エリートたちの中にも、「なぜかうまくいかない」という悩みを抱える人は少なくない。集中できない、人間関係が悪くなりがち、感情の浮き沈みが激しい──。そんな彼らの背景には実は「発達障害」が隠れているケースがあるという。
【画像】文部科学省による「学習障害、注意欠陥/多動性障害(ADHD)及び高機能自閉症の定義」
彼らは困りごとがあっても、そのハイスペックさでなんとか乗り越えてしまうため、周囲も自分自身も発達障害に気が付かずに成長していくことも多い。そのためワケもわからず、エリート街道からコースアウトしてしまうこともあるのだという。
エリート商社マンを父に持つ10代の男性も、超難関の中学受験に成功した秀才だ。しかし学校生活に馴染めず、いつしか成績は底辺を彷徨うようになって……。
精神科医の岩波明氏が、高学歴発達障害の人々のリアルや、適切な対処や治療によって社会復帰するまでの過程を記した著書『高学歴発達障害エリートたちの転落と再生』(文春新書)より、一部抜粋して再構成。【全4回の第1回】
はじめて発達障害の専門外来を受診したとき、KUさん(男性)は高校2年生だった。彼は、誰でもその名を知っている関西地方の私立の有名校に在学していたが、中学3年時に「学校生活でのつらさ」を訴えて、他の精神科を受診したことがあった。その病院では、「思春期情緒障害(適応障害)」という曖昧な診断が告げられて投薬を受けていたが、状態は改善しなかった。
振りかえってみると、小学校のときから忘れ物が多く、ものをなくすことが多かった。じっとしているのが苦手で、いつも体を揺すっていた。授業に集中するのは難しかったが、成績は優秀だった。ただしテストでは、ケアレスミスが多かった。友達は少数だったが、孤立することはなかった。
両親のすすめで小学校3年から塾通いを開始した。学校より塾の方が楽しく過ごせたこともあって成績は上昇し、中学受験では第1志望の超難関中高一貫校に合格した。自由な校風の学校だったが、どこか馴染めないところがあり、通学に時間がかかることもあって、学校生活を好きにはなれなかった。
中学に入学してからは、勉強に興味がわかなくなった。試験で赤点のこともあった。授業中にじっとしているのがつらく、友人関係も負担だった。中2になると、学校を休む日が多くなった。家を定刻に出ても学校には行かずに、電車に乗って時間をつぶした。中3になると登校する日は増えたが、腹痛と下痢を繰り返す過敏性大腸症候群を発症し休みがちになった。
高校に進学しても、同じような状態が続いた。毎週1~2日は欠席していた。勉強はほとんどしなかったため、成績は最下位に近いものだったが、大学には進学するつもりで塾には通っていた。ただ、学校側からは、このままだと卒業できないかもしれないと告げられ、発達障害の専門外来を受診することになった。
病院には母と2人で受診した。父親は有名国立大学卒のエリート商社マンで、海外に単身赴任中だった。母親はどこか落ち着きのない雰囲気の女性で、息子がいかにたいへんな状態であるかをまとまりなく話し続けた。本人は物静かで真面目そうな様子で、学校を頻繁に休んでいるようには見えなかった。
小児期からの経過から、診断的にはADHDと考えられ、本人と家族が希望するのであれば投薬による治療も可能であることを告げて、ADHDに対する薬物療法について一般的な説明を行った。KUさん本人は、今の状況から少しでも良い状態になるのならば、ぜひ薬物療法を受けたいと話し、母親は逡巡しながらも同意をした。そこで、ADHDの治療薬を少量から漸増して投与を行った。
結論から言えば、この薬物の効果は著明だった。少量投与の段階でも、「考えが落ち着いてきた。本を集中して読めるようになった」という。
少し増量した時点では、夜型だった生活のリズムが改善し、ほとんど休まずに学校に行けるようになった。感情的にも安定し、いらいらすることがなくなり、遅れていた勉強に集中できるようになった。本人の言葉では、「薬を飲む前の2倍あまりの集中力」が出てきたと述べている。遅れていた勉強を取り戻すために、母親も協力して受験勉強に取り組んだが、現役のときにはブランクは取り戻せず、志望校には合格できなかった。
それでも1浪後には、父の母校の国立大学は不合格だったものの、第2志望であった難関私大の経済学部に合格した。後期の国立大学にも合格したが、私大の経済学部を選んだ。入学後は行き詰まることもなく、ビッグデータの解析を専門として、大学院への進学も果たした。病院への受診は継続し、服薬を続けている。
KUさんは元来の能力は高いものがあったが、ADHDの症状によって不適応となり、不登校の状態が持続していた。このため、勉強もかなり遅れていて、高校卒業も危ない状況だった。当初受診した病院では的はずれの診断結果であったが、専門外来を受診後、正しい診断のもと、投薬を行うことによって、 KU さんの状態は見違えるほど改善を示し、本来の能力を発揮できるように変化した。
最初に受診した病院の医師にADHDの知識がなく、適切な治療が行えなかったことは残念である。ADHDを適切に診断できる精神科医は限定されているのが事実である。
(第2回につづく)