〈「無理。まだ遊びたいし」夫だけでなく義両親も妊娠を拒絶、さらに中絶を強いられる事態に…「妊娠6か月の妊婦」が夫の殺害を計画した理由(平成3年の事件)〉から続く
「夫を殺して子供を出産するか」「中絶して結婚生活を続けるか」――この世で最悪の選択を突きつけられた、妊娠6か月の女性。夫・垣内拓海さん(仮名/当時21歳)を殺して、子供を産むという選択を選んだ彼女のその後とは…。平成3年に起きた事件の顛末を、2016年から気になる事件をまとめるサイト『事件備忘録』を運営する事件備忘録@中の人の新刊『好きだったあなた 殺すしかなかった私』(鉄人社)より一部抜粋してお届けする。(全2回の2回目/最初から読む)
【ひどすぎ】「最悪の二択」を突きつけられたIQ55・妊娠6か月の女性
写真はイメージ getty
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それでも幸子は最後までどうにか出産を拓海さんに認めてほしいと強く願っていて、何度も何度も、拓海さんに出産への思いを切々と訴えていた。実家へと戻って実母に状況を説明した際も、あまりにむごい仕打ちに実母が直接拓海さんを諭すこともあった。その甲斐あってか、拓海さんも「もう一度考えてみるから待ってほしい」と言い始めたことで、幸子は一縷の望みを託していた。
1月21日、この日こそは良い返事がもらえると期待して拓海さんの帰りを待っていた幸子だったが、やはり不安もあって、友人女性に電話して心を落ち着けようとしていた。夕方5時半ごろ、仕事から帰宅した拓海さんが食事を始めたため、電話をいったん保留にしたうえで幸子は拓海さんに恐る恐る、聞いてみた。
「一緒にやってくれる(出産し結婚生活を続けていく)ことになったの?」
しかし、拓海さんの返事は無情なものだった。
「やっぱりだめだ。親もだめだと言っているし、俺もやりたいこともあるし、遊びたいからだめだ。俺の気持ちはもう変わらない。冷蔵庫、たんす、テレビは置いていってやるから」
このとき拓海さんは、出産はおろか、幸子との結婚生活にも終止符を打つと、断言したのだった。幸子の胸の内はいかばかりだったろう。
電話をとり、ふたたび友人女性と話をし始めた幸子は、もはや正常な判断が下せるような状況になかった。
「拓海が子供を産むなら別れると言って全然賛成してくれない。拓海が自分以外の人と結婚したら嫌だから別れない。あんな男をこの世にのさばらせておくのは許せないので殺す」
話は拓海さんを殺害する内容が繰り返され、友人女性が思いとどまるよう諭すことで幸子もいったんは落ち着いたようにも見えたが、拓海さんが風呂に入ったころ、幸子は友人女性に決意を伝えた。
裁判では幸子の生い立ちのみならず、その精神年齢や事件直前の幸子の精神状態も審理された。
弁護人は、確定的な殺意に基づくというよりも、幸子の命そのものと言ってもいい最愛の夫への信頼が崩れたこと、裏切られたことによる異常行動であるとし、犯行動機そのものを否認した。
検察はこれに対し、「幸子の嫉妬深い性格が中絶か離婚かの選択を迫られた挙句に無理心中へと走らせた」とし、事前に包丁を準備し、その旨を友人女性に話すなどしていたことから「計画性もうかがわれる」ともした。加えて、「確かに妊娠中でありその責任能力もかなり減弱していたことは否めない」としながらも、弁護人が主張する心神耗弱は「認められない」とした。
鑑定を行った医師によれば、幸子のIQは55(数字上では軽度の知的障害)で、加えて精神遅滞もあったという。精神年齢は9~10歳程度だった。幸子は日ごろから口が重く、問われたことに対しても即答するようなことができなかった。幼いころから両親は不仲で、父親の暴力のせいで両親は別居していた。そのため、母親が不在のときは鍵のかけられた部屋で過ごさざるを得ないなど、極めて不遇な幼少時代を送っていた。

