弱者男性とは誰なのか。日本にとっての大きな問題であるのに、あまり注目されないその存在について、『弱者男性1500万人時代』(扶桑社新書)を上梓した、「エッセイストのトイアンナ氏が解説するーー。
第1回:「キモい金なしおっさん」男性差別の実態…日本男性の25%、1500万人が弱者男性!「自業自得」「努力不足」と切り捨てられる
第2回:男性2割弱「配偶者からDV被害」の実態に婚活のプロ「全く少数ではない」…弱者性がわかりにくい男と、理想的弱者の女・子ども
第3回:結局「チー牛」って誰なのか…馬鹿にされ、自業自得と言われ「現代の差別のど真ん中にいる人たち」男の25%を占める「弱者男性」の悲惨さ
第4回:自ら死を選ぶ人は女性の2倍!なぜ日本は「男性すら生きづらい」世の中か…フェミニストは「孤独死抑止で、男は友達作れ」と語るが
第5回:「男たるもの働け」親に首を締められ、職場でも殴られ…弱者男性の生き地獄「DV被害、いじめ、パワハラの悲劇の話」
あなたは、「チー牛」という言葉を知っているだろうか。
チー牛とは、牛丼屋で「三色チーズ牛丼を注文する若い男性」の自画像が、オタク、ネクラに多そうだという偏見から広まった言葉である。
チー牛、あるいは弱者男性などといった、新しい差別用語。これが男女逆転したとして、
「もしかして俺、チー牛女としか結婚できない?」
「弱者女性に優しくするのはリスクが高い」
なんて言葉がSNS上で投稿されたらどうだろうか。
恐らく炎上するに違いないが、それが男性へ向けた言葉だと、同意されたり称賛されたりして、誰も差別だとは言わない。これは異常事態だと言わざるを得ない。
弱者男性とは、独身・貧困・障害などといった「弱者になる要素」を備えた男性を指す。ただし、年収○○円以下など、数字によって厳密に定義されているものではない。弱者男性がネットスラングから誕生した言葉であり、数字で割り切れるような定義を持たないのだ。むしろ、あらゆる男性が持つであろう「弱者性」にハイライトを当てるため、この言葉が生まれたと言っていい。
書籍『弱者男性1500万人時代』では、小樽商科大学の池田伸介教授によって弱者男性の人口を推計している。その数、最大で1504万人。2022年時点での日本の人口は1億2494万7000人であり、男性は6075万人である。つまり、男性の約24%、4人に1人が何かしらの弱者性を抱えているのが実態である。多くの人が、弱者男性はそう多くない数字だと見積もっていたであろう。だが、決して少数ではない、ごく身近に存在するのが弱者男性なのである。
また、弱者男性の大半は自分のせいで弱者男性になったと考えている。自責の念が強いのだ。その背景には、何らかのせいにした途端、マジョリティにやり込められてしまうことがある。事実を述べたとしても「お前のせいだ」と言われ、結局は諦めてしまう。まさに、弱者が弱者たるゆえんであろう。
筆者は今年、500名の男性が持つ「アンコンシャス・バイアス」について調べた。アンコンシャス・バイアス(unconscious bias)とは、日本語で「無意識の思い込み、偏見」などを意味する言葉である。これまでの経験から、自分自身では気づかぬうちに「こうであろう」と解釈してしまう。
アンコンシャス・バイアスは相手、自分など「人」に対するものもあれば、「もの」に対するものなどさまざまだ。なかでも「男性は仕事をして家計を支えるべきだ」と考える日本人はいまだ多く存在し、男性が課せられるプレッシャーの原因になっている。
この調査の結果、わずかな差だが強者男性のほうが、アンコンシャス・バイアスを強く持つことがわかった。ところが、ネットでは「女性差別をするのは弱者男性」と誤解されているのだ。これこそ、弱者男性=モテない男性=女性差別的とみなす、差別そのものではないだろうか。
弱者男性の多くは、人にと頼ることができないでいる。なぜなら、誰かに頼ったとしても拒絶されやすいからだ。自助グループですら拒否されることがあるのが実情である。たとえば、実際にひきこもりの自助グループでも40代以上の男性は避けられていたという経験談が『弱者男性1500万人時代』には掲載されている。
