秋田県鹿角市(かづのし)大湯の山中で一人の男性が亡くなった。佐藤宏さん(64歳)。5月15日、この時期に旬を迎える根曲り竹を採りに、妻と親族女性とともに現地へ向かったあと、一人で山に入ったのちに行方がわからなくなった。通報を受けた地元の警察と消防は3日間捜索を続けたが、佐藤さんの姿を発見することができなかった。
これまでの報道では、行方不明後4日目の5月18日に佐藤さんを発見、現場から搬送する際に警官2名がクマに襲われ重傷を負ったと伝えられている。
しかし実は、これまでの報道で触れられていない事実がある。亡くなった佐藤さんと長年交流を続けていた「仲間」Aさんの存在だ。
前の記事『秋田でクマに襲われ、命を落とした男性の「死の瞬間」…遺体の「第一発見者」は“最期の声”を聞いていた!』につづき、Aさんの独白を紹介する。
佐藤さんが行方不明になってから3日目の5月17日、私は午前7時頃には現場に行きました。家でじっとしていても仕方がない。佐藤さんは長年の山仲間ですから、心配で仕方がなかったのです。
とにかく、72時間が命が保てるギリギリとのことですから、気が気ではありません。その日は雨風が強く、捜索隊はクルマの中で朝から午後2時ごろまで何もせず、ジッとしていました。クルマの中で待機しているだけでした。それでは捜索にはなりません。
その後、1時間ほど捜索していましたが、10人ほどの捜索員が帰ってきた彼らの姿を見たら、泥などもついておらずキレイなままでした。薮には入らず、道路を往復していたのだと思います。
人の命がかかっているのに、服の汚れや天候を気にして山に入らないなんて、本気では探していないのだと思いました。危険だと思われる場所にはいかないということなのでしょう。
猟友会の参加はその日もありませんでした。捜索費用は1日で3万円だそうです。行方不明になってから3日目ですし、寒く、72時間過ぎていたので、4日目の捜索は打ち切りにすることを奥さんが捜索隊に伝えました。
翌18日、私は午前7時半ごろから仲間を呼んで、二人で佐藤さんを探しました。一緒に行った仲間も、佐藤さんの知り合いです。警察と消防の捜索活動がなくなりましたので、自由に山に入ることができました。
現場にはすでにタケノコ採りの人が入っていました。その人は近くの藪を指さして、こう言ったのです。
「犬かな?ウーウーって声がする」
私は間違いなくクマだと思いました。まだ居座っていたのです。
佐藤さんのリュックの置いてあった場所の少し手前から、急斜面を上がりました。仲間と二人で左右を目視しながらゆっくり登りました。あらかじめ目星をつけていたルートです。
薮には踏み跡もなく、捜索隊は入っていませんでした。斜面の上に少しだけ平らになった場所までたどり着いた時、白い長靴が見えたのです。もう少し近づくと、空色のヤッケが見えました。
明るい空色のヤッケに白い長靴は、佐藤さんのいつもの服装でした。気持ちを落ち着かせながら、その場所に近づきました。
そこに仰向けに倒れていた人は、佐藤さんで間違いありませんでした。空色のヤッケは、私が山に入る時にいつも着ているものと同じ色でした。
仰向けになった佐藤さんは、顔から下半身にかけて枯葉で覆われていました。クマが後で食べるためにそうしたのだと思います。
佐藤さんの身体はすでに硬直をしていて、左右の腕を身体の前に差し出された格好でした。足もまっすぐではなく、膝が曲がったままでした。そして、顔のあたりにはブンブンと蠅が集っていました。クマに喰われた跡はなかったように思います。
佐藤さんの確認をしたのち、電波の通じる場所まで戻り、警察に連絡を入れてもらいました。その日は女性が行方不明だとかで、警察はそちらの方を優先するということでした。「生きている方が優先だ」と言われました。
その後、警察の到着を待ってから、佐藤さんの遺体を搬送しに向かいました。女性の捜索活動をするとのことでしたから、約半数となります。
担架を持った消防隊員が5~6人と警察官二人です。場所を教えるために、私が案内をしました。捜索隊は皆がクマスプレーやナイフを装備していました。佐藤さんが倒れていた場所に向かいながら、捜索隊の一人がナイフを取り出して「クマが来たらこれでシュッとやればいいんだ」と軽い感じで口にしました。
