元タレントの中居正広さんと元フジテレビ社員の女性とのトラブルについて、弁護士で構成する第三者委員会は、調査報告書の中で、女性は中居さんから「業務の延長線上で性暴力を受けた」と認定した。
この発表を受けて開かれた記者会見で、フジテレビの清水賢治社長は、中居さんに対する刑事、民事責任追及について「あらゆる選択肢が検討に残っている」と述べた。明言はしなかったものの、法的措置の選択肢は捨てないということだ。
この点は断りを入れておく必要があるが、あくまで捜査当局による取り調べではなく、第三者委員会の認定である。だが、調査報告書にあるように「性暴力」があったとすれば、中居さんは刑事責任を負わないのだろうか。刑事事件にくわしい澤井康生弁護士に聞いた。
――第三者委員会の調査報告書によると、女性と中居さんは、双方の代理人が関与して示談書を交わしています。これからでも、女性は中居さんを刑事告訴できますか?
一般的に示談書には、その内容を第三者に口外することを禁止するいわゆる「口外禁止条項」が盛り込まれることが多いです。
今回の示談書にも「口外禁止条項」が盛り込まれていることから、第三者委員会の調査でも示談書の内容は明らかになりませんでした。
ただし、このような事件の場合、示談書の内容としては、加害者が事実関係を認めて一定の解決金を支払う代わりに、被害者はそれ以上の損害賠償請求を放棄することに加えて、刑事処罰を求めない「宥恕文言」を入れた条項を設けることが多いと思われます。
なので、今回のケースでも、示談書に「刑事告訴しない」などの宥恕文言が盛り込まれていたと仮定して論じることとします。
結論からいえば、この場合であっても、女性は刑事告訴することができます。
示談書は、被害者と加害者との二当事者間における民事上の効力が認められるにすぎません。これに対して、刑事告訴権は、刑事訴訟法上、被害者に認められた権利であって、その法律関係は国家と被害者との間にある公法上のものです。
刑事訴訟法上、告訴の取消しに関する規定があるにもかかわらず、告訴権の放棄について定めがないことからすれば、告訴権の放棄は認められないとされています(最高裁昭和37年6月26日決定、名古屋高裁昭和28年10月7日判決)。
したがって、示談書に宥恕文言が盛り込まれていた場合であっても、そもそも告訴権を放棄することは認められないことから、被害者は刑事告訴をすることが可能です。
もちろん、中居さん側から「示談書の宥恕文言に違反する」と主張されるリスクはありますが、それはあくまでも女性と中居さんの民事上の問題であり、それゆえに刑事告訴できなくなるわけではありません。
以上より、女性は今からでも刑事告訴することができるということになります(刑事訴訟法230条)。
――フジテレビは中居さんを刑事告発できますか?
フジテレビは当事者ではなく、あくまで第三者であることから示談書の効力も及びません。
したがって、フジテレビは各当事者から聴取した内容などに基づいて、性被害事実を把握・認識していることから、被害者以外の第三者としての立場で、中居さんを刑事告発することができます(刑事訴訟法239条1項)。
ここで女性が刑事告訴しない場合にフジテレビが刑事告発できるか問題となりますが、結論から言えば、この場合であっても刑事告発ができます。
性加害について2017年以前は親告罪(致傷の場合は非親告罪)でしたが、2017年の刑法改正により非親告罪に変更されました。したがって、被害者自身が刑事告訴していない場合であっても、非親告罪として刑事告発することができます。
――仮に刑事告訴、告発があって、捜査の結果、中居さんが逮捕や起訴されて、刑事罰を受ける可能性はありますか?
