今年1月29日にドラマ「セクシー田中さん」原作者・芦原妃名子さんが亡くなったことを受けて、日本テレビの社内特別調査チームが調査報告書を発表した。昨年までテレビ局に勤務する社員弁護士として、数々の社内調査に関わってきたテレビ朝日法務部長の西脇亨輔弁護士に報告書を読んで解説してもらった。
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今回の報告書は本文だけで91ページの大部だが、その冒頭を読んで私は呆気にとられた。そこには調査の目的についてこう書かれている。
「本件原作者の死亡原因の究明については目的としていない」
では一体何のためにこの3か月間、調査を行ったのか。ドラマ制作のなかで貴重な命が失われたから、その原因を明らかにするために調査をしたのではないのか。
私はこれまでテレビ局の法務部員として社内調査に関わってきたが、調査を始めるときには内容が散漫にならないよう最初に調査の目的、優先順位をはっきりさせる。今回の日本テレビの調査はその優先順位を決める時点で、芦原妃名子さんの死とは向き合わないことを選択していた。
しかしその報告書にも様々な新事実が明かされていた。そしてそれらが浮き彫りにしていたのは、芦原さんとドラマプロデューサーとの信頼関係が失われていき、悲劇へと向かう姿だった。報告書の内容は多岐にわたるが、両者の関係に焦点を絞ると以下のような流れになる。
まず日本テレビと小学館の間で「セクシー田中さん」ドラマ化の話が大筋でまとまったのは、日テレ側によると昨年3月。この時、小学館側は「漫画をドラマ化する以上『自由に好き勝手にやって下さい』と言われない限り、原作に忠実にドラマ化するのは当然だ」という認識だったと日テレの調査に対して回答している。
一方、日テレ側のチーフプロデューサーはヒアリングに、「必ず漫画に忠実に」などの条件がこの時点で出されていたら「ドラマ化は無理である旨きちんと断る。時期的にもまだ他のドラマへの切り替えも間に合う」と答えたという。
食い違いはここから始まっている。原作者にとっては原作が守られることが大前提だ。一方、ドラマプロデューサー側は「改変できない原作など取り扱わない」という意識を露わにしていた。
そして今回がゴールデン・プライムタイムでの初作品だった現場プロデューサーは、原作者がいない場所で脚本家らを交えて「よりよいドラマ」のための議論を行い、原作者にはその結果だけを伝えた。
報告書にはこんな例が書かれている。
原作では主人公「田中さん」を慕う後輩「朱里」について、父親のリストラなどもあって短大に進学したという設定になっていた。
しかしプロデューサーらの会議では「短大は最近の若者にはリアリティがないのでは」「リストラはドラマとして重すぎる」等の意見が出て、結局「父の会社が不景気になり、本当はかわいい制服の私立高校に行きたかったけど、公立高校に行くことにした」という設定に変え、芦原さんに返した。
それに対して芦原さんは、かわいい制服など「心底どうでもいい」と回答したという。プロデューサーなりの「よりよいドラマ」のための議論だったのだろうが、議論の過程なく突然結論だけ伝達されたら、どんな原作者も疑心暗鬼になるだろう。
そして去年10月上旬、決定的な出来事があったことを報告書は明かしている。
ある場面に想定と違う点があったため、芦原さん側がプロデューサーに問い合わせをした。これに対してプロデューサーは「そのシーンはもう撮影してしまった」と答えた。
しかし、それはウソだった。
実際にはそのシーンは撮影前だったが、芦原さんから何か言われて今から変更になったら大変だと、プロデューサーは撮影が終わったことにしたのだった。しかしその後これが芦原さんの知るところとなり、信頼関係は壊れていった。
そうした中でドラマ終盤を迎え、原作漫画が未完でドラマオリジナルとなる部分について、芦原さんは自分の手で脚本を書くことを選んだ。
そのことを脚本家に伝える際、プロデューサーは「自分も大変憤っているがこれをのまないと放送できない」と説明、脚本家は最終話放送後にSNSで「最後は脚本も書きたいという原作者たっての希望があり、過去に経験したことがない事態で困惑した」と芦原さんを批判するような発信を行った。
さらに脚本家は今年1月16日、弁護士を通じて日本テレビ側に内容証明郵便を送付し、芦原さんが脚本を書いたドラマ第9話、第10話には自分のアイデアも含まれているので自分を脚本家としてクレジット(氏名表示)するよう要求。事態が混迷する中で芦原さんは同月26日に事の顛末をブログで公開、3日後の29日、亡くなったことが分かった。
芦原さんが亡くなる直前のSNSの応酬について、報告書概要版はこう結論づけている。
「事態の収束のために日本テレビとして取り得る選択肢はほとんどなかったといえる」
だからもっと手前で対応を、と報告書は続けているが、いや、この段階でもテレビ局側の「選択肢」は色々あったはずだ。プロデューサーが芦原さんや脚本家から話を聞いたり二人が直接意見交換できる場を作れば、事態は打開できたかもしれない。現に芦原さんの死後、脚本家はSNSにこう書いている
「芦原先生がブログに書かれていた経緯は、私にとっては初めて聞くことばかりで、それを読んで言葉を失いました」
なぜ全てのクリエイターの中心でその交通整理をすることが仕事のはずのプロデューサーが機能しなかったのか。なぜ皆が腹を割って話す場所を作ろうとしなかったのか。そしてなぜウソまでついてしまったのか。
プロデューサーが芦原さんに撮影前のシーンを「撮影済み」とウソをついたことについて、報告書は「撮影スケジュールの進行やキャスト・スタッフ等の負担を気にしたA氏(注:プロデューサー)の心情は理解できるものの、本件原作者との信頼関係を保つ上で、やはりこのような対応は避けるべきだったといえる」と結論付けている。
しかし、それは甘すぎる。こんな行いを「理解」などしてはいけない。
原作者を自分の言いなりになるべきものと考え、うるさくならないように嘘までつき、最後は脚本家に原作者への「憤り」を打ち明けて敵意を煽る結果を招く。今回の悲劇の底に一貫して流れているのは、作品作りに関わる全クリエイターのコミュニケーションのハブ(中核)であるべきプロデューサーが、自分とその周辺だけで番組製造にいそしみ、果たすべき役割を果たさなかったことにあるのではないか。報告書が明かした新事実はそんな思いを強く抱かせた。
そして今回の報告書はあくまで日本テレビ側の考えを示したものだ。第三者委員会によるものではないし、芦原さんと近く接していた小学館側には書面質問だけで直接のヒアリングは行っていない。
多くのファンに愛された芦原さんの尊い命が失われたのはなぜなのか。真相に近づくためには小学館側の見解などもふまえ、多面的に考えなければならない。
答えはまだ遥か彼方だと思う。
西脇亨輔(にしわき・きょうすけ)元テレビ朝日法務部長・弁護士。1970年、千葉県生まれ。東大法学部在学中に司法試験に合格し、1995年、アナウンサーとしてテレビ朝日へ入社。「やじうまプラス」などの番組を担当した後、2007年に法務部へ異動し、2023年7月に法務部長に就任。同年11月にテレビ朝日を退社し、「西脇亨輔法律事務所」を開所した。著書『孤闘 三浦瑠麗裁判1345日』(幻冬舎刊)。24年4月にYouTubeで「西脇亨輔チャンネル」を開設。
デイリー新潮編集部