年金と亡き夫がのこした資産で細々暮らしていた由美子さん(仮名)。しかし、久々に実家に顔を出した息子は、由美子さんの「異変」に気づきます。なんと、200万円あったはずの貯蓄残高がほとんどなくなっていたのです……いったいなにがあったのでしょうか。ファイナンシャルプランナーの辻本剛士氏が解説します。※プライバシー配慮のため登場人物の情報は一部変更しています。
――毎朝、夫が淹れてくれていたコーヒーの香りが、いまでも台所に残っているような気がするんです。
長年連れ添った夫・誠さんを亡くしてから、友坂由美子さん(仮名・72歳)の生活は一変しました。
夫がいなくなってから月18万円の年金で1人暮らしをしていますが、心にぽっかりと穴が空いた由美子さんは、しだいに生活リズムが崩れ、孤独のなかに沈んでいきました。
神奈川県で暮らす長男の和真さん(仮名・55歳)は、そんな母の様子をずっと気にかけていました。実家は遠く半年ほど顔を出せていませんでしたが、ようやくまとまった休みがとれた和真さんは久しぶりに実家を訪ねることに。
見慣れた実家の玄関を開けると、なにやら以前と違う空気が流れています。あんなに几帳面だった母が、散らかったリビングをそのままの状態にしていることに、和真さんは驚きを隠せませんでした。
「……あらあら、久しぶりじゃない。元気? ようやく暖かくなってきたねぇ」
居間から出てきた母はいつもどおりに明るく振る舞おうとしますが、会話の端々にどこか無理をしている雰囲気がにじんでいました。
「俺は元気だけど……」
その後もあまり会話がかみ合わず、和真さんは「もしかして、認知症か……?」と疑いました。
そして、居間のちゃぶ台の上に何気なく置かれていた母の通帳に目を留め、母が台所に立って席を外しているあいだ、おそるおそる中身を確認。
すると、目を疑うような数字が印字されていました。200万円以上あったはずの預金残高が、わずか数万円に減っていたのです。
明細をよく見ると「X総研」という見慣れない名義に毎月30万円ずつ送金しているようでした。
「母さん! なんだよこの振込み。口座の200万円はどこに消えたの?」
和真さんが母を問い詰めると、母はくぼんだ目に涙を浮かべながら言いました。
「ああ、えっと、ごめんなさいね……だまされてたの。話すと長くなるんだけど……」
遡ること半年前。夫を亡くしたばかりの由美子さんは悲しみから抜け出せず、抜け殻のような生活を送っていました。家事も手につかず、部屋の片づけもままならないまま、時間だけが過ぎていきます。
そんなとき、家の固定電話が鳴りました。
「もしもし? こちらは“年金生活者の生活実態調査”を行っておりますX総研です。数分だけご協力いただけますか?」
人との会話自体が久々だった由美子さんは思わず「数分だけなら……」と応じることに。生活費のやりくりや老後の不安を口にするうちに、相手の穏やかな声に心を許していきます。
すると数日後、再びX総研から連絡がありました。
「友坂さま、先日はありがとうございました。先日ご協力いただいたお礼に謝礼をお渡ししたいのですが、もしよろしければ直接お話させていただくことは可能ですか?」
謝礼という言葉につられた由美子さんが指定された近所の喫茶店に向かうと、担当者は思いのほかハンサムで穏やかな印象でした。世間話をかわしたあとで、担当者は次のように言いました。
「実はいま、調査にご協力いただいた方のなかでも数人限定で、新興国のインフラ整備に使われる元本保証付きの債券ファンドをご案内しているんですよ。無理なく始められるよう毎月積み立て形式で、しかも元本は保証されているので絶対に損しない仕組みです」
新興国? インフラ……? 聞き慣れない言葉に由美子さんがポカンとした顔で聞いていると、担当者は微笑んでこう続けました。
「投資総額の1.5倍になる見込みで、半年から1年で配当がでます。たとえば月に30万円、半年間で180万円の投資で270万円が戻ってくる計算です。友坂さまのような方にこそ、知っていただきたいんです。伴侶を亡くされて、生活が苦しいのではないですか? 毎月30万円を私に預けてくだされば、あとは勝手にお金が育ちます。友坂さまのお力になりたいんです。私を信じてください」
「なんだかよくわからないけど、生活が少しでも楽になるなら……」
こうして、由美子さんは担当者の言葉を信じ、わずかな貯金から毎月30万円ずつ送金を続けました。
しかし、半年が経過しても約束された配当は振り込まれませんでした。不安に思った由美子さんが担当者に電話をかけるも、一向につながりません。
