〈「ゲームは1日1時間」に科学的根拠はナシ…子供をゲームに依存させないために親ができる“効果的な手段”とは?〉から続く
家庭用ゲーム機の誕生以降、子供とゲームのうまい付き合い方に頭を悩ませる親は後を絶たない。
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はたして、子供にどれだけ、どのようにゲームを楽しんでもらうのが適当なのだろうか。ここでは、ゲームライターとして生計を立てる筆者が考える、ゲームに熱中する子供と親の対応に関する“問題の本質”を紹介する。
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『スプラトゥーン』シリーズのような対戦ゲームを遊んでいると、負けたことに腹を立てて子供が乱暴な物言いをすることがある。「まるで子供が別人になったかのよう」と思う親もいるそうで、これも問題のひとつといえよう。
『スプラトゥーン3』のように、プレイヤー同士が真剣に勝負するゲームは楽しいと同時に競争的でもある。画像は任天堂公式サイトより
確かに見ていてよい気持ちになるようなものではないのだが、実はこれは「ゲームだから」だとか「子供だから」という話ではない。大人にも通じる話だし、ほかのスポーツにも関連する人間の普遍的行為といえる。
たとえばテニスでは負けた選手がラケットを折ることはしばしばあり、大相撲でも横綱が判定に疑問を持って渋い顔をすることもある。なぜその人たちは怒りをあらわにするのか? それは真剣勝負の結果が喜ばしくないものであった場合、人間には多大なストレスがかかるからだ。
いわば、「負けて悔しい」「うまくできなかった」という認めたくない事実が暴言や悪い態度として表面化しているのだ。チーム対戦ゲームはよりこの傾向が強く、MOBAと呼ばれるジャンルは特に仲間にいらつきやすい。

ただ、「何かに失敗・敗北してストレスが溜まる」というのは普遍的なものである。スポーツはもちろん、仕事でも同様のことが起こりうる。だからこそ、失敗した部下にむちゃくちゃな叱咤をするパワハラ上司や、車を運転すると豹変する人がいるのだろうし、「アンガーマネジメント」なんて概念があるのだろう。
つまり罵詈雑言を吐く子供のことを「対戦ゲームのせいで豹変した」と解釈するのは間違いである。われわれはもともと内なる獣を飼っており、それを倫理や知識で抑え込んでいるに過ぎない。むしろ、己の凶暴さを自覚して、それを飼いならす必要があるだろう。親としては、そういう状況に陥ったときにどういう態度をとるべきか教える機会だといえる。あるいは、怒り狂っている様子を動画に収めて客観視させてもいいだろう。
かくいう筆者も対戦ゲームでいらつきを覚えた人物であり、ここからいくつかのことを学んだ。まず「他人に期待してはならない」。他人は自分の思い通りにならないというのは極めて当たり前のことだが、それでもどこか自分のなかに甘えがあり、怒りが湧き出てしまうのだ。
そして「自分で世界を変えるには限界がある」。作品によるが、チーム対戦ゲームはひとりだけうまくても戦況を変えることが難しい。飛び抜けた能力を持たなければ実現不可能で、そうでない人間は期待できない仲間と協力する必要がある。
もうひとつは「敵も仲間」というものだ。対戦ゲームにおいては敵陣にいる人間たちもまた同じゲームを遊ぶ仲間である。相手がいなければ対戦が成り立たない。どれほど厄介に見える相手でも、遊んでくれるのはありがたいことではないか。
人生哲学のような話になってしまったが、対戦ゲームでストレスを得ることによって物事の見え方が変わることもある。こういった経験を比較的に安全な領域で得られるのもゲームならではだろう。
子供がゲームに関するコミュニケーションの問題に巻き込まれることがある。

なんとなく「任天堂のゲームは安心」というイメージを持っている親御さんもいると思うが、実は過去にニンテンドー3DSの『いつの間に交換日記』などで、公序良俗に反する写真が送受信されてしまう事例が発生したことがある。
具体的には、インターネットを通じて文章・写真を送れる機能により、小学生の女児に裸の写真を送信させるといった事件などが発生したのだ。これを受け、任天堂はこれらのインターネット関連サービスを停止。後続のゲーム機であるNintendo Switchでは、そもそも問題を発生させないためか、カメラ機能やブラウザ機能をなくしている。
あるいは、『フォートナイト』でいじめが起こるという話もある。本作にはさまざまなキャラクターのスキン(見た目を変えるアイテム)が用意されており、有料スキンを購入していない子供はいじめられるケースがあるという。

