IQ 70で軽度の知的障害を持つという、えりかんさん。現在はご自身の障害に基づく日常生活での困りごとやあるあるなどを赤裸々に発信しています。義務教育までは、支援級ではなく通常学級で過ごし、学生の頃は「勉強ができない」「相手の言っていることが理解できない」など、学業や友人間でのコミュニケーションで多くの苦悩を抱えていたといいます。いじめられていたという学生時代から、SNSで障害をカミングアウトするにいたったきっかけ、今後の想いなどについて話を聞きました。

【写真】IQ70の境界知能「9年間いじめられた。ずっと孤独だった」学生時代のえりかんさん

■「周りより勉強できない、学習障害かも…」 テストで0点が当たり前だった学生時代

ーーIQ 70、軽度知的障害、境界知能を持たれているとのことですが、具体的にどんな特徴があるのでしょうか。

「私の場合は、抽象的な表現が苦手だったり、 計算が瞬時にできない 、漢字が難しい、記憶力が弱くて勘違いしやすい、勉強ついていけない、普通のバイトですら困難…などの特性があります」

――どういうきっかけでご自身の特性に気づかれたのでしょうか?

「小学生までは、私も自分に障害があることを知りませんでした。ただ、自分は普通の人よりも、ちょっとポンコツだという“違和感”は感じていました。4歳の頃に療育手帳をもらい、『あなたは知恵遅れ』と母に言われたこともありましたが、よく分かっていなかった(笑)。高校生の頃に、周りより勉強できないと思い、学習障害かも…と疑いました。そこで検査したところ、軽度知的を知りました。当時はびっくりしました」

――義務教育を受けられていた時、学業において困りごとはあったのでしょうか?

「たとえば、授業の内容について。どんなに真面目に聞いても、ふわふわしたかんじで、理解できません。例えるなら高熱を出したときのぼんやりしてる感じで、まったく理解できませんでした。そういうわけで、成績は学年順位170人中168位。クラス順位もビリは当たり前でした。テストで0点取るのは、当たり前だったのですが、クラスメイトたちはびっくりしていました」

――当時、クラスメイトからの反応は?

「中1の春、理科のテストを返却された際、クラスメイトの女子が『やばい~私点数悪いけど、お互い見せ合おうよ』ということになり、私はてっきり相手も0点を取った仲間かなと思って見せ合ったら、相手は60点くらいで自分は0点ということがありました。相手はとても驚いていて、そこからクラスのみんなが私のテストの点数を見に来て『0点とった』とすぐに噂が広まり有名になりました。だんだん見下されるようになって、舐められるようになり、次第にいじりがひどくなってきました」

――自身が他の友人やクラスメイトと違うかもしれないと感じた当時、えりかんさんはどういった心境でしたか?

「すごく苦しくて辛かったです。心が痛くてあまり笑えなくなり、世界が黒く見える日々を生きていました」

■“障害者に見えない”ゆえの苦しみ「理解力が低くて忘れっぽい特性に気づかれない」

――障害があることで、日常生活でつらく感じてしまうのはどんなときですか?

「人前で文字を書く時、どうしても手先が不器用で文字書けなかったり、漢字が読めなくてプライドを捨てて人に聞いたり 、聞き間違いや勘違い、忘れっぽさや理解力が少ないために、仕事でもプライベートでも支障が出ます。 それでも友人はそんな私を受け入れてくれて嬉しいです」

――周囲の人から「障害あるように見えない」とよく言われるとおっしゃっていました。見た目では障害が見えないことで、どういったことが辛かったり悲しかった?

「私のことを『障害者に見えない』と言われるのは、実はすごく嬉しい言葉です。 ですが“障害者雇用”となると、見た目が普通なので、理解力が低く、忘れっぽい特性があると気づかれない。要求が増えてくることです。 頭も心もいっぱいいっぱいなのに、それが他者から見えにくいのが辛いです」

■SNSを通して自分と同じ境遇の方と出会える喜び「少しずつ自分を愛せるようになった」

――ご自身の障害やその時の思いなどを赤裸々にSNSで発信されたことで、「動画見てめちゃくちゃ励まされました」「カミングアウトしてくれてありがとう」から、同じ障害を持つお子さんの親御さんからのコメントも多く見られます。このような反響についてどう感じていらっしゃいますか。

「とても嬉しい気持ちでいっぱいです。 リアルの世界だと役立つことないけど、SNSの発信を通して、誰かの参考や救いになれることがすごく嬉しいし、生きててよかったと感じます。 いつもみなさんからのメッセージには『きっと大丈夫。幸せになってね。共に生きていこうね』と思いながら返信しています。 私自身もみなさんからのコメントに救われているし、感謝でいっぱいです」

――そもそもなぜSNSで発信されようと思われたのでしょうか?

「6歳の頃から、人に注目されることに憧れを抱いていました。 中3の時にSNSを知り、面白半分で動画投稿をしたのをきっかけに、高校生の頃はYoutuber事務所に所属し、流行りやエンタメ動画など投稿していました。

カミングアウトしようと思ったのは、高校卒業したタイミングです。その時に、自分みたいな人が、もしかしたら日本にいるのかな? という疑問が生まれて、思い切って障害について告白しました。 すると意外にも自分と似た境遇の方が多くいらっしゃることを知りました。そういった方々と初めて交流することができて楽しかったです」

――発信することによって、ご自身の性格、人生への向き合い方にどんな変化がありましたか。

「障害の知識や知らなかったことなど知ることができたり 多くのハンデを持ってる方に出会えたり嬉しかったです。 学生時代の頃に比べたら、自分に自信がついたり、少しずつ自分を愛せるようになりました。 みなさんのおかげですね」

――えりかんさんが障害を持つ発信者として伝えていきたいことはどんなことでしょうか。

「もし今しんどくて死にたい子がいたら、『今はしんどくても生きてね』と伝えたいです。『今は信じられないだろうし、未来なんて見えなくてしんどいかもしれないけど、きっと生きていればいいことあるから。そして辛かったら逃げていいんだよ。自分の心を大切にしてね。 あなたのこと応援してるよ。 きっと大丈夫だからね! 』と。 不安でいっぱいいっぱいにならないで笑って安心して生きて欲しいです。 そういった想いをSNSでの発信を通してみんなに届けていくのが私の夢です」