天寿を全うしたように見えた。だが、違った。それは、亡くなる必要のない「もったいない死」だった――。寝室、お風呂、トイレ、食卓。高齢者の身近に潜む「死の落とし穴」。その“毒牙”をいかにして回避するか。法医学者は知っている。最期に悔いない方法を。【高木徹也/東北医科薬科大学教授】
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【写真を見る】死の引き金になる「意外な食品」とは
がん、心疾患に続き、現在「老衰」が日本人の死因の第3位の座を占めています。人生100年時代に天寿を全うして死ねるなんてうらやましい――そう思う人が多いかもしれません。
しかし、法医学者の立場から、私はこの現状にやや違和感を覚えています。果たして、本当にそんなに多くの人が老衰で亡くなっているのだろうか、と。
例えば、それまでピンピンしていたお年寄りが、10日ほど前から寝込むようになり、布団の中で最期を迎えた場合、老衰で大往生を遂げたと受け止められるケースが多いと思います。しかし、解剖してしっかり死因を調べてみると、「慢性硬膜下血腫」によって亡くなったと判明することがあります。
実はその高齢者は、押し入れの下のほうに布団を仕舞おうとした際、上下の仕切り板にちょっと頭をぶつけていた。そのため、脳表面にある架橋静脈という血管が切れて出血が起こり、脳が圧迫されて最終的に死に至ってしまった。でも、ちょっとぶつけた程度なので、目立った外傷も、自覚症状もなかった……。
これは老衰や病死ではなく、ケガによって生じた外因死です。しかし、解剖が行われないと老衰として処理されてしまう。これでは、脳萎縮が進み架橋静脈が常に引っ張られ、切れやすくなっている高齢者にとっては、ささいな頭部打撲が致命傷になりかねないという予防医学としての情報が周知されません。
このように、高齢者の身の回りには、老衰の陰に隠れた「死の落とし穴」が至るところに潜んでいます。この現実をもっと知っていただきたいと思うのです。
〈こう話すのは、東北医科薬科大学医学部法医学教室の高木徹也教授だ。これまで5000体以上の遺体を解剖し、不審遺体の解剖数としては日本で一、二を争うほどの経験を持つ「死因究明」のプロである。
そんな高木氏には、よくよく死因を調べてみると、「たかがこんなことで死にたくなかった」という“死者の声”が聞こえてくることがあるという。それはすなわち、「気を付けていれば防げていたかもしれない死」であり、「もったいない死」でもある。
高木氏が、解剖を行う法医学者の視点から、高齢者の身近に隠された「寿命を縮める要因」について続ける。〉
慢性硬膜下血腫の話と同じく、布団の中で亡くなったものの老衰ではないケースとして、「転倒が引き金の死」が挙げられます。
転んだくらいでは、骨を折ることはあっても死ぬことはない。そう高をくくるのは禁物です。骨密度が低下した高齢者が転倒すると、大腿骨などの大きな骨が折れやすく、そのまま動くことができずに布団の中で寝たきりとなり、肺炎などを併発して死んでしまうことがあるからです。布団に寝たまま“大往生”を遂げていても、死後に撮影したエックス線画像で大腿骨が折れていることが分かれば、私たち法医学者はこれを老衰とは判断しません。
従って、高齢者はとにかく転倒を防ぐことが大事になってくるわけですが、年を重ねるとふくらはぎなど足回りの筋力が低下してつま先が下がる「下垂足(かすいそく)」になりがちで、そのため、ふとしたことでつまずきやすくなってしまいます。足を前に踏み出す際に太ももやつま先をしっかり上げて歩くことで、下垂足による転倒リスクを低減し、「死の落とし穴」を避けることを心がけてください。
次に近年、高齢者が“死に至る病”として恐れているものの一つであり、日本人の死因の第6位に位置する「誤嚥性肺炎」について取り上げたいと思います。
