【前後編の前編/後編を読む】「僕のほうが稼いでいるし子育てに専念したら」発言への10年余の恨みが爆発 63歳夫の“プレハブ小屋行き”が決まった夜
人はいくつになっても愚かな行為をしてしまうものだ。というより、してしまう人がいる。そういう人を自制心がない、倫理観が乏しいなどと非難はいくらでもできるが、「恋に酔う」快感は、年齢を重ねるほど強くなっていく可能性もあるのではないだろうか。
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この春のドラマ『続・続・最後から二番目の恋』(フジテレビ系)が好調だという。還暦前後の男女の友人以上恋人未満の親しい関係を軸に、周囲の人間ドラマをコメディタッチで描いているのだが、「こういう関係の他人が近くにいたらいいな」と同世代の視聴者に思わせるものがある。
「さみしくない大人なんていない」というドラマの中の言葉に心えぐられた視聴者も多いようだ。還暦になれば先が見えてくる。同期の死を受け止めるのもむずかしい。それは己の死と直結するからだ。若いころは違うさみしさや不安を抱えながら、それでも希望を持って生きるしかないとひしひしと感じている。老いを受け入れたくはないが、自分が“老害”であると認識していることだけは、周りの若い世代に伝えたい。わからずやの老人ではないアピールはしておきたいのだ。だが、それを伝えることじたいがすでに老害なのではないかと逡巡してしまう。元気なアラ還は、元気だと自覚がある分、かなり「こじらせ」状態にある。
岸本博正さん(63歳・仮名=以下同)は、現在、都内のマンションでひとり暮らしている。ときどき郊外の自宅に帰ることもあるが、そのときは敷地内のプレハブ小屋しか居場所がない。そうせざるを得ない状況に追い込まれたのだ。原因は彼自身にある。
「今後どうなるのかは未定です。僕も還暦を過ぎてから、“老い”を意識していた。内心は抗いたい。でも抗っている姿を人には見せたくない。まだ熱いものを心の中に持っているし、それを表明したい気持ちもあった。それが現状を招いたわけですが」
まじめに生きてきたんですよと彼はつぶやいた。東京郊外のサラリーマン家庭にひとりっ子で生まれ育った。両親ともに昭和初期の生まれで職場結婚だったらしいが、物心ついたときは両親の不仲を感じ取っていた。
「母は常に父をバカにしていた。でも表だって口答えはしない。父は父で『おまえは子ども優先で、夫を立てようとしない』と常に怒っていた。母にとっては姑にあたる祖母と同居していたから、母はずっとストレスを抱えて暮らしていたと思います。父は僕に対しても『長男なんだからしっかりしろ』といつも言っていた。今思えば、かなり前時代的な家庭でした。中学生くらいになって友だちの家に行ったりしても、仲のいい両親というのはもっとお互いを大事にしている感じがあったから、うちはおかしいんだなと思っていました」
彼が中学3年生の受験期に、同居する祖母が自宅で亡くなった。介護を続けていた母は、父の前ではしょんぼりしていたが、葬儀が終わって父が出社するようになるととたんに明るくなった。仏前に祖母の嫌いだった納豆を供えているのを見て、博正さんは戦慄を覚えたことがある。女は怖いと思った。
「あのころ母は不倫していたんじゃないかと思います。受験の影響で僕が早く帰宅したことがあったんですが、自宅から母が出てくるのを見かけたんですよ。いつも僕の着古したジャージを着て買い物に行ってしまう母なのに、その日は花柄の鮮やかな黄色いワンピースにコートをひっかけていた。口紅が真っ赤だったのが印象に残っています。母も僕に気づいたはずなのに、知らん顔して駅とは違う方向に歩いていきました。その先に車が待っているのも見えた」
数時間後、帰宅した母は古びたジャージに着替え、化粧も落として「あら、おにいちゃん、帰ってたの」と彼の部屋に顔を出した。さっきの母親は自分の見間違いだったのだろうかと思うほど、ごく自然な声と態度だった。
