いま日本はどんな国なのか、私たちはどんな時代を生きているのか。
普段本を読まない人も「意外と知らなかった日本の論点・視点」を知るべく、日本・日本人の謎や難題に迫る話題書『日本の死角』を読みはじめている。
『日本の死角』に「いまの若者たちにとって「個性的」とは否定の言葉である」という論考を掲載している。
「個性的」が否定の言葉……とは、いったいどういうことだろうか?
〈「個性的な人間でありたい」と切望する気持ちがないわけではあるまい。どんな人間だろうと自分の存在意義を求めようとするものだ。
思いをストレートに口に出すと、周囲から自分だけが浮いてしまう。
みんなと同じでなければ安心できず、たとえプラスの方向であったとしても自分だけが目立つことは避けたい。
近年はそんな心性が広がっているように見受けられる。〉(『日本の死角』より)
ある中学校の生徒たちは、「個性的と言われると、自分を否定された気がする」「周囲と違うってことでしょ? どう考えてもマイナスの言葉」という反応だったという。
いまの若者たちは、出る杭として打たれないように、安定・安全をより優先するようになっているのかもしれない。
〈「個性的であること」は、組織からの解放を求めるには好都合だが、組織への包摂を求めるには不都合である。自分の安定した居場所が揺らぎかねないからである。
今日の若者たちは、かつてのように社会組織によって強制された鬱陶しい人間関係から解放されることを願うのではなく、その拘束力が緩んで流動性が増したがゆえに不安定化した人間関係へ安全に包摂されることを願っている〉『日本の死角』より)
ただ、若者たちの人間関係が希薄である、というわけでもなさそうだ。
『日本の死角』では、「上役と仕事以外のつき合いはあった方がよい」と考える割合は若年層ほど高く、20代では70%を占めるといった調査データも紹介されている。
若者たちの気分や人間関係から、現代日本のかたちも見えてくるのかもしれない。
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