〈「母と私と弟だけの“秘密ごっこ”がはじまって…」“宗教2世”の少女が親を信じられなくなった瞬間〉から続く
幼少期より実の母親からあらゆる虐待を受け続けていた、ノンフィクション作家の菅野久美子さん。『母を捨てる』(プレジデント社)は菅野さんが母親の呪縛から逃れるため人生を賭けて「母を捨てる」までの軌跡を描いた壮絶な一冊だ。ここでは本書より、一部を抜粋して紹介する。
【画像】『母を捨てる』
教師だった父の単身赴任が決まり、母と弟との3人暮らしが始まると、母にある異変が起きた。包丁を取り出し、「みんな、殺してやる!」と叫び、暴れまわって――。(全2回の2回目/はじめから読む)
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父は3月末になると車にありったけの荷物を詰め込んで、山奥の僻地校に赴任していった。そうして、母と弟と私の3人だけの生活がはじまった。
朝がきて、学校に行き、昼がきて、3人で夕食を食べる。父が単身赴任でいなくなってから、母はすこぶる機嫌がよかった。

しかし、しばらくすると母に大きな異変が起きはじめた。
母は気に食わないことがあると、突然激情に駆られ、台所から刃物を持ち出し、振り回すようになったのだ。それは、決まって深夜に起こった。
母はよくキッチンの包丁差しから、刃先が少し錆びついた出刃包丁を取り出してきて、「みんな、みんな、殺してやる!」と絶叫し、暴れ、私たちを追い回した。
※写真はイメージ yamasan/イメージマート
母の振り下ろした包丁の刃先が私の横で、スッと空を切る。ヒヤリとする。私は怖くてしかたなくて、ただただ泣きじゃくった。鼻水と涙が、ぐちゃぐちゃに混じり合っているのがわかる。なんとか命だけは守らなきゃと思いながら、「お母さん、やめて!」と叫ぶ。
しかし、いくら私が泣き叫ぼうが、母はありったけの力で、容赦なく何度も刃物を振り回す。まるで、この崩壊した家庭そのものを切り裂こうとするかのように――。父が単身赴任で不在になってからというもの、そんなことが幾度となく繰り返されるようになった。
なぜ母が、私たちに対して刃物を向けるようになったのか。母は暴力衝動を抑えきれない自分を、しきりに更年期障害のせいにしていた気がする。「お母さん、ちょっと最近おかしいのよ」と。しかし、それは母が自らでっちあげた言い訳に過ぎず、免罪符だったのではないか。
私の見立てでは、このときの母は、不安で仕方がなかったのではないかと思う。 一番大きな要因は、私たちのパワーバランスが大きく変わってきたことだ。
考えてみると月日が流れるにつれて、私の体はぐんぐん成長していった。同級生に比べて成長が早かった私は、小学5年生にもなると母の背丈を追い越し、身体は大人とまったく変わらなくなっていた。それは私と弟が手に入れた唯一の、母に対抗できる武器でもあった。 母はもはや、力ずくで私たちを思いどおりにすることは不可能になった。母は、しだいに体が大きくなっていく私たちを、少しずつ脅威に感じはじめていたのではないだろうか。
そうやって、母の地位も家庭内で微妙に変化していった。私の身体が大きくなった今、昔みたいに私に肉体的虐待をすることはできない。
延々と続くと思っていた母の支配は、この頃から揺らぎはじめたのだ。母はきっと、このパワーバランスの転換に動揺していたのだろう。
そして、そこに父の単身赴任が重なった。今思うと、それはもはや力なき母の反乱であったのかもしれない。この家の大人は、もはや母だけなのだ。

