待望の第一子の誕生直後に、ダウン症と知らされたフリーアナウンサーの長谷部真奈見さん。「娘にダウン症がある」という事実を出産当時は受け入れることができず、誰にも明かせないまま、自殺を考えるほど思いつめ悩んだ時期もあったという。そして、16年の月日が経ち、長谷部さんは、16歳になった娘さんとの出来事や家族との楽しい日々をブログなどで積極的に発信している。
そんな長谷部さん一家は、2024年春「世界一周」という大きなチャレンジをした。ダウン症のある娘とともに、見た世界は気づきも多かったという。
「私たち家族のチャレンジには、様々な意見があると思います。ただ、『障がいがあると〇〇できない』といった思い込みや偏見に、自分自身も含めて、チャレンジしたいと思ったのです」と長谷部さん。
世界一周編の最終回は、改めて娘さんにとって、また長谷部家にとって、世界一周の旅はどういったものだったのか、何をもたらしたのか、改めて振り返っていただいた。
夫の夢だった世界一周の旅に家族で出発したのが2024年4月。あれからちょうど1年を迎えたまさにその日、大阪関西万博が開幕した。アメリカ、インド、エジプト、アラブ、スイス、タイ、ドイツにトルコ、ブラジル、ペルーなど、万博に参加する旅で訪れた国々を娘と一緒に確認しながら、再びあの旅を思い返し、ワクワクする気持ちで開幕式の中継を見ていた。
大阪関西万博は行くまでの交通機関の問題、トイレの設置数や暑さ対策など課題も出ているようだが、それでも娘は、旅で巡った国々のパビリオンを訪れることを、そして、まだ行ったことのない国々についても知りたいと、今とても楽しみにしている。そんな様子を見ながら、当初は予想もつかなかった娘の成長を実感している。
しかし、世界一周の旅に出るまでの決断は決して容易ではなかった。
娘の学校や私の仕事、旅先で娘に万一のことがあったら……などと、あらゆるリスクを思い浮かべては「とても行ける気がしない。できるなら行きたくない」と思っていた。ところが、そういった不安な思いを周囲に相談してみると反応は誰もがポジティブだった。「いいね!挑戦してほしい!」「話きかせて!応援したい」といった声や、周りのサポートもあって、準備を進めていくうちに、私も「行ってみればきっと娘にとっても良い経験になるはず」と、徐々に頭の中に占めていた私が想定していた数々のリスクの向こうに光が見え始めて来ていた。
2008年、16年前にダウン症候群による合併症を伴って生まれた娘は、心臓の検査をはじめ、肺などの経過観察のため、しばらく病院通いが続いていた。
そんなある日、病院の待合で、「うちには障がいのある子がいるから夏休みに海外旅行にも行けない……」という会話が聞こえてきた。「そっか、そうなのか……」と、私はまだ小さかった娘を抱き抱えたまま、深く落ち込んだ。
たしかに、病院通いに、療育センター、摂食指導に、眼科に耳鼻科、口腔歯科と、毎日のように娘を連れてあちこち受診しては心身共に疲れ切っていた私にとって、「海外旅行」というワードはどこか遠くかけ離れた言葉に聞こえていた。それでも、どこか心の中では「海外だってどこだって、娘が行きたいと言えば、娘のためになるなら何でもしてあげたい、合併症さえ落ち着けば、きっと方法はあるはず」という思いもあった。
それからしばらくして、娘は海外旅行を経験した。夫の仕事の関係で家族で行くことになったハワイだった。実はこの時、直前まで娘は肺炎で入院していたのだが、なんとか回復し、元気に行って帰って来ることができたことは、私たち家族にとって大きな自信となった。
当時、娘が通っていた保育園のママ友から「ただでさえ小さな子を連れて海外に行くのは大変なのに、病院や療育通いの中、よく行って来ることができたね! それってすごいことだよ。きっと多くの人に勇気を与えるね」と言われた時、ハッとした。
「娘の病気や障がいを理由に何かをできないと思っていたら、それは絶対にできない。できると思って、そのための方法を考えることこそが大事で、これは障がいがあってもなくても同じであるはず」と、その時、気づかされた。当時のこうしたママ友たちの言葉が、どんなに私への励ましになったか、世界一周の旅に出る前、私は当時のことを思い出していた。
旅に出ればきっと様々な問題が発生するだろうし、大変なことも沢山あるのだろう、だからこそ、挑戦してみたいし、娘の様子を含めてできる限り発信したいとも思っていた。
実際に旅に出てみると、想定外のことが続いた。思った以上に娘は至って普通に元気で、特に問題がないどころか、今までの旅では味わうことがなかったうれしい出来事が続いた。
これらのほとんどは、娘を連れていたからこそ、巡り合えた出来事で、娘がいたからこそ、気づくことができた新たな発見や出会いの数々だった。
中でも、ヨーロッパや南米各国の障がいやハンディのある人への対応の素晴らしさや、人々の自然な優しさには、良い意味で何度も驚かされた。
例えば、トルコ「イスタンブール歴史地区」を代表する建築物「トプカプ宮殿」を訪れた際のこと。チケットカウンターの行列と、想像よりも高額だった入場料(一人1,500リラ:当時のレートで約7,200円)、更には宮殿の入り口にも長蛇の列ができているのを見て、娘のこともあり、どうしようかと躊躇い、とりあえず宮殿の外観で写真撮影をしたり、近くのお土産物ショップへ行ってみたりしていた私たちにある女性が声を掛けてくれた。
