扶養控除「103万円の壁」に社会全体が揺れている。
昨年にはドイツに抜かれ世界4位のGDPとなった日本経済。バブルをピーク後に長く続いたデフレ経済の影響や、経済成長が伴わない政策によって、私たちの暮らしは大打撃を受けている。物価高騰や教育費などさまざまなものの値段が一気に上がり、それに加えて、この30年で大幅な増税も施行された。
これによる影響は夫婦や家庭のありかたにも大きな影響を及ぼしている。「結婚したら男性が家族を養う」が一般的だったかつて時代はとっくに過ぎ、専業主婦となった女性もまた、パートタイムで自分の小遣いや家計の足りない部分を補填するだけの働き方ではままならない状態だ。
同年代の妻とふたりの娘を持つ、食品メーカー勤務の裕太さん(51)は、名の知れたメーカーで働く営業マンだ。年収は約500万円。二人の娘のため、15年前に購入したマンションのローンのためと、家族のためにとせっせと働いてきた、よき夫である父親だ。
しかし最近になって、これまでの自分の人生は「なんのためにあったのだろう」といきどおる出来事が起こったという。いったい何があったのか。前編記事<金が足りない…妻が放った「衝撃の一言」で地獄に突き落とされた、50代の夫のゾッとする「怒りの矛先」>に引きつづき裕太さんの苦しい胸の内を明かす。
そうしてまで働いていても、祐太さんの毎月のお小遣いはずっと3万円のままだ。ボーナス時は多めに小遣いをもらえるということもない。そのお金も社食でのランチ代とたまの飲み代に消えていく。
「後輩と飲みに行ったら、たまには奢りたいじゃないですか? でも月に1、2回が精いっぱい。趣味だった釣りなんて、もう何年も行けていません。だんだん“自分は、ただお給料を家に運ぶだけの人間なのかなあ”と悲しくなってきてね。
妻はパートしかしていない。でも家のことをぜんぶまかせているので、何も言えない……仕事が終わって帰宅して、リビングのソファで寝落ちしてる妻の顔を見ると、イライラするようになっていったんです。あんなに好きだった妻の顔が、本当にブサイクで見たくなくて、大嫌いな顔とかんじるようになっていきました」
そんな祐太さんの気持ちを知らない娘さんたちは、時折「パパ~」と、あれこれ甘えてくる。
「やれ、ブランドのバッグがほしいとか、友達に誕生日プレゼントあげたいからお小遣いちょうだいとかね。いろいろ言ってくる。ママに言ったけどダメだったの~と甘えてくるので、まあ、独身時代から使っていた口座にあるお金を引き出して渡したりしていますけれどね。わずかな僕のへそくりも、そのせいでそこをつきそうですよ」
それでも、稼ぐのは家族のためと、やってきた。会社の仕事はちっとも楽しくないが、そんなのは当たり前のこと。上司と部下との間で、ぶつかりそうな課題はなるべく曖昧なまま、なるべくぶつからないように処理をし、“まあるくおさめる、まあるい人生”を生きてきた。
だけど、そんな人生にも息切れを起こし、嫌気がさしてきたころに、妻の散財と借金がわかりこれがトドメとなってなにかが壊れた。
「いやね……お金がない、教育費が大変ってずっと妻が言っていたのを信用していたんですよ。だけどね……妻がときどきママ友と豪華なランチを食べたり、いい化粧品やバッグを買っていたことがわかったんです。
たまたまリビングのゴミ箱近くに落ちているレシートを見つけちゃってね。20万円のバッグとか、うちみたいな庶民の家でやめとけって思いますよ、僕は月に3万円の小遣いだっていうのに」
どうやら妻は、祐太さんに内緒でそれらを購入し、地味な紙袋に入れてクローゼットの奥に隠していたそうだ。それらの高級品は“ママ友との外出用”だったそうで、家族の外出の時に使用することはなかった。たまたまリビングのゴミ箱近くに落ちていたレシートを見つけ、奥さんを問い詰めたのだという。
「妻が言うにはね、娘はふたりとも私立なので、ママ友さんたちはみんなお金持ちらしいんです。だから、それなりのものを持っていなきゃとか、ランチだって一流ホテルは当たり前だと。
自分がパート美容師をしていることも、ママ友たちにはナイショなんだそうです。しかも、カードローンで200万円くらい借金をしていた。なんでも、昔からちょこちょこブランドものの宝石を買っていたりとか、スピリチュアルなママ友さんからブレスレットなどっも買っていたみたいです。
なんかねえ……そういう言い訳を延々としている妻を見ていたら、ものすごく腹がたってね。僕、気づいたら“ふざけんなよ!”って怒鳴り散らしてたんです。
妻を怒鳴るなんて、結婚して……いや、つきあいはじめてからはじめてでした、あんなこと、だから妻もすごく驚いていたけれど、もう僕は止まらなかった。しばらく怒鳴り散らしていて、それからはもう、妻とは必要なことしか話さない……話せなくなってしまいました」
不幸中の幸いだったのは、祐太さんが怒鳴り散らした夜は、ふたりの娘さんたちはまだ塾から帰宅していなかったことだ。怒鳴り声を娘たちに聞かれることはなかった。しかし逆に言えば、娘さんたちがいなかったからこそ「僕はブチ切れてしまったのかも」と、祐太さんは言う。
それまで、自分の気持ちを押し殺してがんばって働いてきたのにこれかと。もう糸が切れてしまったのだ。
