「現在の日本社会のひとつのバグは、死に方を選べないこと」そう語るのは、片づけコンサルタントの近藤麻理恵さんの夫でプロデューサーの川原卓巳さん。「死」に対して半ば思考停止状態となっている日本人が、より人生の質や楽しさを向上させるのは?川原さんの新刊「人生は、捨て。 自由に生きるための47の秘訣」より抜粋、再構成してお届けする。
【画像】片づけコンサルタントの近藤麻理恵さんと夫の川原卓巳さん
いまの社会では、性やセックス、お金などについて大っぴらに話すことが推奨されません。特に日本では過剰というほどに口にすることがタブー視されている。でも本来はこうした話題にこそ、人間の生きがいややりがい、人生の喜びの本質が詰まっているものです。
タブー視される数々のトピックスのなかで、特に僕が気になっているのは「死」について。
現在の日本では、あらゆるシーンで「死」に関する話題が遠ざけられます。物理的にも「死」に触れる機会がまるで良くないものかのようにされています。しかし本当は、「死」を在るものだと実感することでしか「生」の価値は感じられません。
「死」に対して自分なりの意見を持ち、その先をきちんと見据えて生きていくほうが、人生の意味や意義は見出しやすくなります。そこから「人生をどうやって生きていこうか」という視点が生まれてくるはずです。
あまり気持ちの良い話ではないので普段はしませんが、僕が「死」について強烈に意識した話をしたいと思います。
僕の祖父は自殺しました。首吊り自殺でした。僕は当時20歳。関東の大学に行かせてもらって広島を出て2年ぐらいが経ったころ。都会の生活にも慣れはじめ、なんとなく生きることにも怠惰になってきていた時期。急に電話が鳴りました。
「え、じいちゃんが死んだ?」
祖父は、痴呆がはじまった祖母と島の長屋のような家にふたり暮らしをしていました。これは想像でしかないですが、痴呆のばあちゃんの世話をするのに疲れて首を吊ったのではないかと思います。
じいちゃんの死体が発見されたときには首を吊ったじいちゃんは少し腐りはじめていて、その横にはボケたばあちゃんが寝ていたと聞きました。
直接見ることはできませんでしたが、想像しただけでもなんとも悲惨な状況です。
そこから急いで広島へ帰り、祖父の葬式の喪主をつとめました。父は海上自衛隊の自衛官としてイラクへ後方支援に行っていた関係で戻ってこられず、長男の長男である僕が喪主として葬式を執り行うことになりました。
すいません。急に暗い話におつき合いいただきましたが、ここでお伝えしたいのは死に方の話。このじいちゃんは生前は超がつくほど怖くて破天荒で、ザ・漢って感じの人でした。お正月に親戚が集まってお酒を飲んだりしたら刀を振り回すぐらいには破天荒です(絶対にダメです)。
そして口を開けば「たくみぃ、男はつよくなけりゃならん。すぐに泣くなぁ」と言っていた。僕にとっては強いじいちゃんでした。それが、介護疲れで自殺を選ぶ?ありえない。ダサい。ダサすぎる。自分の好きになった女ぐらい痴呆だろうがなんだろうが最期まで看取れよボケ!と叫びたくなるぐらいには悲しかった。
そのとき思ったんです。強いってなんだろう、と。そして自分はどうやって死にたいかを考えた。
これは極めて個人的な意見ですが、現在の日本社会のひとつのバグは、「死に方を選べない」ことだと思います。
人間は、人の役に立つことで喜びを感じる生き物です。かりに自分が病気になって、社会的に役に立てなくなり、一方的に世話をされるだけの状態になった場合、「ここで命を終わらせてしまいたい」と思っても、それ自体はなんらおかしくはありません。
ましてや、自分の老後に対して金銭的な不安があったり、家族との折り合いがよくなかったりしたら、なおのことそう思うことでしょう。
もちろん「病気になって寝たきりになっても、そのまま自分の人生をまっとうしたい」と感じる人もいるでしょうし、そうした価値観を否定する気はまったくありません。ただもしも、人がもっと本人の意思で死のタイミングを選べるようになったとしたらどうでしょうか?
先々の不安がなくなることによって、いまやりたいことにもっとお金や意識、時間、エネルギーをつぎ込むことができます。
自分の体力やお金など、持てるすべてを使い切ったら、死を選ぶ。そんな生き方があってもいいのではないかとも思います。このように書いていて、そんな簡単な話だけじゃないことは理解しているつもりです。でも、それにしても死ねないというのは違和感があるのです。
僕にとって気になるのは、いまの日本で理想とされる死に方が、病院のベッドで横たわって家族に見守られ、最後に「ありがとう」と言いながら死んでいくというイメージであることです。
この理想の最期のイメージのために、多くの人がきちんと入院できるだけの費用を残しておきたいと考え、「いま」を犠牲にしてお金をため込むのです。
ベッドの上で天井を見ながら過ごす日々のために、貴重な「いま」を犠牲にして本当にいいのでしょうか?僕は死を待つためではありませんでしたが、17歳のときに膵炎を患って3か月以上入院をしていた時期があります。
だからこそ強く実感を持って思うのかもしれません。病院のベッドに寝て、天井をながめながら過ごす時間は、それほどよいものではありません。
また、マクロな話になりますが無理な延命を続けた結果、社会保障費が膨れ上がって、現役世代の生活を圧迫しているのが日本の現状でもあります。
「病院のベッドで死ぬ老後が理想」という固定観念を手放すことができたら、わたしたちの人生はもっと生きやすいし、充実したものになると思います。
理想とする死についても、もっと多様性があっていいと僕は思います。
おいしいものを死ぬほど食べて食い倒れで死にたいという人もいれば、死ぬまで家で好きなゲームをやりながら死にたいという人もいるでしょう。
ちなみに僕の理想の死に方は、爆笑しながら死ぬことです。
ある日、死ぬほど笑っていたら、自分の体が自分の笑いに耐えられなくなって、グキッときて死んでしまった。そんな死に方ができたら、こんなに幸せなことはないと思います。
周囲から「まだまだ若いと思っていたら、あの人は笑いすぎて死んでしまったんだよ」「ありえないわー。でもらしいよね笑」と思い出話をされたらうれしいです。
平穏な死を捨て、いざとなったら病院のベッドで死ねなくてもいいという考えを持つ。それだけで「いま」に投じられる時間やエネルギーは増え、人生の質や楽しさがぐっと上がるはずだと僕は思います。
みなさんには、ぜひ幻想でしかない理想の死のために生きるのではなく、「いま」を犠牲にせず、ありのままの自分を楽しむ人生を歩んでほしいと思います。
写真/shutterstock