そして薄々は気づいていたものの警察に相談した結果、X総研は実在せず、投資詐欺であることが判明しました。
母・由美子さんが詐欺に遭い、200万円近くを失ったと知った和真さんは、思わず声を荒らげました。
「なんで相談してくれなかったんだよ!」
うなだれた母は、小さな声で言いました。
「だって……優しい声が若いころのお父さんに似ていたのよ……」
和真さんはなんとか母親を助けたいと考えたものの、住宅ローンや教育費の支払いが重く、自身の生活でいっぱいいっぱいです。心苦しいですが、母を支える余裕はありません。
怒りと焦り、そして無力感だけが2人を覆っていました。
近年、「投資詐欺(詐欺的な投資勧誘)」による被害が後を絶ちません。特に高齢者が狙われるケースが多く、生活資金や老後資金を奪われる深刻な被害が増えています。
投資詐欺の特徴は、「元本保証」「必ず儲かる」「あなただけにご紹介」などといった、魅力的な文句で消費者の心理に入り込み、資金を振り込ませる点にあります。1度お金を支払ってしまうと、勧誘してきた事業者に連絡がつかなくなり、回収が極めて困難になるのが実態です。
国民生活センターの越境消費者センターによれば、2021年2月時点で、出会い系サイトなどをきっかけとした投資詐欺に関する相談が急増していることがわかります。
[図表]出会い系サイトやマッチングアプリ等に関する年度別相談件数 出所:独立行政法人国民生活センター「ロマンス投資詐欺が増加しています! -その出会い、仕組まれていませんか?-」
今回の友坂さんの事例の場合、早い段階で家族に相談していれば防げた可能性があります。知らない会社からの電話があったときは1人で判断せず、家族や信頼できる第三者に相談することが重要です。
こうした詐欺リスクへの備えとしては、以下のような対策が考えられます。
・「元本保証」はウソ。「高利回り」「限定情報」などの言葉も要注意のため即決しない・お金を振り込む前に、家族や金融機関、消費生活センターに相談する・普段から親子間で資産や生活状況について共有し、異変に気づきやすい環境を整える
・「元本保証」はウソ。「高利回り」「限定情報」などの言葉も要注意のため即決しない
・お金を振り込む前に、家族や金融機関、消費生活センターに相談する
・普段から親子間で資産や生活状況について共有し、異変に気づきやすい環境を整える
詐欺の手口に引っかからないためには、「疑う力」と「相談する習慣」がカギとなります。大切な老後資金を守るために、身近な家族が日頃から見守り、声をかけ合うことがなによりの防衛策となるでしょう。
「このままじゃ、母さんが本当に破綻してしまうかもしれない……」
自分の力ではどうにもできない無力感に押しつぶされそうになった和真さんは、母を連れて地元のファイナンシャルプランナー(FP)事務所を訪ねることにしました。
相談当日、和真さんと由美子さんは、これまでの経緯を1つひとつ丁寧にFPに説明。話を聞いたFPは、まずは友坂家の現在の家計状況を整理することにしました。
由美子さんの年金は月あたり18万円ほど。支出も同程度で、現時点では大きな赤字は出ていません。ただ、すでに貯蓄がほとんど残っていないことを踏まえると、家計を黒字にして少しずつでも貯蓄を回復させる必要があります。
FPは細かな支出項目を丁寧に確認しながら、次のように助言しました。
「もともと無駄の少ない生活をされていますが、細かいところを見直せば月1万円ほど改善できそうです。さらに、可能であれば無理のない範囲で仕事をし、給与収入を得ることも検討してみてはいかがでしょうか。月に数万円でも収入があれば、それをそのまま貯蓄に回すことができ、もしものときの備えになります」
その後、由美子さんは息子の助けを借りながら、少しずつ前向きに行動し始めました。
まず取り組んだのは、日々の家計の見直しです。FPが言うように無駄な支出はほとんどありませんでしたが、電気や水道の使い方、買い物のタイミングなどを工夫し、月に1万円の節約を実現しました。
さらに由美子さんは、年金生活に入ってから避けていた「働くこと」にも挑戦することにしました。体力に不安はあるものの、近所の工場で見つけた「お菓子の詰め合わせ作業」の仕事なら無理なく続けられそうだと感じたのです。
週に数日、短時間の勤務ではありますが、それでも月に3万円の収入が入るようになりました。家計の見直しと合わせて、毎月4万円を貯蓄に回せるようになったのです。
「少しずつだけれど、自分の力で暮らしを立て直していける気がします」
後日そう話してくれた由美子さんの表情には、これまでにはなかった明るさが戻ってきていました。
辻本 剛士神戸・辻本FP合同会社代表