事故現場に放置され続けていたいすみ鉄道の車両(筆者撮影)
2024年10月4日午前8時08分ごろ、千葉県いすみ市の大原駅と大多喜町の上総中野駅を結ぶいすみ鉄道で列車の脱線事故が発生した。脱線した2両編成のディーゼルカーには、県立大多喜高校の生徒ら104人と運転士1人が乗車していたが幸いけが人はなかったものの、事故現場ではレールが外側に倒れていた。
脱線事故を起こした車両は、事故発生の5日後となる10月9日に大型クレーンにより線路上に戻され、当初は10月中の運転再開を目指すとしていたが、年が明けた2025年になってもいすみ鉄道では全区間で列車の運休が続き、車両も事故現場に放置されたままの状況が続いていた。
国鉄形気動車キハ52形とキハ28形の運行で、ローカル線再生の優等生として全国的に注目を集めたいすみ鉄道で何が起きているのか、関係者を取材した。
脱線事故発生の3日後となる2024年10月7日、いすみ鉄道の古竹孝一社長は大多喜町役場で開いた記者会見の場で、脱線事故の原因について「枕木の経年劣化が原因」と言及し、車両ではなく保線の問題があったとの見方を示した。いすみ鉄道では2020年代に入ってから、保線の不備などについて国土交通省関東運輸局より複数回にわたって行政指導を受ける事態となっていた。
まず、2020年12月10日付で「自動列車停止装置(ATS)の動作試験未実施」「車両検査未実施」など4項目について行政指導を受けた。この時の行政指導は、保線に関するものではなかったものの、すでにこのころから線路の劣化が目視でもわかる状況となっていたようで、そのことを心配した県民から「このままでは、いすみ鉄道で脱線の恐れがある」と千葉県総合企画部交通計画課に通報がなされた。この時、問題のある箇所などを指摘した詳細なレポートも県に提出されており、県はこの内容についていすみ鉄道に報告を行ったという。
さらに翌年の2021年11月4日には、いすみ市議会でも「いすみ鉄道の安全性」について、大曽根信太郎市議会議員(当時)から一般質問がなされたが、この質問に対していすみ市企画政策課の海老根良啓課長(当時)は、いすみ鉄道側から「運行に支障をきたす問題はない」という説明を受けたと答弁している。2022年の夏頃からは、犬釘が抜けて軌道パッドが飛び出しているいすみ鉄道の線路を撮影した画像などがSNS上でも拡散されるようになり、こうしたいすみ鉄道の問題が徐々に社会に認知されるようになっていった。
そして、いすみ鉄道は、2023年1月25日付で関東運輸局より保線の不備についての行政指導を受けた。その後、いすみ鉄道は、指摘をされた項目についてはすべて改善措置を講じたとする趣旨の報告を関東運輸局に対して行っているが、この報告書の中でいすみ鉄道は、こうした状況が発生した原因について「対処方法や管理方法について十分理解していなかった」「計測業者からの検査報告書の確認を十分に行っていなかった」ことを理由に挙げており、鉄道そのものに対する理解不足が目立つ内容となっていた。
関東運輸局鉄道部の鉄道安全監察官に話を聞いたところ、「2024年6月にいすみ鉄道に対して保安監査を実施したところ改善できていない箇所があった」といい、この4カ月後となる10月4日に脱線事故が発生することになった。関東運輸局では、その後の「10月18日付で6月の保安監査に対する改善指示文書を送付した」というが、「いすみ鉄道側は自力では直せないと言っており、鉄道・運輸機構に技術的なアドバイスをもらいながら改善しようとしている」ほか、「事故現場に放置された車両についてもいすみ鉄道側では動かしてよいのかどうか判断できないようだ」と回答した。
いすみ鉄道は旧国鉄の特定地方交通線だった木原線を引き継いだ第三セクター鉄道で、国鉄分割民営化から約1年後となる1988年3月24日に開業した。
開業以降、慢性的な赤字が続き2000年代に入ってからは存廃問題が浮上する事態となったが、千葉県と沿線自治体で構成される「いすみ鉄道再生会議」では、2007年10月29日に「会社の経営努力や関係者が一体となった支援が行われれば、将来的に収支の均衡を図ることができるとの共通認識を得られたこと」「いすみ鉄道の再生に取り組み2008年度、2009年度を検証期間として、再生の方向性を客観的に判断する」と結論付けられた。
また、いすみ鉄道再生の一環として、検証期間の初年度となる2008年度から「みなし上下分離方式」の導入も決定された。これは鉄道インフラの維持を図るために、線路などのインフラ部分を道路などと同じ社会資本として捉え、それまでの赤字補填方式に代わり、線路保存費、電路保存費などインフラ的な部分の修繕費などの費用を県と市町が協調して補助するものとされた。
