死刑の次に重い刑罰「無期懲役」。現在、約1700人が収容されていますが、厳罰化で仮釈放が減り獄死するケースが増えています。ほとんど知られていない、“死刑を免れた男達”の今を取材しました。
【写真を見る】「一生ここでという覚悟は…」厳罰化で進む“無期懲役囚”の終身刑化と医療の現実 “死刑を免れた男達”は今【報道特集】
塀の中に流れる読経。癌で死亡した受刑者の葬儀だ。
故人の生前については誰も語らない。職員に見送られて霊柩車がひっそりと火葬場に向けて出て行く。
この時、病棟では重篤な無期懲役囚達が生死の境を彷徨っていた。“獄死”がひたひたと迫る。
宮城刑務所。城跡の土塁の上に造られた高い塀が受刑者を威圧する。塀の中にある天然記念物、臥龍梅。伊達政宗が朝鮮出兵で持ち帰ったとされる。
刑務所と棟続きの仙台拘置支所には、全国に7か所ある死刑場のひとつがあり、オウム事件の死刑囚の一人もここで執行された。
長期の受刑者、約500人が収容されているが、3人に1人が“無期懲役囚”、死刑を免れた男達だ。
仮釈放はここ10年でわずかに3人。“終身刑化”が顕著だ。
霊安室からわずか10メートルの距離に病棟がある。部屋は4人のうち3人が無期懲役囚だ。
――罪は何ですか?「わからない」
刑務官「なんで刑務所に入ってきたのって」
80代後半・殺人・無期懲役・服役30年「殺人」
――被害者は何人ですか?
80代後半・殺人・無期懲役・服役30年「3人」
――刑務所からでたら何をやりたいですか?80代後半・殺人・無期懲役・服役30年「釣り」
脳の疾患で自傷行為が激しいために、ミトンを付けている無期懲役囚もいる。
病棟はあたかも介護施設のようだ。
看護師「最初来たときは怖かったです。どういう人達か分からなかったので、怖かったです」
――殺人で無期懲役の人がいるというのは?看護師「はい、わかっています」
――受刑者という感じはないですか?看護師「普通の患者さんと同じように接しています」
ほとんど知られていないが、塀の中でも一般社会の病院に劣らない医療設備が整っていた。
宮城刑務所は東北地方の医療重点施設に指定されている。医師7人、看護師20人が24時間交代で待機する。
刑務官「もうちょっとで…という人達です」
――今、いくつですか?80代後半・殺人・無期懲役「今30…31かな」
――無期懲役ですか?80代後半・殺人・無期懲役「はい」
――事件は何ですか?「…」
この無期懲役囚は犯した罪の記憶を消し去るかのように、翌月死亡した。末期癌の別の受刑者も2週間後息を引き取った。
“獄死”が“常態化”している。
新妻医務部長は東北大学から派遣されて30年。多くの“獄死”に立ち会ってきた。
新妻宏文 医務部長「特に無期懲役の方は、亡くなられた後にご家族がいないことがほとんどです。知っている医療従事者のもとで亡くなり、葬儀のときには教誨師の先生や所長、幹部が列席します。(獄死の方が)社会で亡くなるよりも孤独感は感じないかなと思う」
入浴は一般の受刑者同様、1週間に3回、10分が目安だ。転倒防止のために3人の看護師が付き添う。
――気持ちいいですか?「気持ちいいね」
――ここは刑務所の中ですよ「だね。わかった」
寝たきりの場合はベッドでの“入浴”となる。
病棟担当 高野将幸 看守長「究極の福祉なのかなと。賛否両論はあると思う。被害者からすれば、恨みや悔しさがあると思うので、心情としては複雑ですね」
病棟では受刑者2人が“衛生係”として働く。1か月に1回の理髪の面倒も見る。“獄死”の現実を知るからか、衛生係の再犯はほとんど無い。
――亡くなった方も多いのでは?
60代・覚せい剤・服役9回「私が来てから44~45人。1週間に3人亡くなったときもありました。刑務所では死にたくない」
食事は病状に応じて管理栄養士が献立を作る。
看護師「お昼食べてないからお腹すいた?無理な時は言ってください」
「もうたくさん」
高齢化で手厚い介護をせざるを得ない現状に所長も戸惑いを隠せない。
――一般の人から見るとどう思うか、考えたりしますか?