また、行政においても生活保護などで男性は「まだ働ける」と判断されて、拒否されやすい。なかでも比較的若い男性は、生活保護が受給できないよう職員が冷たい言葉を投げかけるケースもある。日本にはいまだ「男性は女性よりも稼ぐべきだ」「男たるもの、弱みを見せてはならない」といった風潮がある。これらも少なからず影響しているだろう。
それでも自分で自分を「弱者男性です」と言える人はまだ支援にたどりつきやすいといえる。どんな人にとっても、自分が「弱い」と認めることは非常に難しいことだ。そのハードルを越え「助けてください」と自らの弱者性を認めることで、ようやく支援の手が伸びるのが現実である。
もし、自分を弱者だと認められない場合、その男性は声を上げられずに死んでいく。日本においては自殺者の約半数が無職である。また、それと同程度の割合で身体や精神の健康に問題を抱えていることが分かっている。
つまり、心身に不調を抱えている人は、生活保護や福祉に頼る前に死を選んでしまいやすい現状がある。データによると、自殺者のうち67 %は男性である。つまり、男性は追い詰められたときに、より自死を選びやすいといえるだろう。
弱者であることを認めることで支援に繋がるのは事実である。ただ、弱者であることを見せても、いいことは何もないというのが悲しいかな現実なのである。
例えば女性の前で弱者性を見せたとしても、単純にモテなくなるだけである。「頼りない」「情けない」「キモい」などと冷たい視線を向けられ敬遠される。また、同じ男性に弱者性を見せたとしても、心ない言葉を浴びせられ、勇気を振り絞ったその気持ちを踏みにじられるだけだ。たとえ友人間であっても、自分の苦境について本音で話そうとせず、事実を隠す傾向がある。
例えば、NHK放送文化研究所が加盟する国際比較調査グループISSP が2017年に行った調査 「社会的ネットワークと社会的資源」によれば、50代・60代の中高年男性では「悩みごとを相談できる友人がいない」と答えた人が30%台いた。70歳以上ではその割合が実に50%を超えている。全体では約20%なのに対して高い数字である。
また、落ち込んだときの話し相手などで「親しい友人」をあげる人が全体で約40%なのに対し、男性50代以上ととなると20~30%程度にとどまる。この他、友人関係が希薄な男性ほど生活満足度が低い傾向も見られることが調査結果から分かっている。
まずは、「誰かに頼ろう」と思っていない人、思えない人にも頼るあてが見つかるよう、支援の窓口を広く知らせる必要がある。
一例に挙げられるのが、2021年4月にスタートした「重層的支援体制整備事業」は、その一例だ。重層的支援体制とは、さまざまな生きづらさを抱えている人に対し、窓口を一本化して対応する取り組みである。これまでは「生活保護はA窓口、精神障害はB窓口、ひとり親支援はC窓口……」とお役所の各部署を巡って、自分で調べながら支援をもらわねばならなかった。
しかし、生きづらさを抱える人はすべての窓口を調べ、しらみつぶしに回ることができない。そのため、支援が届きづらい状況があった。そのため、窓口を一本化することで支援を可能にしたいと行政も取り組んでいるのだ。
この「包括的支援窓口」は、現在どの役所にも設置されている。だが、現状ではほぼ知られていない。そして、弱者は自分で自分を追い詰め、死に向かってしまう。
何に困っているかを言語化し、適切な場所へ助けを求められるのは「かなり分かっている人」だといえる。本人だけでなく、周りの人も情報を持つことができるよう、包括的支援窓口の存在をもっと周知すべきだろう。
2024年4月24日発売の書籍『弱者男性1500万人時代』では、弱者男性についてあらゆる視点からトイアンナ氏が考察。弱者男性の存在を明らかにするとともに、統計データをもとに男性の弱さを浮き彫りにし、支援策にまで言及している。
トイアンナ『弱者男性1500万人時代』(扶桑社新書)