今年2月、大阪・八尾市の住宅から、コンクリート詰めにされた女の子の遺体が見つかった。警察は41歳の男、交際相手の36歳の女を、遺体を遺棄した疑いで逮捕した。男は「姉の当時7歳くらいの娘で、十数年前に引き取った。しつけの一環で叩いたら翌朝、冷たくなっていた」と語る。司法解剖の結果、女の子は6歳から7歳と見られ、全身がミイラ化。死亡は2007年ごろと推定されている。
【映像】「消えた子」の境遇にりんたろー。が号泣した場面
警察は女の子の身元や戸籍を調べるとしているが、もし容疑者の供述が事実なら、なぜ20年近くも、子どもの不在に周囲が気づかなかったのか。ここで注目されているのが、いわゆる「消えた子」だ。「消えた子」とは、日本国籍を有し、義務教育を受ける年齢で自治体や教育委員会が1年以上所在を確認できていない児童、生徒のこと。2024年度の学校基本調査では、74人が確認されている。
育児放棄や虐待、犯罪に巻き込まれるケースも多く、警察や児童相談所に保護されることなく、所在が不明になる「消えた子」はなぜ生まれるのか。どう対策を打てばいいのか。「ABEMA Prime」では取材をしてきた専門家、さらには一時、自らが「消えた子」になった当事者とともに考えた。
「消えた子」の調査対象は7歳から14歳の小中学生のみ。未就学児や、義務教育を終えた子は対象外だ。長年取材してきたジャーナリストの石川結貴氏は、女児の遺体がコンクリート詰めで見つかった事件に「たくさんの方が衝撃を持って受け止めているかもしれないが、1人の被害者の後ろに何十人、何百人と同じように発見されないまま、闇に葬られた子どもがいることに、目を向けてほしい。氷山の一角だ」と語る。
自身が「消えた子」になった君塚龍二さんのケースは、両親の離婚が始まりだった。「小学1年生から4年生まで、いわゆる居所不明児童になった。1年生までは普通の一般家庭に育ち小学校にも通っていたが、両親のケンカが毎日絶えず、離婚になった時に父親に引き取られた。2人暮らしをしていたが、なかなか父親の仕事が続かず、お金もなくて家を追い出された。そこから『家なき子』になり車で生活になり、ご飯は基本毎日食べられず3日に1度が当たり前だった」。拾ったものを食べたり、自動販売機の近くに落ちている小銭を拾ってパンを買ったり。そんな生活が続いたが、学校や警察、児童相談所などに探された実感もない。「(当時)7歳なので、親に『行くぞ』と言われて連れていかれるだけで、それが当たり前だった。転々としていたので友だちもいないし、相談できる関係でもなかった」。
君塚さんの「消えた子」状態は、父の体調不良をきっかけに解消することになる。父の仕事がようやく決まり、アパートも借りて学校にも通うことが決まった小学4年生の時だ。「父親をデパートの待合室で待っていたら、父が倒れた。救急隊員の人が『君はどこの子だい?』となって、ようやく社会に見つけてもらえた」。父は脳梗塞で入院、君塚さんは一時、児童相談所に保護された後、児童養護施設に移った。父は小学5年生の時に他界した。
当時の生活を、君塚さんは「普通ではない」と振り返る。「小学5年生からようやくみんなと学校に通うようになったが、周りは親がいて、ご飯も毎日食べられて、お風呂も入れて、温かい家で寝られて。僕は厳しい環境、普通じゃない環境だったが、あれは繰り返してはいけない」。
ある日突然、学校に子どもが来なくなったら、すぐに気づき、かつ見つかりそうなイメージもあるが、事態は簡単ではなく、むしろ複雑な事情がいくつも絡む。石川氏は「もともと住民登録をしている住所から出てしまうと、行政は探しようがない。それこそ親の借金で夜逃げしたのか、親が誰かを好きになって子どもを連れていなくなったのか。その理由がわからないと探しようもない。結局、子どもが放置される状況があっても、救いようのない現実がある」と語る。
たとえば虐待を受けて、児童相談所などが介入していたケースであれば、いなくなった子どものリスクが高いと想像ができる。このケースであれば、担当していた児童相談所から、情報連絡システムを用いて「こういう子どもがいなくなったが、おたくの県で心当たりはありますか」と連絡を取り合うという。ただし、何の兆候もなく、学校に通わなくなると、理由がわからず情報共有のしようもない。石川氏は「学校でいなくなれば、もちろん学校の先生や教育委員会も家庭訪問などをする。必要に応じて児童相談所や警察に相談することもする。明らかに事件性があれば児相も警察も動けるが、個人の自由で、子どもを連れて家を出てしまえば、それには介入も難しくなる」。我が子を「消えた子」にした親が、必ずしも探してほしくないこともある。
ただし、親によって「消えた子」にされた側からすれば、納得がいくものではない。君塚さんは「例えば親が新しく好きな人ができたからとか、親の理由でというなら、子どもからしたら無責任というか、怒りしか感じない。もう行政としても、いなくなったら家庭訪問して、ダメだったらすぐに児童相談所に相談をして、何がなんでも子どもを探さないといけないと思う。親の理由で探さないというのは理不尽だ」。
ただ、石川氏は児童相談所の苦しい事情も説明する。「児童相談所を長く取材しているが今、目の前に虐待を受けている子ども、大ケガをして死にそうになっている子どもの対応に、本当にいっぱいいっぱいだ。もしかしたらこのいなくなった子どもが何かひどい目にあっているかもしれないというのは『可能性ですよね』となる。病院のトリアージ(適切な順番で診察・治療をする)のようなもので、目の前にいる子供を優先的に対応せざるを得ない。消えた子供がどうなっているか、苦しい状況の可能性はあるが、そっちは可能性だから後回しになる」。
では、どうすれば君塚さんのような「消えた子」が新たに生まれなくなるのか。石川氏は、日々の暮らしの中で違和感を覚える子どもを見つけた時の、周囲の行動をポイントにあげた。「みんな他人事で、社会の関心がない。『なんか、どこかに行っちゃったんだね』ぐらいなものだ。私が取材してきた子どもたちもそうだが、平日の昼間に街をさまよい歩いて、お風呂にも入っていない、髪の毛も伸び放題、薄汚れた服を着て、どう見ても『あの子、どうしたんだろう』となるはずなのに、誰も声をかけない。それは結局、すごく大きな無関心が積み重なっている。こういった問題に少しでも関心を持ってほしいし、自分にできることも必ずある。そのまま放置しないで、交番に一言言ってみようとかいう動きをしてくれるだけで、発見の糸口になる」。
また君塚さんは「消えた子」時代に一度、警察に保護された時の経験を踏まえて語る。「僕が夜中ちょっと(一人で)出歩いた時に保護された。『お父さんを呼んで』と言われ、父が『うちの子がすいません』で終わってしまった。例えばその時、小学校か児童相談所が捜索願を出していたら、僕はもっと早く見つかったかもしれない。その流れをもっとちゃんとしてほしい」。(『ABEMA Prime』より)