「佐渡島(さど)の金山」(新潟県佐渡市)の世界文化遺産登録を巡り、日韓両政府は朝鮮半島出身者を含む労働者に関し、現地の展示施設で「強制労働」に関する文言を使用しない一方、当時の暮らしぶりなどを説明することで事前に折り合った。
日韓は国交正常化60年を来年に控え、関係改善が進んでおり、両政府関係者には新たな火種を抱えたくないとの思惑が働いたとみられる。
インドのニューデリーで行われた世界遺産委員会で登録が決まると、日本政府の代表団は安堵(あんど)の表情を浮かべ、各国関係者から握手攻めにあった。韓国の代表団はそこには加わらなかったが、その後、日韓の駐ユネスコ代表部大使が会場で握手を交わした。
韓国は当初、佐渡島の金山は「戦時中、朝鮮半島出身者が強制労働させられた被害現場だ」と反発し、対応を求めていた。日本は水面下の交渉で、強制労働の文言を使わない代わりに、現地の施設で常設展示を行い、戦時中に朝鮮半島出身者が約1500人いたことや労働環境の過酷さを紹介する案などを打診し、韓国が最終的に受け入れた。
岸田首相は27日、自身のX(旧ツイッター)に「14年越しの登録です。国民の皆様と喜びを分かち合いたい」と投稿。新潟県の花角英世知事、佐渡市の渡辺竜五市長に電話をかけ、「日本の宝から世界の宝となった佐渡島の金山をこれからもしっかりと守り、将来に引き継いでいけるよう、地元の取り組みを支援していく」と伝えた。
韓国外交省は27日、「日本が誠意ある措置を取り、韓日関係改善の流れを継続することを期待する」とのコメントを発表した。ただ、韓国内では、「強制労働」の文言が使われないことについて、左派系メディアなどが「批判は避けられない」(ハンギョレ新聞)と反発している。
世界遺産登録が決まった「佐渡島(さど)の金山」は、江戸幕府の管理の下、19世紀半ばまで手作業で、鉱石採掘や小判製造などが行われ、鎖国下で国外からの技術や知識が制限された中、独自の技術が発達した。27日の世界遺産委員会では、「世界の他の地域で機械化が進んだ時代に、高度な手工業による技術を継続した類を見ない事例」と評価された。
「佐渡島の金山」は、「西三川砂金山」と「相川鶴子(つるし)金銀山」から成る。
「西三川砂金山」では、砂金を含む山を人力で掘り崩した後、堤でためた水を一気に流して土砂を洗い流す「大流し」の手法で砂金を採取した。
「相川鶴子金銀山」では高度な測量技術を駆使し、排水や換気なども工夫して坑道を掘る技術が発達した。山を削って鉱脈を掘った跡が幅30メートル、深さ74メートルにわたって残る「道遊の割戸(わりと)」などが当時の様子を伝える。