【前後編の後編/前編を読む】父が再婚したのは“母を自死に追い込んだ相手”だった 「誰かに必要とされたかった」46歳男性が生き方を見つけるまで
母は父の不倫を気に病み自死し、当の父は不倫相手と再婚、継母と共に無関心を貫いた――。そんな幼少時代を過ごした森田滋和さん(46歳・仮名=以下同)は、現在、介護関係の会社を営んでいる。起業の動機は「誰かに必要とされたかったから」。ようやく自分の「生き方」が見えたのは、高校卒業後にキャバクラのボーイの職に就いた時だった、と自らの半生を振り返る。そんな彼がうつで入院するにまで至った出来事とは……。
***
【写真を見る】「夫が19歳女子大生と外泊報道」で離婚した女優、離婚の際「僕の財産は全部捧げる」と財産贈与した歌手など【「熟年離婚」した芸能人11人】
ラウンジボーイとして彼は生き生きと働いていた。いつしかボーイの中でも中堅の域に入り、他店からスカウトされたこともある。だが彼は尊敬する先輩のもとを離れようとはしなかった。
「店の女性たちとの恋愛は御法度です、もちろん。だけど気になる女性ができてしまった。もちろん彼女は僕のことなど恋愛対象として見ていません。それはわかっていたけど片思いが苦しかったですね。彼女はよく相談をもちかけてくるんです。恋愛相談が多かった。電球が切れたと言われて、家に上がって取り替えたこともあります。そのとき彼女がいれてくれたコーヒーがおいしかったのをよく覚えています」
ただ、彼女は客との恋愛がうまくいかず、いつしか店に来なくなった。生きていてくれればいいけど、と彼は消え入りそうな声で言った。
「7年くらい働いて、それなりに収入もあったし仕事も好きだったんですが、ふとこの先、ずっと続けていくのかと考えると疑問がわいた。人生を教えてくれた先輩が、あるとき故郷に帰ることになったのも大きかったですね。しっかり生きていけよと言われて、このままここにいても意味がないかもしれないと思い始めました」
そのとき彼は25歳。まだ25歳なのだが、彼としては「もう生き切った気さえしていた」という。それだけ過酷な人生だったのだろう。
「ちょうどそのころ介護制度が始まるということで世間が話題にしていた。介護って何だろうといろいろ調べて、ヘルパーの資格をとろうと思いました。資格なんて興味がなかったのに、少し将来を考えていこうという気になったんですよね」
店を辞めるとき、働いている女性たちからたくさんのねぎらいの言葉をもらった。みんなで花を贈ってもくれた。ここが自分の居場所だったのかもしれないと思ったが、もう後戻りはできなかった。
「その後は介護関係の資格をとり、現場で働き、さらに上の資格をとるということを繰り返してきました。これが自分の生きる道かどうかはわからなかったけど、現場での『ありがとう』はいつでもうれしかった」
38歳のときに、ある施設でともに働き、1年ほど交際を続けてきた康子さんと結婚した。5歳年下の康子さんは心根の優しい人で、彼を常に優しくサポートしてくれた。
「根っからのホスピタリティの塊みたいな女性でした。僕もアシストが向いていると感じていたけど、彼女はアシストどころじゃなくて相手をまるごと受け入れ、支えていく。ときに自分を犠牲にしてもいい。そんな感じだった。彼女の母親がそういう献身的なタイプだったようです。それで彼女も結婚するなら家族に尽くしたいと言っていました。僕自身は、家族に尽くす女性というのがあまりイメージできなかったけど、彼女と結婚して不幸になるはずがないと思いました。そのくらい包容力のある人だった」
結婚と同時に起業したのだが、康子さんは懸念ひとつ示さなかった。あなたのしたいことをするのがいちばんいいと笑顔を向けた。それから滋和さんは準備を加速させ、自らの事業を立ち上げた。ビジネスとして協力してくれる人もいた。
「疲れて帰ってくると、康子はおいしいものを作っておいてくれる。彼女も働いているのだから、自分の分はやるからいいよと言ったのですが、『私、料理作るのが好きなの。食べてくれたらうれしいと思ってるだけ』って。どうしてこんないい人がいるんだろうと不思議でさえありました」