「ディサビリティ(障がい者)カードは持っている?」と言うので、私が「持っていない」と伝えると、その女性はその場でどこかに電話をして何やら話し始めた。しばらくして電話を切ると「チケットカウンターの6番窓口に行けば、私の友だちが無料にしてくれるから行ってみて」と。おそらくこの女性は宮殿の係員か関係者だったのだろう、私たちが入場したいと伝えた訳でもないのに、わざわざ親切にも向こうから話し掛けて来て、自然な好意で助けてくれたことに驚いた。
6番窓口へ向かってみると、そこは、観光ガイドや、特別対応が必要な人向けの窓口で、なんと娘本人と、付き添いの私の分のチケットまで無料にしてくれたのだ。こうした神対応に、心底感動しながらオスマントルコ時代に歴代の王が住んでいたという豪華絢爛な宮殿の中へ入った。宮殿内部の装飾はもちろん、宮殿からの眺めも美しく、人の心の美しさも、ホスピタリティも、何もかもが世界遺産だった。
ギリシャでも、パルテノン神殿があるアクロポリスでは、特に障がい者手帳などを提示しなくとも、チケットカウンターの女性は歓迎ムードで、娘本人と付き添い1名分の入場料を無料にしてくれた。このほか、第1回近代オリンピックの会場として知られるアテネのパナシナイコスタジアムでは、大々的に障がいのある人は入場無料と記載されていた。
ヨーロッパだけでなく、その後に訪れた南米でも神対応の連続だった。
中でも、南米随一の絶景が楽しめる、ブラジルの象徴、コルコバードの丘にそびえる巨大なキリスト像を訪れた際のことは忘れられない。リオデジャネイロ市内の駅から登山列車に乗ったのだが、娘を連れていた私たち家族は、行きも帰りも驚くほど特別な体験をした。
まず列車の乗車券売り場を探していたところ、ある若い男性が私たちに手招きをしてくれた。
案内された場所で乗車券を購入すると、その男性が購入したばかりの私たち3人分のチケットを持って何も言わずにどこかへ行ってしまったのだ。一瞬、「えっ!?チケットを取られた?騙されたのかな?」と焦った私は、急いでその男性を追いかけたところ、ちょうど一つ前の登山列車がホームに到着してきて、なんと、男性は私たちのチケットを今度はその登山列車の案内役の女性に手渡していた……。一体、何が起きているのか!? 特に説明もないまま、女性はチケットを持ったまま、そのまま一つ前の列車に乗って、丘の上へ向かってしまった……。
私たちのチケットは一体どこへ行ってしまったのか? 何が起きているのか?
英語が通じるのか分からなかったため、ジェスチャーを交えつつ「Where is my ticket?」と聞くと、男性はジェスチャーを交えながら穏やかな表情で「ここで待っていて」と言う。
不安を感じながらも、言われた場所でしばらく待っていると、先ほどの登山列車が折り返して来て、ホームに到着。すると、先ほどの案内役の女性が列車から降りて来て、乗客が全員降りたところで、真っ先に私たちを列車の中へ案内してくれたのだ。
男性が「ここで待っていて」と言った場所は、実は降車エリアで、本来の乗車エリアはもっと先にあったのだ。つまり、私たち3人は他の乗客よりも先に、手前の降車エリアで優先的に乗せてくれたのだ。暑さと旅の疲れから足取りが重かった娘にとって、麓からもっと先にある乗車エリアまで歩いて登る必要がなかった上に、最優先で案内してくれたため、座りたい席(一番前の見通しの良い席)に座ることができてとてもうれしそうに窓の外を見ていた。
目的地に到着し、登山列車を降りるや、再び混雑で大行列ができていたのだが、今度は現地の案内役の男性が、とてもスムーズに階段ではなくスロープのある道へ案内してくれ、エレベーターまで完備されており、完全にバリアフリーだった。キリスト像は、リオデジャネイロで最も高い標高710メートルの山の上にある観光名所だが、そこにたどり着くまでの路がこれほどバリアフリーであるとは驚きでもあった。
さらに、帰り道でも神対応は続いた。
相変わらず、帰りの列車を待つ人たちの行列が続く混雑の中で、私たちはとても自然な形で係の方に案内され、足を痛めていたカップルと共に優先的に乗車させてくれた。何度も言うが、私たちから何かリクエストした訳ではないにも拘らず、ごく自然に、当たり前のことのように優先案内されるのである。
これほど優遇されることに慣れていなかった私は何だか申し訳なく感じるほどであったが、ブラジルでこうした体験ができたことは今も忘れない。私たちにとって、やはり、観光名所や名物そのものよりも、こうした旅先での人々との出会いや触れ合いの方が強く印象に残っている。
◇後編『「娘に何かあったら…」の恐怖よりも勝るものがあった、ダウン症のある娘との世界一周で得たかけがえのないもの』では、旅の最中での娘さんの想定していなかったリアクションやその後の娘さんの成長の様子などについてお伝えする。
【後編】「娘に何かあったら…」の恐怖よりも勝るものがあった、ダウン症のある娘との世界一周で得たかけがえのないもの