川原卓巳

2025年1月29日
1760円(税込)
256ページ
ISBN: 978-4198659356

やらない。断る。手放す。 ・モノ ・情報 ・人間関係 ・お金 ・固定観念 あらゆるノイズを捨てれば、生き方が定まる。 タイム誌の「世界で最も影響力のある100人」に選出された「こんまり(KonMari)」こと、片づけコンサルタントの近藤麻理恵さん。 【Netflix「KonMari ~人生がときめく片づけの魔法~」でエミー賞2部門ノミネート】 【同「KonMari “もっと”人生がときめく片づけの魔法」でデイタイム・エミー賞を受賞】 彼女を世界に押し上げた仕掛け人が、名プロデューサーの川原卓巳さんです。 本書ではプロデューサー・川原さんが、あなたに“自由”を授けます。 自由のカギを握るのは「捨てる」こと。 過剰なモノや情報から解放されることです。 そのための方法をあますところなくお伝えします。 「生きづらさを打ち消す卓巳さんのノウハウ。私もとても励まされました」(片づけコンサルタント・近藤麻理恵さん) どうして人は自分の生きたいように生きられないのか。 それが、この本で解決する本質的な問題です。 いつか時間に余裕ができたら… いつかお金に余裕ができたら… 残念ですが、その「いつか」は永遠に訪れません。 「いつか」を待つのではなく、現状から決別しましょう。 余計なモノや情報から決別する。 その先にかならず本当の自由があります。 世界のKonMariを生んだ名プロデューサーが説く、脱・執着のススメ