康子さんともっと一緒に過ごしたい。そう思って、たまに休みがとれるとふたりで外食を楽しんだ。決して豪華なものではなかったが、町をぶらぶらしながら「この店」と決めて入ったときに「大当たり」だとふたりで顔を見合わせて喜んだ。ささやかな幸せというのは、こういうことを言うのだろうと彼は、生まれて初めて落ち着いて暮らしを楽しんだ。
「ただ、僕はいつかこの幸せが壊れるのではないかと内心、ビクビクしていました。母が亡くなったときのことを強烈に思い出して眠れなくなることもありました。康子に死なれたらどうしよう、僕は生きていけない。康子を神聖視しすぎたんでしょうか、セックスができなかった。子どもができるのが怖いという思いもあった。でも康子は、僕が彼女のことをきらいなのではないかと悩んでいたみたいです」
結婚して5年たっても性的関係はないままだった。手をつないで寝るのが日課となっていった。老夫婦みたいだなと彼は心の中で思っていたが、その状態がいちばん快適でもあった。
康子さんには、高校時代から仲よくしている桃子さんという親友がいた。結婚したときも真っ先に家を訪ねてくれたのが桃子さんだった。結婚にあたっては滋和さんが康子さんの両親と食事をしたくらいで、式らしい式を挙げなかったため、桃子さんはお祝いを持って駆けつけてくれたのだ。
「桃子さんは気っ風のいいおねえさんという感じの人で、同い年なのに康子より妙に落ち着いたオーラがありました。昔はワルだったからねとニヤッと笑っていたことがあります。本当かどうか知らないけど、確かにヤンキー風の趣はあった」
康子さんが夜勤のある日、桃子さんがワインをぶら下げてやってきた。滋ちゃんと飲みたくてさと彼女は慣れ慣れしかったが、それもいつものことだから気にもとめずに家に上げた。そして彼はしこたま飲まされて潰された。
「ふと目を開けると、桃子さんの顔が真上にあった。ねえ、いいでしょと彼女が言ったとき、お酒の匂いと同時に彼女のつけている濃厚な香水の香りが漂ってきて……。なんだかわからないけど急に野生を刺激されたというか」
理性が吹っ飛んだ彼は、桃子さんに馬乗りになった。何度試しても康子さんとはできなかったのに、桃子さんとはうまくいった。うまくいくどころか自分でも経験のないような興奮に包まれたという。自分が自分ではないようだったと彼は照れた。
「数日後、康子が『桃子が、あなた、とってもよかったって』と言ったんです。唐突に、何の脈絡もなく、食事中にですよ。僕、思わずごはんを吹きだしてしまった。康子は『私以外ならできるのね』って。違うんだと言ったけど、自分でも何が違うのかわからなかった。康子のことは心から愛しているはずなのに。そう思う一方で、愛ってなんだか僕にはわかっていないとも感じていたし」
滋和さんは黙って康子さんを抱きしめた。ごめん、違うんだ、きみのことは本気で好きで大事なんだ、だからできなかったんだと思う。そう言った。
「桃子を抱きながら、最高だ最高だって叫んだんでしょと康子が言いました。そんな記憶はなかったけど、確かに桃子さんには気を遣わずにオスでいられたなという思いはあった。でも言葉にするとなにもかも嘘っぽくて、なにも言えなかったんです」
そこへ桃子さんが登場した。康子さんが呼んだらしい。いったいなにがどうしたのかと面食らう滋和さんに、桃子さんは文句を言い始めた。
「桃子さんは、そもそもあなたはなぜ康子と夫婦らしいことをしないのか、それなのになぜ私とはしたのかと。女性にはわからない感覚なんじゃないかなと言うしかありませんでした。康子は『私が女っぽくないから……』ともじもじしてる。そういうときでも康子は穏やかなんですよ。『康子はこういう人なの、わかってるでしょ。あなたは康子を家政婦のように使って、康子の気持ちなんかまったく考えなかった』と桃子さんはまくしたてました。好きという感情を超えた大事な存在なんだ、康子はと言ったけど、なんというのか自分の言葉が上滑りしている気がしましたね」
自分に愛は語れない。滋和さんはしみじみと自分の不幸を感じた。若いころは不幸だとは思っていなかったが、康子さんとの生活で「人並みの幸せ」を知ってしまったために、自分は不幸だったと認識したのだろう。
「いったい、どうするつもりなのと桃子さんは僕に詰め寄ってきました。もういいわ、と康子が言っても、いいじゃすまないの、ちゃんとけじめをつけてもらわないとって」
