「“住みやすい街No.1”なんていわれてますが、もはや”住みにくい街No.1”ですよ。この10年くらいに大きな病院がどんどんなくなってるんですから。松井外科病院に水口病院、さらに今年になって森本病院が閉院したと思ったら、今度は吉祥寺南病院もなくなるみたいで……。地域住民にとって重要だった大きな病院が一気に4つもなくなるなんて、ありえないですよ。
この街は年寄りも多いし、急に倒れたりしたら、どうすればよいのか。若い人はさほど気にしてないかもしれないでしょうが、昔から住んでいる自分たちのような高齢者はもう不安でいっぱいですよ。引っ越せるものなら、すぐにでも別の街に移りたいくらいです」(吉祥寺で40年前から暮らす80代男性)
吉祥寺といえば、不動産会社などが公表する『住みたい街ランキング』では常に1位を争う大人気の街だ。繁華街のすぐ近くに、豊かな緑とのどかな湖面が広がる井の頭恩賜公園があり、都会の利便性と自然の静けさを兼ね備え、若者からシニアまで幅広い年代の人々に支持されている。こんな吉祥寺から救急病院がひとつもなくなってしまうのだという。
「実は吉祥寺から救急医療を担う病院がなくなってしまうというのは、医療関係者たちの間では10年くらい前からずっと危惧されてきたことなんです。’14年に松井外科病院(91床)が救急と入院機能を停止し、’17年には水口病院(43床)も廃院。今年3月には森本病院(78床)も閉院して内科の診療所になり、さらに今回の吉祥寺南病院(127床)の閉院。“医療崩壊”寸前で、もはや高齢者にとっては非常に住みにくい街になってしまったんです」(医療関係者)
古くから暮らす地元住民、そして医療関係者からも、“医療崩壊”の危機に瀕しているといわれている、それが現在の吉祥寺という街の実態なのである。
武蔵野地区の2次救急医療“最後の砦”でもあった吉祥寺南病院の突然の閉院は、住民たちの間ではもちろんショッキングな事件であったのだが、実は病院の当事者にとっても、まさに“青天のへきれき”であったという。吉祥寺南病院の藤井正道院長(51)が語る。
「(病院の経営母体である)『啓仁会』法人本部から突然、休院の通知を受けたのは6月20日でした。『建物が老巧化しており職員と患者の安全が担保できないので、9月30日をもって病院を休止する。職員は院長含め全員3ヵ月後に解雇となります。これは決定事項です』と。病院再開の見通しに関しては『一旦休院し、新たな法人に新しく病院を建ててもらい病床を譲渡できるまで3~4年休止するのです』という話でした。ただ、譲渡先の新たな医療法人に関しては、まだ決まっていないようですが……」
吉祥寺南病院は吉祥寺駅の南東700mほど、井ノ頭通りに面する病床数127の中規模病院だ。外観を見ただけで相当な築年数が経過していることがうかがえる、まさに“昭和の病院”なのだが、武蔵野市の救急の中核を担う病院でもある。実際に武蔵野市の救急患者、年間約7000件のうち約2300件の患者を受け入れているのだが、そんな病院が再開のメドが立たないまま休院となってしまうというのだ。
「武蔵野市には武蔵野赤十字病院という大きな3次救急病院があって、その下にウチのような2次救急といわれる病院があるんですが、受け入れの内訳は当病院が2300件、その他の2次救急病院が約1000件です。現在、吉祥寺地区の2次救急はウチがほとんどすべてを受けており、当病院が休止すれば、半径5km範囲で2次救急を受け入れる病床はまったくなくなってしまうことになります」(藤井院長)
2次救急というのは入院や手術を要する中・重症患者を365日24時間体制で受け入れる救急医療で、患者の初期診療から手術、入院まで対応可能な設備や専用病床が整っている。2次救急では対応が困難な重傷、重篤な患者を受け入れるのが、3次救急病院である。
吉祥寺南病院が休院したとしても、車で10分ほど離れた場所には、杏林大学医学部付属病院と武蔵野赤十字病院という2つの3次救急病院がある。ならば2次救急に運ばれる患者は今後は3次救急に運んでもらえばいいのでは? と思うかもしれないが、そうもいかないのだという。
「ウチが受け入れを止めれば、患者さんの多くが3次救急に流れることになります。そうすると、本当に命を助けるために1分1秒を争う人たちの救急車が入れなくなってしまう。たくさんの患者さんが運び込まれるので、人手が足りず受け入れの対応ができなくなるのです。助けられる人をどんどん助けられない医療崩壊が武蔵野市で起きてしまう可能性がある。
さらにもう一つ重要な問題があります。それは脳梗塞の患者さんなどへの対応です。 脳は酸素が供給されなくなると5分で死んでしまいます。3次救急に搬送する前に、近くの2次救急病院で患者さんを素早くインターセプトして応急処置をする必要がある。武蔵野赤十字病院や杏林大学医学部付属病院まで運んでいたのでは間に合わない患者さんが必ず出てきますから」(藤井院長)
また吉祥寺南病院は、災害時にケガをした人たちを受け入れる吉祥寺唯一の災害拠点連携病院に指定されており、休院期間中にもし災害が起これば吉祥寺の医療は壊滅状態となる可能性があるという。
吉祥寺南病院は築54年と、もともと建て替えは必須だった。吉祥寺南病院の経営母体である『啓仁会』は病院横の土地を12年前に取得。そこに新たな病院を建設し、休院することなく病院機能を新病院に移す計画を立てていた。しかし新病院は建つことはなく、老朽化のため休院ということになってしまったのだ。地元の医療問題に詳しい武蔵野市議の川名ゆうじ氏(64)はこう語る。
「吉祥寺南病院は建て替えるものとばかり思っていましたから、突然の休院の知らせには私だけでなく皆、驚かされました。10年くらい前は吉祥寺には4つの2次救急病院があったのですが、廃院や病床廃止で今残っているのは吉祥寺南病院だけです。病院が減っていくなかで市としても『啓仁会』をバックアップしており、新病院建築の際には大きな建物が建てられるよう規制を緩和することにしていました。『啓仁会』の説明では休院となる9月末までに病院経営を引き受けてくれる医療法人を見つける、とおっしゃっていますので、今の時点ではそこに期待したい」
『啓仁会』関係者によれば、「昨今のコロナ禍で経営状態が悪化してしまい、新たな病院を建てる余力がなくなってしまった。その後、病院の引受先を探していたが、今に至るまで見つかっていない」という状況だという。ただ吉祥寺の2次救急を一手に担う状況の中で、なぜ突然休院してしまうのか?
「建物の一部は’70年に建てられ、築54年になります。老朽化が進んでおり、現行の耐震基準も満たしておりません。6月に診療休止を決定する直前まで、吉祥寺南病院の運営継続に向け、診療休止を回避する形での継承に意欲を持つ医療法人様と交渉を重ねて参りました。ただ諸般の事情から当該医療法人様において病院を引き受ける準備が進まず、東京都の医療審議会に対し、申請期限内に書類を提出することができませんでした。
これにより診療休止を回避することが難しくなった一方で、診療休止に踏み切るのであれば建物設備面、耐震面への懸念から休止時期は一刻も早いほうが望ましいとの判断から、今年9月末での診療休止とさせていただきました」(『啓仁会』法人本部)
2次救急病院の約7割が赤字ともいわれているが、病院の引受先は見つかるのか? 吉祥寺が“住みたい街No.1”から“危険な街No.1”となるようなことだけは、なんとか回避してほしいものだが……。
取材・文:酒井晋介