9月は認知症への関心と理解を深める「認知症月間」です。なかでも全国に3万人以上の患者がいるとされるのが「若年性認知症」です。当事者はどのように病気と向き合っているのか。認知症とともに生きる女性を追いました。
北海道江別市のスーパーです。(横山光紀さん)「おれたまご買ってくるから、アルミホイル探してきてくれない?」
(横山弥生さん)「行ってくる、わかるかな」江別市の横山弥生さん54歳。夫の光紀さんと何度も来たスーパーでも、ひとりで店を回るのは簡単ではありません。
(夫・光紀さん)「カレーヌードル買っとくか」(横山弥生さん)「2つね」カップ麺を2つ、弥生さんがかごに入れますがー
レジに来ると…(横山弥生さん)「カップラーメン2個買ったの?私が入れた?」(夫・光紀さん)「うん」
弥生さんの病名は若年性アルツハイマー型認知症。診断されて3年、症状は徐々に進行しています。(夫・光紀さん)「これはトースターの横に置いてほしい」(横山弥生さん)「トースターの横…言われたことができているかわからない…」
(夫・光紀さん)「これ、トースターの横に置いておいてねって」(横山弥生さん)「言ったっけ?言ったね。なるほどね」「何も考えずにやればいいことかもしれないですけど。何が正解か、正解もないのに正解を探そうとしちゃう。逆に考えすぎちゃう」
今は札幌市内のオフィスにも勤めています。建物の中に入った弥生さん。(横山弥生さん)「あ、またやっちゃったかも、また鳴らしちゃった、どうしよう」
ビル中に、セキュリティーのアラームが鳴り響いてしまいました。会社の中に入るいつもの手順を忘れてしまっていたからです。すぐに警備会社に電話をしようとしますが…
(横山弥生さん)「すみません、ダイヤルを押してもらってもいいですか」突然のことに慌ててしまうと、電話など普段できることもできなくなってしまいます。(横山弥生さん)「慌て具合が今までと違って、何かあると頭が真っ白になってなかなか回復しない。ずっとドキドキしている状態。鍵を閉めたかとか、以前より日常的なことに対して、自分の行動に自信が持てないことが1番つらい」自分にしかわからない苦しみと向き合っています。
4人の子どもを持つ母でもある弥生さん。子育てをしながら、札幌のシェアサイクル「ポロクル」の立ち上げに携わるなど仕事にも打ち込んできました。認知症と診断されたのは、弥生さんが51歳の時でした。(夫・光紀さん)「仕事で大きなミスをして、こんな大事なことを忘れるのかなってことを、どうしたもんだろうかと感じた」(横山弥生さん)「自分自身に起こることとは思っていなかったので、認知症という病名がついてすごく複雑な、納得感と困惑があった」国内の患者は3万5千人以上と推定される若年性認知症。ただ、抜本的な治療法は確立されていません。
うつうつとした日々のなかで、光紀さんとの会話に光を見出します。(夫・光紀さん)「(認知症は)感情が残るということだったので、楽しいことはなんだろうねって聞いて、歌を歌うことかなって話になったから、ライブをやろうかって言った」(横山弥生さん)「音楽は学生のころから好きでやっていたことだったので、たぶん言ってくれたんだと思う」
弥生さんのいまを支えてくれるものーそれは「歌」です。(横山弥生さん)「今のうちに好きなことをして悔いなくしておきたいと、歌いたいと思った」
2か月に1回ライブも開催。本番を4日後に控えたリハーサルでも笑顔が弾けます。
歌は弥生さんの生活を大きく変えていきました。英会話教室の助手を担うなど積極的に外に出るようになり、持ち前の「笑顔の場面」も増えています。(横山弥生さん)「英語楽しい?」(園児)「うん!」
江別市のライブハウスで迎えた「本番」当日。(横山弥生さん)「歌の歌詞を残念ながら覚えていられなくて、歌詞を見ながら歌うスタイルでやってます」歌詞を指でなぞりながら歌います。
会場には、光紀さんの姿も…(横山光紀さん)「これがずっと続くといいなと本当に思ったし、いちばん素の笑顔がでるステージの上が(弥生さんの)居場所だなって」
この日、歌ったのは13曲。そのうち最後の1曲だけ弥生さん本人が選びました。「白いページの中に」ー。
(横山弥生さん)「アルツハイマーになるなんて思ってもいなかったですし、みなさんもやりたいこと、おいておかないでやってください。そしたら私みたいに何回目だ?3回目だか4回目のライブを開けるようになります」(バンドメンバー)「5回目です!」
自分の人生を悔いなく生きたい。認知症とともに歩む弥生さんがいま、歌に込める思いです。