春になったら花見や行楽、歓送迎会を心置きなく楽しめると浮き立つ気持ちでいる人も多いだろう。その一方で、どうしても飲み会、とくに会社の飲み会が嫌で暗い気分になるのを隠せないという人も。飲酒を強要し、飲めない人への配慮をせず、酔って迷惑行為を働く、アルコール・ハラスメントの季節が復活しそうな気配だからだ。人々の生活と社会の変化を記録する作家の日野百草氏が、いまも続くアルハラについて取り上げる。
【写真】一気飲み
* * *「酒の飲めない奴は人権がないって感じです。一人や二人が強要するならともかく部署というか、組織全体でそんな感じなんで、この時期は気が重い」
30代の地方銀行員は歓送迎会シーズン真っ只中に心底嫌そうだ。3月から4月にかけては職場、学校、地域の団体などで歓送迎会やお花見、年度末や新年度をきっかけとした「飲み会」が催される。
飲み会、好きな人はいいが、好きでない人もいる。飲めない人もいる。しかしそれでも出なければならない事情がある。いわゆる「コミュ障」や人嫌いはもちろん、もっともやっかいとされるのが「飲酒の強要」、その名もアルコール・ハラスメント(アルハラ)である。厚生労働省にも、
〈日本においては、飲酒による暴言・暴力やセクハラなどの迷惑行為は「アルハラ」と呼ばれており、この「アルハラ」は家庭内だけでなく、社会や職場にも広がっています。2003年の全国調査によると、このような「アルハラ」を受けた成人は3000万人にも達しており、そのうち1400万人はその後の生き方や考え方に影響があったと回答しています〉※『飲酒と暴力』厚生労働省、e-ヘルスネット
〈場の盛り上がりや上下関係による心理的な飲酒の強要「アルハラ」がある場合が多く、注意が必要です〉※『イッキ飲みは死を招く』厚生労働省、アルコール関連問題啓発リーフレット
とある。直近でも3月26日、福井県越前市役所の50代課長が2021年から2023年にかけて部下に飲み会代を払わせる、体をつねるなどの行為を繰り返していたとして懲戒処分を受けた。また2月29日には神奈川県横須賀市役所の30代係長が飲み会の帰りに複数の女性職員に対して同意なく手を握る、体を触る、キスをするなどの行為を繰り返していたとして同じく懲戒処分を受けている。こうした行為が令和の世にも普通に存在する。
「公務員だけじゃないですよ、うちだってコンプライアンスとかうるさい金融機関なのにお酒にだけはゆるい。いろいろ訴えても土地柄、酒が飲めて当たり前という地域ですから、地域全体が『酒くらい飲め、男だろ』という感じです。言い方が悪いかもしれませんが、宴会のできなかったコロナ禍のほうがよかった」(前出の地方銀行員)
そうでない節度ある人も当然いるだろうが、まあ日本、とくに地方(筆者の父方の故郷である九州など)はとくに酒に甘いとされる。昭和の時代は飲酒運転だって祭りや盆暮れともなれば「普通」だった。
「いまだって地方はそんなもんです。うちの田舎の支店なんか酒が飲めなきゃ人権がない状態です。そもそも地域の自営業とかのお客さん方がそうなんですから。地元消防団なんかいまでも一気飲み競争で潰すのが当たり前、令和でも見えないところでそんな状態です」
お酒の飲めない、飲めてもそういう飲み方をしたくない、酒は好きだが会社の飲み会は勘弁という方々にとっては最悪だろう。「一気飲み」に至ってはそもそも健康問題もあるし、死亡事故につながる危険性もある。実際にこれまで死亡事故があり、毎年報じられているがなくなる気配がない。
一気飲みが爆発的に流行したのは1980年代とされる(イッキ飲み防止連絡協議会調べ)。〈飲めぬ下戸にはヤキ入れて〉という秋元康作詞、とんねるずが歌った『一気!』という曲が流行ったころである(1984年)。双方の因果関係はともかく、そういう時代だったことは事実であり、いまも形を変えて日本各地で続いている。
当時、1991年には朝日新聞に〈強制的に飲ませて、苦しむ姿を楽しんだり、酒に強いことが人間の優秀性、豪傑性を示すとするような錯覚が、若い人たちに広がっています〉と警鐘を鳴らす読者投稿が載った。投稿者は塩川正十郎、のちに小泉内閣時代に「塩爺」と呼ばれ愛された国会議員が、社会問題となっていた一気飲みによる死亡事故を憂いて一市民として筆をとった。それでも一向に無くならない。
千葉県の元甲子園球児、同県の大学でも野球部に所属した40代会社員も語る。
「部活に酒は当たり前でした。ええ、高校生だからだめですよ。でも私らの時代は子どもでも酒が買えたし、まあ地域全体が「酒くらい」という時代でしたからね。正月とか「飲んでみろや」で面白がる親戚のおじさんとか普通にいた時代です。野球部でも先輩は当たり前に飲んでました」
しかし実のところこうした事例、令和の現代でも部活動やサークルなどに現在進行系の話である。
直近では東海大学野球部、関西大学アメフト部、神戸大学バドミントンサークル、花咲徳栄高校野球部、新湊高校野球部と未成年飲酒や強要、それに伴う暴力行為、破壊行為などの不祥事が明るみとなっている。というか、こちらも毎年珍しくもなく日本全国で行われている。むしろSNSによって広まる状況にある。
実際、花咲徳栄はインスタグラムにアップした宴会動画で露見した。プロ野球でも昨年、ソフトバンクホークスの未成年選手2名がインスタのライブ配信で発覚した。
「高校は言語道断ですが、大学やプロ野球は未成年と成人が混在しますからね、誕生日を把握して、とかまあないですね、大学入ったらよーいドンで飲み会、これは野球部に限らず大学全体がそうじゃないですか」