「ただ、振り向いて顔を見ると、母の目が妙に艶めいていた。いつも冷めたような乾いた表情の母が、全身から妙なしっとり感を漂わせていて。それが15歳の僕には気持ちが悪くてたまらなかった」
彼が公立高校に入学してしばらくたったころから、夫婦仲は目に見えて悪化していった。父が母を殴っているのを見たこともある。おとなしかった母が、父に食ってかかるようにもなっていた。「夫婦のことには子どもでも入れない」と気づいた。
「大学に入ったら家を出たい。そう思いながら、敷地内のプレハブ一間の部屋にこもって勉強していました。なぜかうちにはそのプレハブが以前からあって、一時期は母が使っていたようです。たぶん祖母にいじめられたときにこもっていたんじゃないでしょうか。中から鍵がかかるようになっていました」
地方の国公立大学を目指した。学部は問わない。とにかく家から出たかったのだ。ところが高校2年生のときに両親はついに離婚した。母は「一緒に行こう」と言ったが、彼はどちらにもつきたくなかった。
「しかたなく父と暮らすようにはなったんですが、ほとんど帰ってこなかったですね。寂しくはなかった。いい気なもんだと思いました。僕は自宅から通える国立大学に照準を絞って勉強、なんとか滑り込みました」
大学に入って半年後、彼に大きなできごとがあった。家庭のごたごたから、恋愛にはほとんど興味をもたなかったのに、アルバイト先の年上女性の誘惑に乗ってしまったのだ。既婚者だった。
「素敵な大人の女性だった。結婚しているなんて知らなかったんです。指輪もしてなかったし……。今だから言えるけど、バイト帰りに飲みに誘われてそのままホテルに連れ込まれたんです。それですっかり彼女にはまってしまいました。自分で言うのもなんですが、盛りのついた動物みたいになってしまって」
彼女は30歳前後だったと思うと彼は言った。私生活に関してはほとんど知らなかったそうだ。かなり派手な茶髪だったことだけは覚えている。’79年の話である。明るい茶髪の女性は珍しかったが、彼女にはとても似合っていた。
「彼女がうちに来ることが多かったですね。バイト先も彼女の家も僕の自宅も全部2キロ圏内って感じでしたから、彼女がうちに出入りしているのはすぐに噂になったようです。ある日、彼女の夫が乗り込んできた。そこへめったに帰ってこない父が帰宅したものだから、もうね……修羅場でしたよ」
彼女の夫が怒鳴り散らしているところへ父が帰宅し、とりあえず話はしたが、「彼女に誘惑された」という博正さんの意見と、「博正くんが誘惑してきた」という彼女の意見が合うはずもない。彼女の夫は訴えてやると言いながら、妻を引きずるようにして帰っていった。
「僕はずっとドギマギしていた。とにかく僕のせいじゃないし、結婚していることも知らなかったと父に言い訳していました。すると父が『おまえにも言いたいことはあるだろう。だけどあの状態で彼女に責任を押しつけるのは、ちょっと気の毒だ』って。『男は損するとわかっていても女を守ってやらなければいけないときがある』と。そんなものかと思ったけど、どうなんでしょうね、父がかっこつけただけだったのかも」
結局、訴えられずにすんだのだが、彼女は夫にバレたために博正さんが誘惑したと言わざるを得なかったのだ。それを頭では理解してもなお、「女の人って怖いなと19歳の僕は思った」と言う。
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20歳になるまでの博正氏の“男女観”は、あまり幸せなものではなかったようだ……。その後、彼は誰と結婚し、いかにして「プレハブ暮らし」の60代を過ごすようになったのか。【記事後編】で紹介している。
亀山早苗(かめやま・さなえ)フリーライター。男女関係、特に不倫について20年以上取材を続け、『不倫の恋で苦しむ男たち』『夫の不倫で苦しむ妻たち』『人はなぜ不倫をするのか』『復讐手帖─愛が狂気に変わるとき─』など著書多数。
デイリー新潮編集部