”時薬”という言葉がある。時間の経過とともに悲しみが癒やされることを薬に喩えた表現だ。だが幼いころに残した禍根が、現在の家族関係においても修復されぬまま続くことはある。
社交ダンスのプロとして活動した山口かおりさん(仮名、64歳)は、幼少期に家族から受けたあらゆる虐待のために人生の一部をなお失い続けているひとりだ。彼女に深く残る人生の傷とは――。
山口さんは東京都に生まれた。「2歳のときの原風景です」と語る光景は、凄絶なものだ。
「午睡から目覚めると、母に連れてこられた同じアパートの男性の家にいました。ちょうど私の肩の横あたりで、母がそのおじさんと身体を重ね合わせていました。性行為をしていたのです。もちろん、性行為が何か、当時の私は知りません。ただ、今まで見たこともない母の表情、よがるような声に、『父にさえ言ってはいけない何かだ』と直感しました。
私は反射的に泣いてしまいました。するとその声でふたりの身体は離れ、母は慌てて私に水を飲ませました。けれどもそうした行為はその日だけでなく、その後何度もありました。だんだんと『今日もするんだな』とわかるようになりました。たいてい私は寝てしまい、起きると”事後”だったのだと雰囲気で察するのです」
このときの途方もない虚脱感を、山口さんはこんな言葉で表す。
「本来子どもに見せてはいけない性行為を母は私に見せました。母も不倫相手も、まるで私を心を持たない置物か何かのように、すぐそこに置いて平然と性行為をしたのです。子どもであっても、自分の尊厳が踏みにじられていることは理解できました。
また、そのことを父に告げることもできない私は、可愛がってくれる父と普通に過ごしながらも、どこか後ろめたい気持ちをずっと持ち続けることになりました。意図していないかもしれませんが、母は、まるで私までが父に隠しごとをしている共犯者であるかのような構図に引きずり込んだのです」
就学前、抱えきれなくなった山口さんは、母親にこのことを問いただしている。
「4歳のときに引っ越し、それ以降はあのおじさんと母の性行為を見なくてもよくなりました。ある日、私は近所のおじさんの名前を出して、『あのとき、何かしてなかった?』と母に聞きました。すると母は『肉体関係のこと?』と言い放ったのです。もちろん肉体関係という言葉は知らなかったものの、『うん』と答えると、母は獣や悪魔でも見るかのような表情に変わり『お前は恐ろしい子だね』と言って部屋を出てしまったのです。
私はそのとき、母に嫌われてしまったと感じました。それ以来、よい子であろうと心がけました」
山口さんが記憶する限り、母親はその後も夫以外としばしば関係を持っている。たとえばこんな出来事はいまだに彼女のなかで強烈な後悔の一幕だというが、一方で、父親は妻の不貞に気づいていなかったのか。
「それが、父はまったく母の不倫に気づいていなかったようです。
私が小学校に入学したあと、母が既婚者といわゆるダブル不倫状態になりました。『かおりが懐いているから』という理由で、しばしば私はそのおじさんとの逢い引きに利用されました。私はその不倫相手を『パパ』と呼ばされていました。
あるとき、『パパがお蕎麦をご馳走してくれるから』といわれ、母と姉とともに私はおじさんと食事をすることになりました。自宅に戻り、夕食時に私たちが食べないのを察した父が『ご飯は?』というのを『食べてきたから』と誤魔化しました。父は晩年に失明するほど目が悪かったので、母と私たちが目配せをしているのにも気づきませんでした。
どうしようもない罪悪感が襲ってきて、私はそのあと、”裏切り”の味がする蕎麦をトイレで吐き出しました。
ちなみにその後、この不倫相手は、私に半ば強制的にキスをさせるなどの性暴力を行ってきました」
母親が他の男性と交わる。紛れもなく不倫だが、同時に、男性に身体を提供することで金銭に代替してきた彼女の生き方による部分もあったのではないかと山口さんは言う。
「父と母には、私が産まれる前、可愛がっていた第一子がいました。けれども5歳のとき、彼は病気で亡くなったそうです。そのときにお腹に宿ったのが私です。そうした事情もあって、父は私を溺愛してくれました。しかしその裏で、母は治療費を賄うため、そのときから近所の男性と肉体関係を結んでは対価を得ていたと後年になって知りました」
父親は被害者である一方、甲斐性や頼りがいのない人だったのだと山口さんは話す。
「私が17歳のころ、母は不倫相手とともに駆け落ち同然で自宅を出ていきました。その後も不倫相手と暮らし続けましたが、先立たれると、父のところに戻ってきました。老後は父の障害者年金で暮らしていたと思いますが、その父にも2009年に先立たれ、現在、90歳を超える母は生活保護で生活をしています。
私が生まれたとき、父はサラリーマンでしたが、独立して事業を営んでいました。何事も理想の形を追求しすぎる人で、商売は失敗しました。家族は経済的に常に困窮していて、本当のところはよくわかりませんが、母からみて頼りにならない男性だったのかもしれません。私にとってもそれは同様で、優しいだけで頼りにならない父親でした」
山口さんは父親を「頼りにならない」と断じた。
後編記事『入浴中の妹に股間をこすりつけてきた姉…家族から「性虐待」を受けて育った女性が母親になって息子にした「虐待」の中身』に続く
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