【前後編の後編/前編を読む】どこに不倫する“隙”が?幼なじみと地元で築いた幸せな家庭…42歳夫の「世界」が揺らいだ出来事
田上由晴さん(42歳・仮名=以下同)は、幼なじみの葵さんと結婚し、3人の息子たちと地元で安定した生活を送っていた。高校時代に荒れた自分を支えてくれた妻との生活に不満はなかったが、37歳の時に「人生とは」といった思いが頭をもたげる。そして「忘れられない人」との再会が、彼の人生に思わぬ波紋を投げかける。
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由晴さんの忘れられない人とは、小学校のときにやってきた教育実習の先生だった。
「当然ながらうちの子たちは、僕と葵の卒業した小学校に入りました。そこへやってきたのが雪乃先生だった。長男が5年生になるときだったかな。雪乃という名前にうっすら記憶があったんですが 、たまたま学校へ行ったとき、あちらから声をかけられました。『もしかしたら田上くん?』って。その瞬間、蘇ったんです。自分の初恋が」
由晴さんは長男と同じ5年生のころ、クラスに教育実習の雪乃先生がやってきた日、彼女に一目惚れした。子どもだから、もちろん自分の気持ちを伝えることなどできず、先生のスカートをめくってひどく怒られたことがあるという。実習が終わる日、彼はクラスメイトに見られないようにしながら、職員室から出てくる先生に自分で摘んだ花を手渡した。手紙もつけた。手紙の中で、彼はプロポーズしたような覚えがあると照れながら言った。
「先生は確か、僕より10歳くらい年上だった。でも再会したときもきれいでした。だんだん記憶が鮮明に蘇ってきて、同時に自分がどれだけ先生を好きで悶々としたかまで思い出して……」
それからは学校行事に常に出かけるようになった。「最近、やけに教育熱心になったわね」と葵さんにからかわれたほどだ。翌年には自ら保護者会の代表になった。
「先生と話す機会も増えました。僕が想像していたよりずっと人間的に素晴らしい人だった。憧れが恋心に変わっていくのを止めることはできませんでした」
偶然が味方をした。長男が卒業間近になったころ、教師と保護者の懇親会が開かれた。一次会だけでさらりと終わったのだが、彼は雪乃さんを引き止め「ふたりで二次会をしませんか」と言った。
彼は車で来ていたので雪乃さんを乗せた。そのためにいっさいお酒を口にしていなかったのだ。ドライブでもしましょうと言って、隣町の海辺まで車を走らせた。
「窓を開けてしゃべりながらドライブして。楽しかったなあ。彼女も気持ちいいわーと言ってくれて。でもそのとき聞いたんです。次年度はこの学校にはいないって。どうして、まだ2年しかたってないのにと言ったら、詳細はわからなかったけど、彼女は『ちょっと疲れちゃった』って」
海辺のカフェに落ち着くと、彼女は「学校に疲れたというより人生に疲れたと言ったほうがいいのかも」と弱々しい笑みを浮かべた。そういう女性を放っておけるほど冷たい男じゃないんですよ、僕はと由晴さんはきっぱり言った。
「彼女は結婚しているけど子どもがいない。それは前から聞いていました。ただ、子どもがいないのは夫が浮気ばかりしていて帰ってこないから。彼女は夫の母親と一緒に暮らしているんですが、かなり息のつまるような生活をしていたようです。このところ義母の体調もすぐれないので、次年度は実は他の学校に行くのではなく、教師をやめるのだということでした」
離婚しちゃえばいいのにと由晴さんはつぶやいた。そうもいかないの。義母は私の大学進学の費用を出してくれた人だからと彼女は言った。
「彼女の身の上話を聞いて、僕は衝撃を受けました。彼女は幼い頃に父を病気で亡くして母親とふたり暮らしだった。貧しかったそうです。大学など行けるはずもないと思っていたら、母親がパートで働いていた会社の社長夫人が娘を大学まで行かせてあげると言ってくれた。娘のためならと母親は思わずすがってしまったそうですが、結局、そのせいで彼女はその社長夫婦の息子と結婚させられた。あげく、会社は破綻、息子は仕事が続かない、社長は急逝ということで、彼女が義母のめんどうを見ているというわけです」
塾の先生をする予定なの。なんとか食べてはいけると思うと彼女は自分を奮い立たせるように話した。
「ふたりでどこかへ行って暮らそうか。僕の口からそんな言葉が出てしまった。人生を変えたい。僕自身がそう思って悶々としていた。その気持ちに弾みをつけて実現させるために、彼女が現れたに違いない。そう感じたんです」
彼は本気だった。彼女は「絶対に無理」と言っていたが、「ふたりで別の世界で生きよう」という彼の言葉に徐々に気持ちが傾いていったようだ。
「男女の関係にもなりました。それが……あまりによかったんですよ。彼女も、もう離れられないと言い出して。快楽に溺れたのは初めてでした。こんな関係を続けてはいけないと頭で考えたこともあるんだけど、彼女と交わる快感にはなにものも勝てなかった」
春、長男の中学の入学式を見届けて、彼は彼女とともに失踪した。どこへ行くとも決めていなかった。
「僕らとは縁もゆかりもない土地に落ち着いて、一生懸命働きました。小さなアパートで暮らしていたんですが、幸せでした。彼女は塾の先生をして、僕は職人として町工場で仕事をして。最初は、誰かに見つかるんじゃないかとビクビクしていましたが、そのうち案外、誰も追ってこないものかもと思うようになった」
携帯電話も解約し、しばらくは携帯をもたない生活を続けていた。お互いだけが頼りのささやかな生活の中で、ふたりは心身ともに満たされていった。
「無責任なのはわかっていたし罪悪感もあった。でも彼女との生活は、それらすべてを考えても、やはり満たされるものがありました。これが本物の愛なんだと思った」
