〈〈サイゼリヤ〉480円で販売し始めた「ミラノ風ドリア」を300円に値下げ…いったいなぜ?〉から続く
テレビ離れがささやかれて久しい。とはいえ、テレビの広告効果はいまだに大きく、番組で紹介された商品が売り切れになったり、お店が行列になることは珍しくない。実際、サイゼリヤは社長がバラエティ番組へ出演したことで、店の利益が6倍まで伸長したという。しかし、同社はそれ以降、原則的にテレビ出演は封印したのだとか。いったいなぜなのか。
【写真】この記事の写真を見る(2枚)
サイゼリヤの元社長である堀埜一成氏の著書『サイゼリヤ元社長が教える年間客数2億人の経営術』(ディスカヴァー・トゥエンティワン)の一部を抜粋して紹介する。(全2回の2回目/前編を読む)
◆◆◆
2009年4月に私が社長を引き継いだのは、デリバティブの失敗でサイゼリヤが140億円の経常赤字に陥った時期でした。つまり、借金を抱えた状態でバトンタッチされた──外からはそのように見えると思いますが、私としてはそうではなかったと思っています。
正垣社長はこの時を待っていたようです。
ここが私にとって、社長を引き継ぐ最良のタイミングだったのです。
デリバティブ返済のために140億円のマイナスといっても、営業利益は黒字でした。私がどんなにボンクラであっても、何もしなくても経常利益および純利益は確実に大幅なプラスになります。こういう点も普通の会社ではないように思えました。つまり、何もしなくても数年たてば借金は返済できる状況でした。
とはいうものの、抱えている借金は早く解消したいと考えました。社長になっていろいろやりたいので、そのための原資がいる。金の心配なんてしたくなかったのです。
というわけで、社長就任1年目はとにかく利益を出そうということで、禁じ手を使いました。テレビに出たのです。お笑いコンビ・タカアンドトシMCのバラエティ番組『お試しかっ!』(テレビ朝日系列)の名物企画「帰れま10」や同じ系列のココリコMCによるバラエティ番組『いきなり!黄金伝説。』に出たのです。
そのたびにサイゼリヤはとんでもない売上を弾き出しました。最後にテレビに出たのは10月でしたが、同月の利益が6倍にもなったのです。既存店の売上が軒並みアップして、上がった分はほぼ利益になったことで、140億円の借金は1年もかからずに返せました。目標を達成したので、そこからはテレビに出るのはやめました。
なぜかというと、現場が疲弊するからです。やる前からわかっていたことですが、テレビで放映されると、お客さまがどっと押し寄せる。店は大混乱です。負担が急増した結果、スタッフが辞めていってしまっては元も子もありません。ゴールデンタイムのテレビに出たおかげで、知名度が全国区になったのはありがたいことでしたが、やはり本来、むやみに使ってはいけない手だと思うのです。
しかし、このときはカンフル剤として期間限定でやるぞ、と決めてやりました。3回ほどテレビに出て、借金を返して、それでおしまいです。サイゼリヤはふだんテレビCMを一切やっていないので、テレビに出るとものすごく効くのですが、それ以降、原則的にテレビ出演は封印しています。
写真はイメージです AFLO
私が少しでも早く借金を返したいと考えたのには理由があります。社長就任の記者会見で、「理念以外は全部変えます」と大見得を切っていたからです。新たに会長に就任した正垣さんはそれを聞いて横で笑っていましたが、私は本気でした。それが、創業家出身ではない雇われ二代目社長の務めだと思っていたのです。
もちろん、サイゼリヤのいいところはそのまま残すつもりです。しかし、急成長で足元がグラグラになっていました。いままでは見様見真似の技能の継承でなんとか成り立ってきたかもしれませんが、これだけ大所帯になると、もっとしっかりとした土台が必要です。サイゼリヤが「奇跡の会社」であり続けるためのインフラ整備。これが私に課された課題だと思っていました。
サイゼリヤの人たちはみな店で働いた経験があり、そこに誇りをもっています。経営陣も同じです。ところが、100店を見る立場にあったとはいえ、プロパーではない私は、店舗でオペレーションをしたことはありません。そういう人間が社長になることは、みんな不安に思うはずです。そういう不安を解消し、心を落ち着かせるためにも、自分たちはここを目指すんだという目標を先に示さないとダメだろうと考えました。
私が引き継いだ時点の店舗数はおよそ800店。国内1000店というのは昔からあった目標であり、まもなく達成されるというタイミングでした。では、次に何を目指すのか。会社をひとつにまとめるためにも、新たな目標が必要です。
チェーンストア理論では、ビジョンというのは一見、不可能に思えるような数字を出しなさい、とされています。簡単には達成できない目標だからこそ、時間はかかっても取り組む価値が出てきて、それがみんなのロマンになっていく。そう聞いていたので、とにかく桁違いの数字を持ってこようといろいろ考えた結果、最初に出てきたのが利益1500億円という目標でした。
1500億円の利益を出すためには、売上が1兆円は必要です。外食産業で売上1兆円を達成した企業はなかったので、それを目標に掲げたのです。
しかし、正垣会長がこれを嫌がっているのはわかっていました。「カネか、おまえは」というわけです。たしかに利益が目標では直感的にわかりにくいし、社員の心に響かない。それで、店で働いている人たちにもイメージしやすい数字にしようということで、最終的に客数を目標にすることにしました。
当時の年間客数は1億1000万人くらいで、まもなく日本の総人口(当時)を超えるというタイミングでした。次のステップとしてふさわしいのは何かと考えて、世界一の人口を誇る中国の人口にしようと。それで2025年に客数14億人を目指すという長期計画を立てたのです。

(コロナ禍による外食自粛などもあって、私が社長を退任した時点でその目標に届かせることはできませんでしたが……)
ともあれ、長期計画が指し示すのは到達点です。飛行機でいえば目的地。目的地を途中で変更してはいけません。飛行機が別のところに到着したら大パニックです。高くて遠い目標を掲げるのは、簡単には変えられないからです。
一方、中期計画というのは5年単位で回していきます。中期計画は一度つくっておしまいではなく、毎年軌道修正をはかります。これも飛行機のフライトと同じです。目的地(長期目標)は変えなくても、毎回の飛行ルートは、天候や風向き、紛争リスクなどさまざまな要素が絡み合って、つねに軌道修正しています。5年ごとの中期計画が硬直化したままだと、事業環境の変化に対応できないため、ここは毎年見直します。
さらに、目の前の課題を解決していくための具体的なプランが年次計画です。この三本立てをうまく使い分けながら経営していくわけです。
(堀埜 一成/Webオリジナル(外部転載))