筆者は「家族のためのADRセンター」という民間の調停センターを運営している。取り扱う分野は親族間のトラブル全般であるが、圧倒的に多いのが夫婦の離婚問題である。ADRは、「夫婦だけでは話し合いができない。でも、弁護士に依頼して裁判所で争いたいわけではない」という夫婦の利用が多いため、裁判所を利用する夫婦に比べると紛争性が低い。また、同席で話し合うことも多く、その夫婦の夫婦らしさというか、人間味のあるやり取りになることも多い。そこで「ADR離婚の現場から」シリーズと名付け、離婚協議のリアルをお伝えしたい。
今回のコラムでは性的マイノリティ夫婦の離婚を取り上げる。以前に比べると、多様性が認められる社会になったものの、いまだ多くの夫婦を悩ませる問題でもある。以下では、2組の性的マイノリティ夫婦の離婚協議を紹介する(あるあるを詰め込んだ架空の事例である。)
監修:九州大学法科大学院教授・入江秀晃
<夫婦の経過>
カイトと友香は婚活アプリで知り合った。友香は離婚歴があり、4歳になる長男がいた。カイトは、いきなり4歳の男の子の父親になることに戸惑いを覚えたが、この機会を逃すと結婚できないかもしれないという不安もあり、友香との結婚を決めた。一方、友香は、元夫の浮気が原因で離婚したこともあり、素朴で信頼感があるカイトに好印象を持った。長男との相性も良かったことから結婚を決意した。
2人は、子どもの心情にも配慮し、まずは週末婚という形で結婚生活をスタートさせた。ほどよい距離感もあり、うまくいっているようにも思えたが、実は、二人の間にはある問題が横たわっていた。つまり、ふたりはまだキスもしたことがないのだ。
交際当時、長男同伴で会うことも多く、2人きりになる機会が少なかった。カイトは、2人ともいい歳だし、急ぐ必要はないと考えていた。結婚してから、自然な流れで結ばれればいいと思っていたのだ。しかし、週末婚になってからも、友香は長男と寝ているため、自然な流れを待っていたのでは、チャンスはやってこないように思われた。
そのため、カイトは、長男を寝かしつけた後、一緒にリビングで映画でも見ようと誘ってみたり、旅行を提案したりもした。それでも状況は変わらないため、ある日、カイトは友香にこの問題について話し合いたいと提案した。しかし、友香は、話したくないと言って寝室に逃げていってしまった。
このようなことが何度か続き、カイトは、自分が利用されているような気持ちになってきた。友香は、子どもの父親が欲しいとか、経済的なメリットを求めてとか、愛情とは別の理由で結婚したのではないかと思ってしまうのだ。
問題は深刻化し、家庭内別居のような状況に至ったが、ますます二人での話し合いは難しく、困ったカイトはADRに申し立てを行った。友香は、できれば話し合いなどしたくなかったが、第三者を挟む方法を選択したカイトの決意のようなものを感じたし、このまま知らんぷりをしていると、別居や家裁での解決、経済的な締め付けなど、望ましくない未来が待っている気もして、渋々応じることにした。
<ADRによる協議>
調停の冒頭で、調停人が協議したい内容を二人に尋ねたところ、カイトが次のように口火を切った。
「僕は、愛情のある夫婦生活を求めて結婚しました。しかし、妻はそうではなかったようで、僕への愛情が感じられません。単にお金を出す同居人、もしくは子どもの父親代わりとして求められているだけのように感じます。このままでは夫婦として難しいとも思い、話し合いの場を持とうとしましたが、それにも応じてくれないので、今回はADRでしっかり今後のことを話し合いたいと思っています」
これに対し、友香は、「夫への愛情がないわけではありません。でも、私は離婚歴もありますし、子どももいます。好きだ嫌いだといった恋愛感情より、生活が大切な部分があります」とうつむきがちにつぶやいた。
二人のこうしたやり取りの後、調停人からはカイトの発言を深める質問として、妻からの愛情が感じられない理由を具体的に教えてほしいと伝えた。