警察官は私に対し、「危険なので我々の後ろからついて来てください」と言いましたが、彼らもどこに行けばいいのかわからず、何度も私に場所の確認をしました。
笹を刈りながら急斜面を登る途中、まだ新しいクマの糞を見つけました。獣臭もしました。そして、佐藤さんの遺体のすぐ近くに、クマの寝床を見つけました。
そこで私は、「すぐそばに熊がいる」と小声で伝えましたが、彼らはそのまま遺体の確認をしに行きました。
これまでの経験から、寝床の近くには必ずクマがいるものです。こちらは気が付かなくてもジッとこちらの様子を窺っているものなのです。
一人の年上の警官が、オレンジ色の服を着た消防隊員に「担架持ってきて」と声を出しました。もう一人の年の若い警官が佐藤さんの遺体を確認して、「外傷あり」と声を出しました。そしてカメラで写真を撮っていました。
それから「サンプル採ってきます」とクマの糞を採取しようとしました。年上の警官が「危険ですので、私たちの後ろに来てください」と言いました。警官の言う後ろは、クマのいる可能性が最も高く、とてもではありませんが、行きたくありません。
なので、私は少し斜面を下ったあたりで待機をしました。そして、消防の隊員が佐藤さんの遺体を担架に乗せて運ぼうとした、その時です。
斜面のすぐ上、警官の背後の笹薮が濃いところからガサガサと音がしたかと思うと、一頭のクマが猛然と突っ込んできたのです。
中型のツキノワグマだと思います。二人の警官がいる、すぐ背後でした。
心の準備もなく声を上げる余裕もなく、誰のことも構わないままその場から逃げました。
「クマだ、クマきた」
誰かが叫んだ声が耳に入りましたが、その時に誰がどのような行動をしたのかなど、正確には記憶していません。ただ逃げるのに必死でした。そこにいた人間は、誰もが我先にと散り散りバラバラに逃げたはずです。
私はすぐに斜面を駆け降りて逃げました。逃げる私のすぐ後ろの藪からガサガサ音がします。てっきり私を襲うためにクマが背後まで来ているのだと思いました。足音がすぐそばまで迫ってきて、「もうダメだ」と思ったら、それは私を追い越して逃げる消防隊員でした。
そのまま荒い息のまま、停めたクルマの中に入りました。二人の警官だけが来ませんでした。
どちらの警官だかわかりませんが、「助けてください~」とか細い声がしました。消防隊らは「ムリ、ムリ」と口にして、誰も助けに行こうとはしませんでした。
乗ってきたクルマに入りゼーゼーと息を整えていると、顔中血まみれの若い警官がふらふらと歩いてきて、乗って来たクルマに乗り、消防のクルマのすぐ横まで移動しました。
警官は、クルマから降りてドアを開けてこちらまで来ると、力のない目つきのまま「助けてください」と泣きそうな声で叫びました。直後に意識を失い、目の前でバターンと倒れました。
血まみれの警官は、右の耳のあたりから顎までざっくりと熊の爪で割かれ、大きな傷口がありました。熊の初手は左手が多いのです。ですから、顔の右側をまともに爪でやられたのでしょう。目玉は飛び出してはいませんでしたが、鼻の半分は取れて位置が変わって捲れ上がってしまっていました。
年上の警官は戻ってきませんでした。てっきり殺されたかと思っていましたが、10分と少ししてから、年上の警官が体を引き摺るようにして歩いて来ました。そして、泣きそうな声でこう口にしました。
「腕が上がりません」
「力が入りません」
神経までやられていたのだと思います。装備していたナイフや鉄砲を使うヒマもなかったのです。彼らは警官であっても、山にもクマにも素人同然なのだと思います。私の警告も耳にはしてくれませんでした。
その後に来た救急車で二人は運ばれて行きました。若い警官は意識を失ったままで、年上の警官はぐったりしたまま搬送されていきました。
その後、山にそのまま放置された佐藤さんの遺体は、どうなってしまったのか。そして今回の警察や消防による捜索が示唆する「教訓」とは――。
つづく記事『最初はまだ「クマに喰われていなかった」!遺体の「第一発見者」が告白…秋田でクマに襲われ死亡した男性が明かしていた「恐怖」』では、一連の事態の「結末とその後」について、詳しくお伝えします。
最初はまだ「クマに喰われていなかった」!「第一発見者」が告白…秋田でクマに襲われ死亡した男性が明かしていた「恐怖」