった具合だ。
また、子どもに高額なモノを欲しがられてそんなお金はないというのなら、子ども自身が金を稼いだっていい。
僕は中学生時代、プログラミング用のハイスペックなパソコンが欲しくて、新聞配達のアルバイトをした。なかば諦めつつ親に相談したところ、「お金を貸してやるから、新聞配達のバイトで返せ」と言ってくれたからだ。
雨の日も雪の日も、朝5時に起きて自転車をこぎ、100軒以上もの家に新聞を配るのは過酷な作業だったが、プログラミングにのめりこんでいた僕は、パソコンとその借金返済のために頑張ることができた。
今はアルバイト以外にも、クラファンなど、金を稼ぐ手段は多様化している。子ども自身も知恵を絞って、収入を増やせばいいのだ。
家計が苦しい家庭の子どもは、スポーツや旅行、音楽活動などの体験ができず、他の子たちとの「体験格差」が生まれているということが近年注目されている。
公益社団法人「チャンス・フォー・チルドレン(CFC)」の調査では、世帯年収300万円未満の家庭の子どもの29.9%が、直近1年間で学校外の体験をまったくしていなかった。
ひとり親家庭などでは、体験に払う金も、情報収集をする時間も不足しているだろう。しかし子どもが「やりたい」ということに関しては、親子で行政サービスなどの情報を収集するなどして、できる方法を模索してほしい。
僕の子どもの頃の実家も、それほど裕福ではなかった。しかし母親がボランティア団体「少年の船」の格安研修旅行に申し込んでくれて、子どもたちだけで船で沖縄に行き沖縄の子どもたちと交流をしたり、これまた母親が見つけてきた地元の郷土劇団に入って、演劇活動をしたりしたものだ。
子どもはさまざまな体験を重ねることで、自分の適性や可能性を少しずつ見出していく。
第2章に書いたように、これからは学歴よりも「学び歴」「体験歴」が重視されるようになるはずだ。ロジカルシンキングもクリエイティブもAIがやってくれる時代、多くの人と触れ合う体験を増やすことこそが、人間ならではの強みに直結するのだ。
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