高齢者が誤嚥しやすい理由としては、咀嚼(そしゃく)力の低下だけではなく、誤嚥を防ぐ「咳嗽反射(がいそうはんしゃ)」の力の衰えが挙げられます。食べ物が誤って気道に入ってしまった際、脳が「これは気道ではなく食道に入るべきもの」と判断し、とっさに「むせる」ことによって、私たちは誤嚥を防いでいます。この「むせ」を医学的に咳嗽反射と呼ぶのですが、動脈硬化などが進んだ高齢者の脳の中には、ごく小さな脳梗塞ができているケースが少なくありません。
自覚症状はなく、命に関わる状態でもないものの、その脳梗塞は咀嚼や嚥下、そして咳嗽反射の機能を低下させてしまいます。結果、食べ物が誤って気道に入っても、むせることができずに肺に至り、誤嚥性肺炎となってしまうのです。
そして、咳嗽反射が十分にできないことの恐ろしさは、餅などのいかにものどに詰まりやすそうな食べ物に限らず、一見、飲み込みやすそうな食べ物でものどに詰まってしまう点にあります。
例えば「パンによる窒息死」です。あんなに柔らかいものがのどに詰まることがあるのかと思われるかもしれませんが、咀嚼力が低下した高齢者は、パンのようなものでも小さくかみちぎることができず、それがスポンジのように水分を吸収して膨らむと、気道の入り口が完全にふさがれてしまうのです。食べ物をのどに詰まらせて亡くなる人の約7割は80歳以上とされています。高齢者は「たかがパン」にも注意が必要です。
なお、「温度の高い飲料」は、脳が飲み込みやすいものとして判断し、誤嚥しやすいため、熱いお茶はできるだけ冷まして飲むようにしてください。80度などの熱々のお茶は避け、60度以下がよいでしょう。
これからの季節で特に気を付けたいことに熱中症があります。光熱費を節約しようと、エアコンをつけるのをケチって熱中症になり亡くなってしまう。熱中症による高齢者の死亡というと、こんなケースを思い浮かべるかもしれません。しかし、中には「熱中症対策で暖房をつけて死亡」してしまう高齢者がいます。
信じられないかもしれませんが、目が悪い高齢者は、エアコンの冷房スイッチを押したつもりが暖房スイッチを押していたということが起こり得るのです。そして、知覚が鈍麻(どんま)しているせいで、暑い最中に暖房でさらに体が温められていることに気付かず、脱水症状に陥って亡くなってしまうのです。
高齢者にとって知覚鈍麻は大きな問題です。若い頃は「熱いものは熱い」、「冷たいものは冷たい」と感じられたものが、加齢に伴いその感覚が鈍ってしまい、正しく温度を感知できなくなる。熱いお風呂もその一つです。45度などの高温のお風呂に漬かっている高齢者の中には、「長年の経験で、熱いくらいがちょうど気持ちよく感じられるようになっている」「今どきの若者とは根性が違うから平気」などと言う人がいますが、実は知覚鈍麻によって熱さが正常に感じられなくなっているに過ぎません。
熱さを正しく感じられずにお風呂に漬かっていると、そのままウトウトして湯船の中で寝てしまい溺死に至るケースがあります。実際には、これは「寝ている」のではなく、高温によって血管が拡張し、脳への血流が低下したことによる「気絶」です。「熱いお風呂に漬かり気絶して溺死」を避けるには、当然のことながらお湯の設定温度を低めにする対策が必要です。
なお、湯船の中で亡くなっていた場合、私たち法医学者は口から泡を吹いているかどうかに注視します。気絶した上での溺死の場合、まさに気を失っているので肺に水が入ってくることに気付かず、体が抵抗反応を示すことはありません。
一方、意識がある状態で肺に水が入り込んでくると、体は自然と水を吐き出そうとする抵抗反応を示します。つまり「もがく」ため、入り込んでくる水と肺の中にある空気が攪拌(かくはん)され、口からきめの細かい泡が出てくるのです。
従って、お風呂で眠るように亡くなっていた場合でも、ご遺体の口から泡が出ていれば、気絶による溺死ではなく、“誰か”によって強制的に沈められた事件の可能性が大なのです。
高齢者にとって、お風呂と並ぶ家庭内の危険エリアは、何といってもトイレです。
リビングでテレビを見た状態のまま、あるいはご飯を食べた姿勢のまま亡くなっている高齢者は「心臓」に何らかの異変が生じたことが原因であることが多いのに比べ、トイレの場合は「脳」が原因であるケースが大半を占めます。「いきみ」による脳内の出血です。