さらに、虚弱体質や知的な問題で小学校の途中からは勉強についていけなくなり、両親の状況からもそれを気にかけてくれる大人にも恵まれず、幸子自身、勉強への意欲が失せたという。それだけが原因ではないだろうが、幸子は友達もできず、健康的な社会性やコミュニケーション能力も育つことなく成長せざるを得なかった。
一方で、幸子に対して理解を示したり、優しくしてくれる人に出会うと極端に依存し、それは執着へと変わった。その中のひとりが、拓海さんだった。人とのかかわりの中で、孤独に生きてきた少女は自分を愛してくれた拓海さんに全人生を懸けてもいいとさえ、思っていた。しかし、幸子の中にもう一つのかけがえのない大切なものが、しかも愛してやまない拓海さんとの大切なものが宿ったことで、「それまでの」唯一無二の存在が幸子を苦しめることになってしまう。
鑑定した医師は、幸子の状態を「二律背反」とした。
二律背反とは、二つの命題、願望がそれぞれ両立しうると同時に、それらを達成させるためにはそれぞれの命題が致命的なネックになる状態をいう。幸子の場合でいえば、愛する人との結婚生活を継続することと、その愛する人との子供を出産することは本来両立しうることだが、結婚の継続のためには中絶が必須となり、出産を望めばそれを望まない拓海さんとの結婚生活は継続できなくなる、という状況にあった。
究極の二択というには、あまりにも乱暴かつ幸子の感情を著しく踏みにじっていた。幸子は妊娠自体を5か月まで知らず、その事実を認識した直後から心身ともに疲弊する日常に直面していた。不眠、下痢、頭痛などに悩まされ、おそらく妊娠による体調、心理面での変化もあっただろう。
浦和地方裁判所(現・さいたま地裁)は、確定的殺意はその程度は弱いとしてもあったと認定、そのうえで、精神的な動揺が激しい状態であったこと、元来悩みや問題を適切に処理する能力が劣っていたこと、事件当日の拓海さんからの最後通牒を受けた以降の記憶が脱失していること、電話の相手の友人女性が「事件直前の電話の内容は支離滅裂だった」と証言していること、そして、友人女性に対し殺人の予告を行うこと自体が異常な状態であり、普段の幸子の人格からは考えられないということなどから、「本件犯行直前において、心因性意識障害に基づき、是非善悪を弁別する能力及びその弁別に従って行動する能力が著しく減弱した状態、すなわち、心神耗弱の状態にあったもの」として、懲役3年・執行猶予5年の判決(求刑懲役6年)を言い渡した。
幸子は事件後、無事に子供を出産していた。しかし、その子の父親である拓海さんはこの世にもういなかった。愛する人を失いたくないと必死だった幸子は、それでも拓海さんと引き換えに子供を産んだ。
裁判所は、拓海さんがひとりっ子であり、しかも子供のなかった拓海さんの両親が特別養子縁組で育てた大切な大切な存在だったことや、拓海さん自身の無念さに思いを寄せつつも、量刑の理由のそのほとんどを幸子への同情を禁じ得ないと綴った。
幸子は拓海さんとの結婚をこれ以上ない幸せだと受け止めていて、それは「拓海と一緒にいられれば、おなかがすいても耐えられる」と話していた通り、何にも代えられないものだった。しかし、その延長線上といえる妊娠が、何にも代え難い存在だったはずの拓海さんを上回った。というか、そもそもこんな理不尽な二者択一をせざるを得なくなるなど幸子でなくても誰も思わない。愛してやまない人との子を、なぜ、その愛する人と一緒にいるために天秤にかけなければ、諦めなければならないのか。
裁判所は、それを「不可能な選択」とした。また、産婦人科に幸子の首根っこをひっつかんで連れていき、医師の前で面罵した拓海さんの母親も、事件後は反省したのか幸子に対し「厳しい処罰を望まない」と述べていた。そして何よりも、幸子がその命を守ったといってもいい子供が、幸子が収監されれば養育者を失うということになり、それこそ「子供に不測の悪影響が懸念される」として執行猶予がつけられた。
彼女と子供のその後の人生が、どうか「幸子」という名の通りであったことを祈りたい。
(事件備忘録@中の人,高木 瑞穂/Webオリジナル(外部転載))