これによって、保線などに要する費用については、自治体側が責任をもって手当てすることが確約され、旅客収入等の部分については、会社の経営努力に対するインセンティブが働きやすい制度とされた。
こうした中で、鉄道ファンを自認する鳥塚亮氏が2009年6月に公募社長に就任したことで、いすみ鉄道は全国区の知名度を誇る鉄道会社への道を歩み始める。まず、就任直後の10月には、ムーミン列車の運行を開始。これは限られた予算の中で、車両にムーミンのシールを貼り、駅にスタンプを置くというシンプルな企画であったが、SNSを中心に口コミで話題となり30代や40代の女性客が週末にいすみ鉄道を訪れるようになり乗客は約1.6倍に、売店収入は約4倍に達し、2010年度以降の存続が決定した。
さらに、2010年には訓練費700万円を自己負担することを条件に列車の運転免許を取得できる運転士採用プランを実施。その翌年の2011年から運行を開始した国鉄形のキハ52形気動車や2013年のキハ28形気動車は大きな話題を呼び、全国的な知名度を高めていった。こうした一連の取り組みにより、鉄道ファンを対象にした企画を鉄道会社自らが手掛けることが、鉄道活性化につながることを全国に強く印象付け、ローカル線再生の優等生として認知を広げていった。
鳥塚社長退任後は、2018年11月から新たな公募社長として香川県の日新タクシー会長の古竹孝一氏が社長に就任した。しかし、いすみ鉄道を全国区の知名度に押し上げた国鉄形気動車については、現在ではすでに定期運行を終了している。こうした状況から、いすみ鉄道のファンからは「鳥塚社長が築いたいすみ鉄道の良さが失われてしまった」という声も絶えない。千葉県は2023年に「人気車両であったキハ28形が引退したことから、これに代わる後継企画等の新たな活性化策が必要」との考え方を示しているが、いまだ後継企画に関する発表は行われていない。
2024年10月に発生した脱線事故からの復旧についても情報が二転三転している。当初は10月中の運転再開を目指すとされていたが、いすみ鉄道は12月9日になり「復旧の長期化が見込まれること」を発表した。年が明けて古竹社長は「1月末にも運行再開に向けた具体的なスケジュールなどを発表する意向」であると報じられたが、結局1月末までにスケジュールは発表されなかった。
いすみ鉄道本社が所在する大多喜町によるといすみ鉄道の復旧に関しては、最大3億円ほどがかかる見込みで、1億円を経営安定のための基金から取り崩して賄い、残りの2億円を県と沿線自治体で賄うという。千葉県はすでにそのための補正予算額1億円を計上している。
いすみ鉄道の脱線事故については、赤字に苦しむ鉄道会社が保線も十分にできないくらい疲弊しているという見方があるが、みなし上下分離方式により十分な予算が手当てされていることからそうした見方は事実ではなく、「鉄道に対する理解を深め保線に関する社内基準を統一することや、保線計画などについて行政側と綿密なコミュニケーションを取っていれば脱線事故は回避できた」と証言する関係者もいる。
今後の見通しに関する筆者の取材に対していすみ鉄道は「軌道整備や試運転にかかる施行計画を立てるにはもう少し時間がかかると見込まれる」と回答し、キハ28形の後継企画については「脱線事故が発生する前に収益改善に向けた課題として県から示されていたが、まずは早期復旧に全力を尽くし、今後の経営改善策の中で総合的に考えたい」とした。
古竹社長にも今後どうしていきたいかを質問したところ「いすみ鉄道は地域の活性化に寄与できる鉄道であり続けたいと考えている」と答えた。
現在は大井川鉄道社長を務める鳥塚氏にこうした現状についての思いを聞いたところ、「強いて言うのであれば、今回は第三セクターの悪い面が表面化したのではないか。公募社長うんぬんを議論する気はないが、鉄道経営に対してもう少し真剣になるためのフェールセーフ機能が存在していないことも遠因ではないか」と述べた。
今回の脱線事故の一因としては「保線に関する社内基準の不備」を指摘する声もあったが、再発の防止策を考えるのであれば、似たような悩みを抱える全国の第三セクター鉄道や中小私鉄で統一した基準を作り、例えば鉄道・運輸機構などでその実施をサポートする仕組みの導入が必要なのではないか。また、今後のいすみ鉄道の再活性化を考えるのであれば、鉄道経営に対して熱意のある公募社長を採用するように制度内容を深め、経営環境の刷新にもメスを入れる必要がありそうだ。
(櫛田 泉 : 経済ジャーナリスト)