カイトはやや言いにくそうにしていたが、次のように語った。
「あまり他人に話すことではないのかもしれませんが、二人ではかえって話が進まないので、思い切って話題にしますが、ぼくたちは、今の今まで性的な関係がありません。僕も別に急ぐ気持ちはなかったので、焦らずに待つつもりでしたが、妻は一向にその気はないようでした。僕がそれを話題にすることすら嫌そうだったので、妻は僕に触れられたくないんだなと感じました」
それを聞いた友香は、調停人の方をちらりと見たが、何も言わずにまた下を向いた。調停人は、カイトの発言に対する友香の意見を聞こうとしたが、そんな友香の様子を見て、次のように提案した。
「このまま同席で進行しますか、それとも、少し別席でお話ししますか。もし、相手に伝えたいことがあるけど、顔を見ては話しづらいということがあれば、別々にお話をうかがってもいいかなと思います」
双方ともに別席を希望したため、一旦別席にて進行することとなった。
別席になった後、友香は大きなため息をつき、初めて前を向いて調停人の顔を見つめた。調停人は、「やっと友香さんのお顔を正面から見させてもらったような気がします。先ほどは話しづらかったですか」と話を向けた。
そう問われた友香は、とつとつと語り始めた。
「すごく説明が難しいのですが、私は他人に対してそういう感情が抜け落ちているところがあります。元夫との間には何とか子どもができましたが、そういう行為は好きではありませんでした。元夫の浮気でその傾向に拍車がかかったように思います。でも、息子にお父さんを作ってあげたい気持ちも強くて、何となくカイトさんならいいかなと思って結婚しました。でも、やっぱり、その気になれなくて。カイトさんはいい人なのですが、愛情というのがよく分からなくて……」
そして友香は最後に「自分はアセクシャル(他人に対して愛情や性的欲求を感じない)だと思う」と口にした。
一方、カイトに友香の発言を伝えたところ、「やっぱり。何となく薄々気付いていました」という受け止めであった。そして、「でも、どうすればいいのでしょうか。愛情がなくても夫婦ってやっていけるのでしょうか。いったい、僕はどうすべきなんでしょうか」と述べ、混乱している様子であった。
何度か別席でやり取りした後、調停人は同席に戻すことを提案し、二人にこう伝えた。
「あまり調停人が積極的に提案するのもどうかと思うのですが、参考程度に聞いてください。お二人は、これまでこの問題について話すことができませんでしたが、ADRをきっかけに少し風穴が開いたように思います。今後、夫婦としてどうするのか、じっくりと話し合われてはどうでしょうか。もちろん、ADRという方法でもいいですし、場合によっては、夫婦カウンセリングや家族療法を受けるという方法もあると思います」
この提案に、二人はほっとしたような表情を見せた。そして、夫婦カウンセリングで対話を継続することに合意し、ADRは一旦終了することとなった。
夫婦カウンセリングでは、お互いがどんな夫婦・家族になりたいと思っているか、相手に何を求めたいか、自分は何ができるか、そんなことをテーマにセッションが持たれた。ADRとは異なり、法律事項を扱うことがないため、お互いの気持ちによりフォーカスできた。結果として、カイトは離婚を求め、友香もそれに応じた。カイトは、カウンセリングを通じて、友香の気持ちを理解するとともに、自分の気持ちにも正直になって考えた。その結果、やはり、性的な関係がない夫婦関係は不自然だと感じたのだ。しかし、友香の気持ちも理解することができた。そのため、「利用されている」という誤解は解け、互いに不要に傷付けることなく離婚に至った。
2組目の夫婦のケースは【恋愛や性行為のない結婚をしたはずが…10年目に突然すべてが一変した「夫の一言」】で紹介する。
恋愛や性行為のない結婚をしたはずが…10年目で突然すべてが一変した「夫の一言」