これは確かにゲームに伴う問題だが、その根源はコミュニケーションだろう。#1ではコミュニケーションのメリットを書いたが、当然のように人と人が出会えば問題も発生するわけだ。
サッカーや野球をやるにしても、チームメンバーと反りが合わなければ問題が発生する。スマホをもたせれば知らない人とやり取りしてしまう可能性がある。コミュニケーションは常にリスクも孕むのだ。
確かにゲームを取り除けば確かにこういった問題の芽を摘むことになるかもしれないが、根本はゲームだろうか? ゲームがない時代にもいじめやわいせつの問題はあっただろうし、仮にゲームをやらずに済んでも、いずれスマートフォンでより大きなコミュニケーションの波に飲まれざるを得ない。
コミュニケーションの問題に根本的な解決策はない。知らない人とは話さない、親が交友関係をなるべく把握する、多くの人が見ている場所での発言を避ける、問題を相談できる親子関係を築くほかないだろう。
「子供がスマホで勝手にアイテム課金をした」という問題はしばしば聞くエピソードだ。
子供がなんらかの方法で認証を突破したり、あるいはキャリア決済を悪用してしまうケースもある。この問題を解決するには環境づくりが重要だ。

iOSもAndroidもアプリ内課金を無効にしたり、購入の承認を必須にする設定などが用意されているため、きちんと設定を行う必要がある。あるいは子供がゲーム内アイテムを欲しがるのであれば、プリペイドカードであげるなり、クレジットカードの情報を残さない形にするなどの工夫が必要となる。
また、子供にガチャを触れさせるのも難しい問題だ。いわゆるカプセルトイですら親としては厄介な代物だが、ことデジタルのガチャになるとより厄介になる。なぜならガチャは、プレイヤーの心に訴える力が非常に強いからだ。

海外でガチャは「ルートボックス」と呼ばれ、一部の国では規制されている。ガチャの問題はさまざまである。ギャンブルに近いという見解もあるし、商売として健全でない側面もある。何より確率が低い割によい金額をとる傾向にある。
ただ、こういったお金の問題もいずれ子供に教えなければならないものではある。世の中には確率機のクレーンキャッチャーがあること、ショッピングモールにある1000円ガチャは損をすることがたいていなど、ひどい現実はゲームの外にもあり、それをいずれ学ぶ、もしくは教える必要がある。
また、ガチャも健全に遊べているのならば問題はない。身体に悪影響ばかりある酒、愚者の税金と呼ばれる宝くじですら、適切に楽しめているのであれば問題ないように、やはり欲望を飼いならすことを教えるべきだろう。
やはり究極的な解決方法は、ゲームについてよく知ること、そして、子供とコミュニケーションをとることだ。

どんなゲームなのか知っていれば、その課金形態がまともなのか、それともお金をたくさん要求してくるのかわかる。子供がゲームでストレスを溜めることがあれば、どうやって解決すればいいかの足がかりになる。
子供の特性を知ることにより、どう遊ばせれば安全なのか、どこに気を使うべきかわかるようになる。それを子供に伝えられれば、成長したあと本人がその特性とうまく付き合えるようになるかもしれない。
#1で書いたようにゲームにはメリットがあり、楽しく学ぶという大きな利益を得られるのだ。そしてここまで書いたように、確かにゲームにまつわる問題はあるものの、多くがいずれ子供が対応しなければならない問題でもあり、親が対処法を教えるべきものであろう。
ともあれ、私が「子供にゲームを遊ばせるか否か」と聞かれたら、「子供にゲームを遊ばせるべき」だと答える。多くの人が遊んでいるものであり、学びに繋がるメリットがあり、しかも遊ばせまいとしてもいずれ遊ぶ可能性が高いのだから。親が様子を見られるうちに遊ばせて、問題を含めうまい付き合い方を教えてあげたいものだ。
(渡邉 卓也)