休みの日には釣りに出かけ、釣った魚をさばいて調理した。雪乃さんは目を見開いて「あなたってすごい」と言ってくれた。お互いをいたわり合いながらの小さな生活が3年間、続いた。
「ある日、雪乃が言ったんです。『私、50歳になってしまったの。もうこれ以上、若いあなたを道連れにするわけにはいかないような気がする』と。彼女は僕よりずっと罪悪感に苦しんでいたんでしょう。そのころ、夜中によくうなされていました。義母や夫のことが気になっていたんでしょうね。電話だけしてみればと言うと、『この生活をずっと続けたいけど、そうすると私たち、死ぬまで隠れていなければいけないのよね』って。それでもいいと僕は思ってた。もし先に雪乃が死んだら僕も後を追うとも言っていた。でも雪乃としては、人としてこのままではいけないという思いが強くなったみたいでした。本当の愛と、俗世の生活のどちらがいいんだと僕が迫ると、『人としてどうかって大事なことだと思う』って」
いったん帰って、それぞれに話をつけてまた会おう、そのとき気持ちが変わっていなかったら離婚して再婚する。そのほうが人としてまっとうだと思うと雪乃さんは真顔で言った。
「やはり王道から外れた道を、ずっと歩くわけにはいかないんでしょうね。雪乃にそう言われると、僕も葵のことや子どものこと、仲良しだったあの大家族を思い出しました。僕にとってはどこか遠い感じがしたけど、あの人たちを嫌いになったわけでもうっとうしかったわけでもない。僕の気持ちに何が起こって何が歪んで、雪乃とふたりきりの生活を選んだのかもよくわからなくなっていた。過去がすべて幻か夢だったかのような感じです」
そういうことはあると筆者も思わずうなずいた。ときどきふと、自分が歩んできた道が現実でなかったような、ずっと何かが間違っていたような、説明のつかない虚しさに、人は襲われることがあるのかもしれない。だからといって、由晴さんのように何もかも捨てて新しい人生を歩む勇気は、一般的には持てないものだが。
「3年たって、連絡もなしに家に戻ってみたら、ちょうど葵が家に入るところだった。僕を見た葵の顔、忘れられません。これ以上ないくらい目を見開き、呆然と突っ立ったまま。僕が近づくと、葵は『お帰り』と言いました。そのとき思ったんですよ、こっちの道のままでいればよかった、と」
当然、近所は大騒ぎになったのだが、その晩は誰も訪ねてこなかった。葵さんが止めたようだ。家族だけで話したいからと。
「3年見ない間に子どもたちは大きくなっていました、当然ですけど。とにかくこの3年間、申し訳ないことをした。謝るしかなかった。長男は中学を卒業して高校に入学したばかり。どういうつもりなんだよ、おかあさんのこと考えたのかよと責められました。いい子に育ったなと思いました」
子どもたちが寝静まってから、夫婦はぽつりぽつりと会話を重ねた。自分を取り巻く環境が嫌になっちゃうことってあるよねと、葵さんがつぶやいた。
「でもさ、高校時代のサッカーのときは、あなた、荒れて警察につかまったりしてたけど、今回は警察沙汰にはならなかったね、大人になったってことかなと葵が言ったんです。僕はそれを聞いて笑い出しちゃった。葵ってすごい女だなと思いました。『たとえ夫でも、人が飛び出していくときは誰にも止めることができないんだよね』と葵は言った。どうしたいと言ったら、わからないって。離婚はしていないわけだし、このままここで暮らしてもいいし。あなたはどうしたいのと聞かれたから、僕もわからないとしか答えられなかった」
3日後に雪乃さんと会う約束をしていた。雪乃さんの家は更地になっていたそうだ。義母が亡くなり、夫は家を売って越したらしい。私はひとりでやっていくわと彼女は言った。
「あなたは家に戻りなさい。戻れるわよって。ただ、ひどいヤツだと思われるでしょうけど、僕にとって家族の意味がわからなくなっていた。僕の本音としては、違うレールを走ってみたら、さらに違うレールへと移りたくなった。家族とも雪乃とも離れて、もう一度人生をやり直してみたいというのが本当のところでした」
雪乃さんは「ありがとう。私はひとりでやり直せるわ」とひらひら手を振って去っていった。
その後、由晴さんは結局、家庭には戻らず、東京に出てきて郊外で生活している。もう一度、職人としてやり直しているところだという。
「葵とはときどき連絡をとりあっています。子どもたちの学費のことを心配したら、今さらあなたに心配されなくても、周りがみんな助けてくれてるわよって。葵の両親は今も元気だそうで、ほっとしています。あんなに親密な関係だったのに、僕がみんなを裏切ったことになるんですよね」
何が自分をあんな思い切った行動に駆り立てたのか、由晴さんはときどき思い返して分析しようと試みるのだが、自分の気持ちの変化が見えてこないのだという。
「よくわからないんですよ、自分でも自分のことが。ただ、大家族の楽しかった日々のことは忘れてはいません。そこへ戻りたいかどうかがわからないから苦しいんですけどね」
自分が自分に裏切られた。そんな気分が強いと彼はため息交じりに言った。
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万事順調だった由晴さんの人生に“揺らぎ”が生じたのは、37歳の時だった。その過程は【前編】で紹介している。
亀山早苗(かめやま・さなえ)フリーライター。男女関係、特に不倫について20年以上取材を続け、『不倫の恋で苦しむ男たち』『夫の不倫で苦しむ妻たち』『人はなぜ不倫をするのか』『復讐手帖─愛が狂気に変わるとき─』など著書多数。
デイリー新潮編集部