膠着状態が続いた。誰も声を発しない。しばらくたって桃子さんが言った。
「別れてあげて。康子にはもっといい人がいると思う。今ならまだ子どもだって授かることができるかもしれない。康子は子どもをほしがってるのよ」
3年前、滋和さんが43歳のときだった。康子さんは桃子さんに促されて離婚届を出してきた。ふたりきりで話すこともなく、離婚するつもりなのかと滋和さんは驚いた。桃子さんは彼に慰謝料を200万円要求してきた。
「おかしいでしょ、桃子さん本人が僕の浮気相手なんですから。そのことを康子はどう思っているのか……。桃子さんは『このお金は康子の今後のためのものなの』と言っていましたが、なんだか僕は康子が桃子さんの手下のように思えてきたんです」
女同士、一見、仲が良さそうに見えて片方がもう片方に従属しているということはある。ママ友同士で殺人事件さえ起こった話も世間を驚かせた。
「気持ち悪さが先に立って、僕は離婚届にサインをしました。康子は桃子さんと連れだって出ていった。数日後には僕の留守に荷物を取りに来たみたいです。こんなにあっさり別れていいのかと思いましたが」
その後、彼はうつ状態に陥り、自ら病院の門を叩いて自主入院をした時期がある。
昨年秋、康子さんから突然、連絡があった。桃子さんが亡くなったのだという。康子さんの狼狽があまりにひどかったので、彼は住所を聞いて会いに行った。
「離婚後、康子と桃子さんはべったり一緒にいたようです。もともと共依存的な関係だったんでしょう。康子が僕と結婚したため、一時期、距離ができたけど、それに我慢できなかった桃子さんは僕を誘惑して康子を離婚させた。その後も桃子さんは、康子をいいように使っていたみたいです。掃除をさせたり食事の支度をさせたり。桃子さんのほうがずっと収入があるのに康子からお金を借りたりもしていたらしい。でも康子は尽くすタイプですから、文句も言わずに桃子さんにくっついていた」
そんな桃子さんが病気になったのは離婚から2年ほどたったときだった。身寄りのない桃子さんを康子さんは必死に看病して励ました。
「でも桃子さんは康子に感謝ひとつせず、いつも怒鳴ったりモノを投げつけたりしたらしい。体が思うようにならないからイラついていたんでしょうが、それでも康子は耐えていた。でも周りがおかしいと思い始めたようですね」
桃子さんの入院していた病院で、看護師や医師たちが動いてくれた。ある種の洗脳だったのだろう、康子さんは徐々に「自分と桃子さんとの関係はおかしい」という意識を持ち始めた。
「入退院を繰り返す桃子さんのめんどうをみていたものの、ある日を境に康子は病院へ行かなくなった。桃子さんにも、きちんと自分たちの関係を考えてもらいたかったようです。彼女の病気は治ると信じていたからこそでしょう。でも桃子さんは、康子への憎しみだけを抱いてある日、急に容態が変わり亡くなってしまった……。康子がどれほどつらいか、僕にはよくわかる気がしました」
康子さんが全身で寄りかかってきていた。とはいえ、滋和さんに支える気力はなかった。実家に戻ったほうがいいと彼は言った。
「彼女の育った家庭はごく普通でしたし、親との確執もなかったはずだから、それがいちばんいいだろうと思いました。僕には彼女を支えられない。僕自身、あの結婚生活への総括はすんでいなかったし、それなりに傷も痛んでいたから」
桃子さんの葬儀までは手伝ったが、それ以上は勘弁してほしいと告げた。康子さんは悲しい目でじっと彼を見ながら去っていったという。
「今も思い出すと胸がぎゅっとつかまれるように痛いです。本当は康子を助けるべきではなかったのか。でもそもそも、僕には康子と桃子さんの関係が理解できなかった。桃子さんと関係をもったのは事実だから、僕もいけなかったとは思うけど」
ひとりがいちばん気楽かもしれない。そう言って彼は寂しそうに笑った。
***
最後の滋和さんの台詞は、彼のこれまでの生き方を知ると、切ないものがある。その過酷な人生は【前編】で紹介している。
亀山早苗(かめやま・さなえ)フリーライター。男女関係、特に不倫について20年以上取材を続け、『不倫の恋で苦しむ男たち』『夫の不倫で苦しむ妻たち』『人はなぜ不倫をするのか』『復讐手帖─愛が狂気に変わるとき─』など著書多数。
デイリー新潮編集部