宮城刑務所 林文彦 所長「確かに恵まれてると社会の人が思うのも致し方ない」
――犯罪を犯した人じゃないか、という声もあると思うが宮城刑務所 林文彦 所長「そうですね。(刑務所を)出られないで一生を終える人、その人を人間らしく最期を看取るのも我々の仕事」
矯正施設で受刑者にかかる医療費は巨額だ。
最高検参与 藤本哲也 矯正協会会長「実際問題として刑務所は全ての医療費が無料。年間50億円を受刑者の医療費に使う。社会並みの医療をしなければいけないという規定がある。受刑者1人に年間300万円の収容費用もかかっている。これだけのお金を費やして加害者に対応しているわけだが、被害者がほったらかしではないかという意見が出てくる」
健康な高齢者は工場で作業をする。
――いくつですか?「88歳」
――犯罪は何ですか?無期懲役・服役26年「殺人」
――無期懲役で亡くなっていく人が多いでしょう。何回か見ましたか無期懲役・服役26年「はい」
木工場で働く22人のうち無期懲役囚は14人。家族と過ごした時間よりも服役した年月がはるかに長い。同じ境遇同士の安堵感さえ漂う。
死刑を免れた男達は、この独房で少なくとも30数年を過ごさなければない。長い刑期は“獄死”と隣合わせだ。
60代・強盗殺人・無期懲役・服役21年「来たら(厳罰化)で15年も過ぎ、20年も過ぎた。30年でもどうかなと。いつ病舎に行くかも分からない。一生ここでという覚悟は決めている」
40代・殺人・強盗殺人・無期懲役・服役10年「殺人3件で起訴された。自分も無期になる前は死刑だと思って過ごした。自身のことも含めて、長期刑の人が獄死するのは因果応報に尽きるかなと思う」
事件は加害者の家族も“被害者”にしてしまう。
60代・強盗殺人・無期懲役・服役15年「2クラスしかない学校なので事件はすぐ噂になる。娘や息子が学校で虐められた」
私達は死刑を免れた男達の仮釈放に厳しく臨む法務・検察の内部文書を入手した。
無期懲役囚Aの仮釈放の申請を却下した検察当局の内部文書だ。現職の警察官だったAは47年前、交番で勤務中、制服姿で女子大生の部屋に押し入り“強姦致死事件”を起こした。
死刑を求刑された場合、“マル特無期”と呼ばれ仮釈放は困難だ。
検察当局の内部文書「被害者は就職も決まっており婚約者もいた。何の落ち度もないのに、非業の死を余儀なくされた。失神しては息を吹き返した被害者の頸部を繰り返し絞め付けて殺害するなどした」
検察官は厳しく断罪、随所に“極刑”、つまり死刑の文字がある。
検察当局の内部文書「作業中も休み時間も運動時間でも、お詫びの気持ちを持ち続けていると反省の弁を述べているが、既に他界した被害者の両親は生前ずっと“憎い犯人に極刑を”と訴えていた」
仮釈放に関しては検察当局が遺族と連絡を取り、被害者感情を重視して厳しく臨んでいる事がうかがえる。死刑を望む遺族の意向が無期懲役囚の終身刑化に強く影響しているのだ。
岡山市の更生保護施設「古松園」では、身寄りが無い出所者達が半年間無料で生活している。
35年近く服役して仮釈放後5年で亡くなった無期懲役囚Bの法要が行われた。
服役中Bは刑務作業として備前焼の工房で働き、“名人”と呼ばれるほどの腕に達した。
服役中のB「雑念が入ったら自然に体(姿勢)に現れてきます」
古松園 岩戸顕 前園長「出所後も備前焼をやりたいと言っていた。腕も良かったんでしょうね。備前焼に携われることが出来たら幸せだというようなことは言っていた」
Bは100万円ほどの報奨金(刑務所での作業賃金)を古松園に預けて自分の法要を依頼していた。生きている限り“無期懲役”は続くが、死亡した事で彼の刑は終了した。
岩戸前園長は服役中の無期懲役囚77人の身元引受人だ。
古松園 岩戸顕 前園長「一度(社会に出して)試してやりたい。彼らが今までのことを悔いを改めて、こんな気持ちだということを生活で実践させてやりたい」
しかし、酷な犯罪記録を見る度に遺族への同情が強くなると言う。
――犯罪自体は相当悪質ですか?古松園 岩戸顕 前園長「悪質というか残忍です。被害者は何の落ち度もない人ですから。全く関係のない民家に忍び込んで強盗して、家人が出てきたから殺したとかいう。(被害者遺族にとっては)許せないです」
高い塀を越えて東北にも“春”がやってきた。
宮城刑務所では歩行が可能な無期懲役囚に毎年満開の桜を見せている。
全国の無期懲役囚は約1700人。仮釈放の平均服役年数は40年近くに及んでいる。
出口の見えない“無期懲役囚”をある少年刑務所の所長はこう詠んだ。
少年刑務所長「無期の子の 年金開始を知らせむと 面会票書く父親(ちち) 卆寿(90歳)なり」