報告書によると、事件が発生したのは2023年6月とされています。現行の不同意性交罪(刑法177条)が適用されるのは、2023年7月13日以降なので、それ以前の改正前刑法177条の強制性交等罪の適用が問題となります。
事件当日の具体的な内容は明らかになっていませんが、もし暴行・脅迫の事実が認められるということであれば、強制性交等罪に該当する可能性があります(5年以上の懲役)。
ここで女性が事件の影響でPTSDとなり、相当期間入院を余儀なくされたところ、これが一時的な精神的苦痛やストレスではなく精神疾患の一種であるPTSDと認められれば、刑法上の傷害に該当します(最高裁平成24年7月24日決定)。そのため、性被害とPTSDとの間に因果関係が認められれば、強制性交等致傷罪(旧強姦致傷罪)の適用も考えられます(無期または6年以上の懲役)。
捜査機関が捜査をおこなった場合、逮捕の可能性は否定できないと思われます。
一般的に、逃亡の恐れや罪証隠滅の恐れがある場合は逮捕の必要性が認められます(刑事訴訟規則143条の3)。中居さんの場合は、著名な元芸能人なので逃亡の恐れはないと思われますが、報告書の中で、メール削除の要求などがあったと認定されていることから罪証隠滅の恐れありと判断される可能性は否定できません。
また、逮捕されなくても捜査機関が任意で捜査をおこなって在宅起訴される可能性もあります。その場合、女性との間で示談が成立していることは、中居さんにとって有利な情状として斟酌されることから、起訴猶予となる可能性はあります。
また、起訴されて有罪判決となった場合であっても、示談が成立していることは同様に有利な情状として斟酌されますので執行猶予となる可能性もあります。
――女性はこれ以上「損害賠償」を求めることはできないのでしょうか?
中居さんとの間で示談が成立していることから、女性は中居さんに対しては損害賠償請求することはできません。しかし、勤務先だったフジテレビに対しては、職場環境配慮義務違反を理由に損害賠償請求することは考えられます。
もともと使用者は労働契約上の附随義務として、労働者がその生命、身体等の安全を確保しつつ労働することができるよう必要な配慮をする義務を負っています(労働契約法5条)。
具体的には、使用者が労働者からセクハラなどの相談を受けた場合、使用者は良好な職場環境を保持するため相談内容をふまえ事実関係を速やかに調査するとともに、被害者に対する配慮のための措置および行為者(加害者)に対する人事管理上の適切な措置(配置換えを含む)を講じるべき義務(職場環境配慮義務)を負っているものと解されています(札幌地裁令和3年6月23日判決)。
第三者委員会の報告書によると、フジテレビ側は性加害の事実を把握したにもかかわらず、速やかな調査もせず、中居さんの番組への出演を継続したとのことですから、使用者として負っている職場環境配慮義務に違反したものといえます。
以上より、女性は中居さんには損害賠償請求はできませんが、フジテレビに対しては損害賠償請求することは可能でしょう。
【取材協力弁護士】澤井 康生(さわい・やすお)弁護士警察官僚出身で警視庁刑事としての経験も有する。ファイナンスMBAを取得し、企業法務、一般民事事件、家事事件、刑事事件などを手がける傍ら東京簡易裁判所の非常勤裁判官、東京税理士会のインハウスロイヤー(非常勤)も歴任、公認不正検査士試験や金融コンプライアンスオフィサー1級試験にも合格、企業不祥事が起きた場合の第三者委員会の経験も豊富、その他各新聞での有識者コメント、テレビ・ラジオ等の出演も多く幅広い分野で活躍。陸上自衛隊予備自衛官(2等陸佐、中佐相当官)の資格も有する。現在、早稲田大学法学研究科博士後期課程在学中(刑事法専攻)。朝日新聞社ウェブサイトtelling「HELP ME 弁護士センセイ」連載。楽天証券ウェブサイト「トウシル」連載。毎月ラジオNIKKEIにもゲスト出演中。新宿区西早稲田の秋法律事務所のパートナー弁護士。代表著書「捜査本部というすごい仕組み」(マイナビ新書)など。事務所名:秋法律事務所事務所URL:https://www.bengo4.com/tokyo/a_13104/l_127519/