全国1位のカリスマ風俗嬢・まりてん。
しかしきらびやかな現在とは裏腹に、彼女の幼少期は新興カルト宗教にハマった母親から数々の制約を押しつけられる苦難の日々の連続だった。「清廉潔白であれ」という教義に抗う形で、大学進学を期に夜遊びをはじめた。様々な男性と関係を持っていくうちに、ピロートークで吐き出される「ドロッとした本音」にこそ本来の「人間らしさ」が詰まっていると感じ、風俗業界に自ら身を投じるようになった…。
彼女がどのような人生を歩んできたのか。初めて明らかになる「カリスマ風俗嬢の過去」と「風俗業界のリアル」を、処女作『聖と性 私のほんとうの話』から抜粋してお届けする。
『聖と性 私のほんとうの話』連載第1回
私が生まれ育ったのは愛知県の三河のあたりです。
父はゼネコンの社員で、母は看護師をしていました。母はのほほんとした性格で面倒見がいいというか、看護師という職業柄もあるのかよく人助けをする人でした。
父は仕事の関係の友人も多く、かなり頻繁に旅行に行ったり遊びに行っていました。キャンプだったり、バーベキュー、スキーとか、ディズニーランドにもよく連れていってもらいました。わりと裕福で、どこにでもあるようなごく普通の穏やかな家庭だったと思います。
父の仲の良い4人とその家族5グループぐらいで、それぞれの家族で車を1台ずつ出して、季節ごとにレジャーに出かけたり。年末はその5グループで忘年会をしたり、イベント好きな楽しい家族でした。
私が長女で、3つ下に妹がいます。私が小学校3年生のときに、もう1人、末の妹が生まれたのですが、出産後数ヵ月で亡くなってしまいました。理由はよく覚えていませんが、本当に生まれてすぐに亡くなったので、一緒に過ごした思い出はさほどありません。
ただ覚えているのは、私はその当時、絵を描くのが得意で、夏休みの絵のコンテストか何かで賞をもらったのです。その賞の副賞が近所のご飯屋さんの招待券で、それを使って家族全員で食事に行った帰り道に亡くなりました。
家族みんなで車に乗っていて、母が「赤ちゃんが息をしていない」と気づいたのです。そこからすぐに救急車を呼んで、病院に向かったのですが、もうこと切れていました。そのとき、病院で苦しそうに泣く両親を見て、「時間を巻き戻してほしい。それが難しいのであれば、せめて早く父と母の悲しみが過ぎ去ってほしい」と子どもながらに願った記憶があります。
この出来事から、私たち家族は徐々に変わっていきます。
母が、末の妹を失った悲しみで、新興宗教に入信したのです。もともと関心はあったようなのですが、妹の早すぎる死が母の入信を決めました。
その新興宗教はキリスト教系で「新約聖書」をベースにはしていましたが、独自の教義が多くありました。現世の人間は皆サタンの影響を受けており、信者以外と深い関わりをもってはいけない、神が創造したもの以外のすべての偶像崇拝を禁止する、そして血を避ける、つまり輸血を拒否するといったものです。
いまの私からはまったく外れてますが、性行為はもちろん、自慰も禁じられています。結婚は信者同士で結ばれるものであり、婚前の自由な男女交際も禁止です。
教団の死生観として、「死者の復活」がありました。
信仰を持ち、教えに従えば、死後は楽園へ行ける、復活できるというものです。三女を亡くした母にとって、その教えが心の拠りどころになっていたのはいまとなっては理解ができます。家族全員がこの世の先の「楽園」で再会できることを期待して、私や妹が信仰の道を外れぬよう熱心だったことも納得がいきます。
『「輸血禁止」「国歌斉唱禁止」「お誕生日会禁止」…“宗教2世”のカリスマ風俗嬢「まりてん」が苦しめられたカルトがヤバすぎる』へ続く
「輸血禁止」「国歌斉唱禁止」「お誕生日会禁止」…“宗教2世”のカリスマ風俗嬢「まりてん」が苦しめられたカルトがヤバすぎる