母はそうして、最後に残った自らの力を振り絞り、子どもである私たちに権力を誇示したかったのではないか。母が発狂するきっかけは、いつも気まぐれに映った。ちょっと前までは笑っていたのに、突然不機嫌になって火が付き、荒れ狂うこともあったからだ。 その頃の母は、いつも行き場のないエネルギーを持て余していた気がする。人生の報われなさ。そして、深い悲しみと怒り――。それが突如として爆発するのだ。
テレビを見ていると、洗い物をしている母が突然皿を投げ出し、包丁を持ってダイニングにやってくる。「こんなこと、やってられるかー!!」と絶叫しながら――。 そもそも母は料理が大嫌いだった。専業主婦になんてなりたくなかった。それなのに、いつもいやいやキッチンに立っていた。私は何千回、何万回と耳にタコができるほど、その話を聞かされていた。
西側のキッチンは、ダイニングとは逆向きに位置する。母はそこで、私たちに背を向けて料理をしていた。キッチンは、いわば母を苦しめる強制労働の場でもあった。錆びついた鍋に、ほこりのかぶった茶碗。薄汚れたコップの山々。光の入らないそこは、じめじめとしていていつも暗く、母の叫びを体現していた。

母は肌が弱い家系にもかかわらず、日々の洗い物などの水仕事や料理をしていたせいで、手指に主婦湿疹ができ、血だらけになって、よく病院通いをしていた。かきむしったために、ボロボロとグロテスクに剥(は)げた母の指を、私は無邪気な残酷さから、子ども心に気持ち悪いと感じていた。 そして、そんな母の後ろ姿を無言で見つめながら、いつも罪悪感と申し訳なさで引き裂かれていたものだ。母はキッチンで恨み節をつぶやきながら激痛に耐え、料理という苦役をこなさなければならなかった。形骸化した空っぽの家庭を維持するために――。
すべては私たちのために、私たちが存在するから、母はここに囚われているのだ、と。
キッチンはまさに母の怨念が詰まった空間で、母の憎悪が目に見えないかたちで渦巻いていた。そんなキッチンの暗闇から突如として現れた出刃包丁。死んだ青魚の目のように黒々と光る使い古された包丁には、確かに母の積年の怨念が宿っていたのではないだろうか。
その刃は否が応でも私たちのほうへと向かってくる。どんな理由であれ父が不在の今、私たちは、子どもだけでそんな母の狂気に立ち向かわなければならないのだ。シンと静まり返った夜の新興住宅地で、メッタ刺しの殺人事件が起きるギリギリのところに、私たちきょうだいは身を置いていた。それは、生きるか死ぬかの生死を懸けたデスゲームさながらだった。
すべて壊れてしまえ、という母の声なき絶叫、そして破滅願望の発露――。この日常生活からの解放を企てる母の反乱。
真っ白いダイニングの蛍光灯が母の持つ包丁の刃先に反射して、一瞬私は目がくらむ。私と弟は母の狂気をすぐに察知し、ダイニングから和室へと逃げた。しかし、母はどこまでも追いかけてくる。どこまでも、どこまでも――。
1階に逃げ場はないことを悟った私たちは、一瞬のスキをついて2階の自室へと逃げていく。1階に隠れていれば、いずれは見つかり、また母ともみあいになり、刃物が降ってくるかもしれない。
刃物が唯一の武器であることを、母はあるときから確実に悟っていたはずだ。私たちは、母が一度刃物を振り回しはじめると、ただただ逃げるしかなすすべがなかった。
私たちは刃物を振り下ろす母から、死に物狂いで家中を逃げ回った。真っ暗な階段を駆け上がって居間から2階へ。当然ながら母も追いかけてくる。ドスドスドスという刃物を持った母の足音。心臓がどきどきする。あれは、死の足音でもあった。それは、見ず知らずの他人が見ればホラー映画のワンシーンだったと思う。ドアを閉めても必死にこじ開けようとしてくる。ガチャガチャというドアを回す音。
「お母さん、お願いだから、あっち行って!」
「殺されるから、絶対に開けちゃダメ!」
私は、4つ下の弟にそう指示した。そうして嵐が過ぎ去るのを、息をひそめて待つのだ。
刃物の威力に味をしめた母は、包丁が私たちを支配できる武器だと認識したようだ。
〈「きっかけは些細なことだった」難関小学校で起きた徹底的ないじめ…小5の女子児童を苦しめた“母親の影響”とは〉へ続く
(菅野 久美子/Webオリジナル(外部転載))