腸の働きが悪くなったり、また歯の衰えなどから食事のバランスが崩れがちだったりする高齢者は、便通が悪い場合が少なくありません。すると、たまった便を何とか押し出そうと、長い時間いきみ、気張る。その結果、血圧が上がって脳の血管がプチッと切れ、くも膜下出血などを引き起こしてしまうのです。
この「トイレで異常が起きて亡くなる」高齢者のご遺体の特徴は、ひざなどに擦過傷があることです。心筋梗塞など心臓の異変が原因で亡くなる場合は“一瞬にして”意識がなくなるのに対し、脳の場合、脳内で出血が起きてからしばらくは意識がある状態が続きます。ですので、何とかここから脱出しなければという逃避本能が働き、トイレから這い出そうとするため、ひざなどに傷ができるのです。つまり、トイレでいきんで脳の血管が切れると、苦しみ悶えながら死ぬことになってしまうわけです。高齢者こそ、便通をよくするために食物繊維が豊富な野菜などをより多く摂取することが求められます。
食事に関する話でいえば、高齢者にとっては食中毒も死に至る危険性があるので要注意です。
「2日目のカレー」は、一晩寝かせることで味の深みが増すといわれます。鍋で作ったカレーを冷蔵庫にしまい、翌日、そのまま鍋を火にかけ、温めてからおいしくいただく。実は、この食べ方が危ないのです。「加熱=消毒=安全」と思われている人もいるようですが、食中毒をもたらすウェルシュ菌は、火にかけても死にません。しかも、空気がないところで繁殖するので、冷蔵庫に入れている間に菌の脅威は増します。「2日目のカレーで食中毒」には気を付けなければならないゆえんです。
対策としては、再調理する際にしっかりと鍋の中をかき混ぜて空気を入れてあげることです。胴の深い鍋だと、底のほうはかき混ぜ切れなかったりするので、鍋であれば胴の浅いものを使う。また、底が深くないタッパーなどに小分けにして冷蔵庫や冷凍庫で保存することがお勧めです。できれば作り置きはせず、1回で食べ切る方がより安全であるのは言うまでもありません。
さらに、下世話な話になりますが、「性欲を満たそうとして亡くなる」リスクにも高齢者は気を配る必要があります。
腹上死の75%は不倫関係によるものという報告もあるのですが、法医学者としてご遺体の解剖をしてきた経験上、腹上死は、高齢者が年の離れた若い相手と性交渉を持ったケースに多い印象があります。
いずれにしても、性交渉はとりわけ高齢者にとって「命懸け」の行為と言っても過言ではありません。それなりの「覚悟」を持って事に当たる必要があるでしょう。
男性の場合、勃起して射精に至るわけですが、この一連の流れは、自律神経の副交感神経から交感神経へのスイッチの切り替わりが激しく行われるため、全身に負担がかかります。その結果、心筋梗塞や脳内出血が引き起こされる危険があるのです。ということは、自慰行為にもリスクがあることになります。実際、テレビからアダルトビデオの映像が流れ、下半身を露出したままのご遺体に接したことがあります。
ちなみに、射精を伴わない女性も、性交渉や自慰行為によって、血圧が一気に上がり、やはり死に至るケースが存在します。
ここまで見てきたような、高齢者の身の回りに潜む「死の落とし穴」を知り、対策を取る。それは取りも直さず、思わぬ死を未然に防ぐ予防医学でもあります。運動法や食事術などに気を配るのと同じく、突然死の「ケーススタディー」を理解しておくことは、本当の意味での老衰で天寿を全うするための「実践的健康法」の一つといえるのではないでしょうか。
高木徹也(たかぎてつや)東北医科薬科大学教授。1967年生まれ。法医学者。杏林大学法医学教室准教授を経て現職に。高齢者の異状死の特徴や浴槽内死亡事例の病態解明などを研究。東京都監察医務院非常勤監察医、宮城県警察医会顧問などを兼任。不審遺体の解剖を数多く行ってきた。『こんなことで、死にたくなかった』などの著書がある。
「週刊新潮」2025年6月12日号 掲載