「それまで妻にお給料を渡していましたが、蓋をあけたら、ほとんど貯金もしていなかった。妻が“私の名義で学資保険をしているから、娘たちの学費はだいじょうぶ”と話していましたが、それもなかった。
どうやら、途中までは貯蓄していたらしいのですが、塾やら私立やらに行かせているうちに、解約をしてぜんぶ使っちゃったみたいなんです。娘たちの大学はこれからなのに、学資保険ゼロ、貯蓄もほぼゼロですよ……いや、ぜんぶ任せてきた自分も悪かったんですけどね。信じていたんです。信じ切っていました」
以来、奥さんにお給料を渡すのはやめて、祐太さんが家庭のお金を管理し始めた。ほとんどイチからの貯金だ。今後の教育費も老後の資金もない。もう人生の後半戦だ。これからどんなに働いたって、どれほど貯蓄できるだろうと不安ばかりが頭をよぎる。
「妻には、パートを増やして自分で借金を返してくれと言いました。娘たちはなんとか大学まで行かせてあげたい。そのためにはもう、働くしかないんですよね。そう思うと、がんばるどころか、ものすごく仕事が嫌になってきて、辛くなってきてね。僕の人生、これから辛いことばかりじゃないかと。
自由な老後とか、何もないなと。いや、老後に大きな期待をしていたわけでもないんです。ただ、普通に働いて、普通に退職をして、普通に家族仲良く普通のご飯を食べて生きていられると信じていました。妻のことも信じていた……でも、自分が悪いんですよね。この年まで、なんとなく、フワッと生きてきてしまいましたから」
祐太さんは、もう妻に愛情はないし、別れたいのだとか。でも、その気持ちを伝えることだけは、ぐっとこらえている。なぜなら、娘たちが悲しむだろうからだ。そしてもうひとつ、理由がある。
「お金です。妻には、借金返済だけでなく、家にもちゃんとお金を入れてもらいたくて離婚をしないでいます。今はなんとか、美容師のパートのほかにスーパーのレジのパートも兼業してくれていて、毎月10万円ほどの借金返済のほか、家に3万円くらいは毎月入れてもらっています。カードローンは利息がかかりますからね、なるべく早く返済してほしい。
しかし、どうしてこんなことになったのか。ふりかえってみると、僕はもともと、うちのような庶民は公立でいいと思っていたんですよね。だけど、つい妻の気持ちのままやらせてしまった。でも、いや……そういう問題ではなく、妻の性質の問題ですよね。彼女との結婚は失敗でした」
祐太さんが怒鳴り散らした夜以来、妻はひとまず反省したようなそぶりを見せているそうだ。祐太さんが言うことには「そうね、そうするね」と答えて、言い返してくることはない。
最近はママ友とのつきあいもほどほどにしていて、新たに高級品を購入したり借金したりしてはいないと本人は言っているそうだが、祐太さんは、どこか信じ切れずにいる。人の性質がそんなに簡単に変わるわけはない。だから妻が自分に隠して、また新たな借金を作っているのではないかと疑っているそうだ。
家で過ごすふたりの会話は少なく、いつも少し張り詰めた冷たい空気が漂いがちだ。だが、娘たちと食卓を囲む時などには、夫婦仲の冷たさがあまり出ないよう、祐太さんはなるべくほがらかに話す。妻も笑顔を装う。
「正直、息苦しいですよ、家庭でそんな演技を続けているのも。娘たちも、もしかしたら気づいているかもしれませんしね。でも、ひとまずこの暮らしを続けるしかないと思っているんです。でもね……毎朝、会社に行くために家でスーツを着て、出かけるでしょう? 駅までの道からもう憂鬱なんです。
仕事中は、同僚や部下たちがいるから、なんとかメンタルが保たれてる感じかな。仕事が終わってからの帰り道。駅近くの雑踏などでは、気が狂いそうになるんです。叫びたくなる。ばかやろうって……そして、みんなにガシガシぶつかってどんどん突き進んでいきたくなる。多分、世の中のぶつかりおじさんは、みんなこんな気持ちなんじゃないかな?」
そもそも、大きな野望を持っていたわけじゃない。ただ、ささやかに、ちいさなしあわせを感じながら生きていたかっただけなのに……まさか、50歳を超えてから、こんな思いをするなんて……。やりきれない思いで、今日も祐太さんは、スーツを着て、会社に向かうのだろう。
祐太さんの毎日の暮らしの中に、ほんのすこしでいいから、「自分はしあわせだなあ」と思える瞬間があればいいのだが、今はおそらく、さまざまな思いが頭の中でぐるぐるしていて難しいかもしれない。だけど、少し時間がたったら、違う角度から自分の毎日を見てみてほしい。
どこかに必ず、しあわせを感じる瞬間はあるはずなのだ。道に咲く花を見たとき、部下が笑顔で話しかけてくれたとき、居酒屋さんの鍋がほっこり美味しく感じるとき……。そんなしあわせを少しでも感じられたら、すこしずつ元気になれると思う。そして、人生を楽しむことを、あきらめないでほしいなと思う。

…つづく、安藤房子氏の連載<50代「ハラスメント」を恐れて何も話せなくなった男性の切実な本音>はこちらからお読みいただけます。
50代「ハラスメント」を恐れて何も話せなくなった男性の切実な本音…職場で会話ができない自分は「ダメな人間」とおもってしまうんです