確かに、都内でも新歓シーズンとなるとものすごい数の学生が酒を飲み、集団で羽目を外す光景が見られる。各大学側も表向きは「飲酒に関する基本ルール」など掲げているが、現実はおおよそ守っていないように思う。これも土地柄、学生街は飲酒や羽目外しには甘い。学生さんが商売相手でもある、という部分もあるのだろう。先に地方の話をしたが、日本全体でまあ、そういう空気は昭和、平成初期ほどではないがしっかり残っている。
「酒を飲むのは人それぞれですけど、やはり未成年と飲酒の強要、この二つはだめだと思うんですけどね。だめと思ってない人、現実には多いんじゃないですか」
多いから先に紹介した通り、直近でも多くの事案が発生している。まったく減るどころかずっと続いている。
「だめとわかっていても空気を読んで迎合するとか、一緒になって一気コールとか、みんな表立って言わないだけで、それぞれのコミュニティではやってることだと思うんです。勝手にすればいいという人もいるでしょうが、嫌がる人への強要もある場合が多い」
もともと「お酒は二十歳になってから」「飲酒の強要はアルハラです」は当たり前の話だが、これはもう日本文化というか、宗教上の制約のない文化であるが故と言っても構わないのだろうが、なかなか治ることがない。
ちなみに訪日外国人にとっては「好き勝手に夜でも路上で酒を飲んでも構わない国」というこのフリーダムさがウケているため、変な方向で日本の観光資源になりつつあるという報道もある。「こんなに自由に酒飲める日本最高」と新宿で外国人の集団が大騒ぎだったが、ある意味、それができるほどに治安がいい、という面もあるのだろう。
冒頭の銀行員は「酒が飲めない人には地獄ですよ」と繰り返し訴える。
「うちは実力行使で強要する人はさすがに少ないですけど、やっぱりみんなで『飲めないんだー』『空気読めよ』という感じが遠回しに伝わってくるんですよね。『まあ一杯』でやんわり拒否ると露骨に冷たい態度になる人もいます」
まさに「アルハラ」だが会社や学校が体育会気質だったりするといまだに強要の圧は凄い。ネットではそうした気質を批判する人が多いように感じるが、リアルではそうしたアルハラ気質の人たちの力が強く、実のところ本音では嫌な人も、飲めない人も我慢して「空気」を読んでいる。酒の同調圧力、かなり手強い。
「ネットで飲み会叩いても現実は違う。まあ本音と建前ですよ、みんな仕事絡みのリアルじゃそうでしょう」
実際、「飲み会はきっぱり断りましょう」「強要は違法なので労基や弁護士に相談」などネットで書かれていても、学校はともかく現実に地域や会社で徹底的に闘うかと言えば難しい。はっきり言って冒頭の彼が言うように土地柄、業界によっては絶望的に「酒の飲めない奴は鍛えてやる」「飲まない奴は仲間じゃない」で全員がアルハラ気質だったりするコミュニティもある。「酒くらいでうるさいな」がいまだ多数派なことも承知している。嫌でも空気の読む、もしくは組織の一員として、受け入れるしかない現実がある。
「その通りです。無理して飲みますけど、辛いですね」
この「空気」が結局のところ日本の問題の根底にあって、山本七平の『空気の研究』などまさにそれだろう。一部の識者はこの日本人の「空気を読む」という気質をライトに広めたのは「空気読め」のダウンタウン・松本人志だとするが、それはともかく元からあった気質というか、コロナ禍でもこの日本人の「空気を読む」が改めて注目されたが、まさに「酒」の問題もそうなのだろう。お酌も一気も「空気」を読む。
「飲み会ってそういうものなのでしょうけど、そろそろ社会全体で変えようって『空気』もあっていいように思うんですけどね。私が飲めないからという以上に危ないですし、部活だと出場停止とかになるでしょう」
学校はもちろん、先の事案のように会社や役所もアルハラだけでなくそれがパワハラやセクハラにつながりかねない。2021年の生命保険会社のアンケートでは飲み会不要派が60%を超えている。他の調査でも60%前後が「不要」と本音のところは嫌な人が多いのだろうが、それはリアルでは違う、という現実もある。
「会社だから我慢するしかないですよ。言ったって『酒飲めない奴、つまんね』でおしまいです。ほんと酒飲めない奴にはこの時期、人権ないですから、転職したって大なり小なり飲み会はあるし、声のでかい側が強いですから」
飲み会大好き側の「飲み会はみんな楽しいはず」「飲み会に出るのは団結力の証」の陰で酒が飲めずにつらい思いをしていた人がいる。飲み会に出たくない人も出ていた、そういう時代が続いてきた。飲み会を苦にしない筆者もあるいは、意識せずともその無自覚な加担者であったのかもしれない。とにかく日本、おおよそ酒に甘いことは事実だ。
時代のアップデートは飲酒にも求められるということか。4月、酒宴を嫌う人々にとっては最悪の時期がまたぞろやってきたのかもしれないが、飲み会大好き側の人々も、そういう苦手な人々もいるという「空気」も考えてみてはどうだろうか。「たかが酒」と思う人が大半かもしれないが、飲めない側や飲みたくない側に立ち、飲酒にまつわるハラスメントを改善することもまた、社会のアップデート、前に進む契機のひとつであると思う。
【プロフィール】日野百草(ひの・ひゃくそう)/日本ペンクラブ会員。出版社勤務を経て、社会問題や社会倫理のルポルタージュを手掛ける。