〈「戸田先生の遺体は腐敗しなかった」と語り継がれたが…『宗教問題』編集長が「池田大作の訃報」に感じたこと〉から続く
卓抜した人間力で日本最大の新宗教団体を築き上げた稀代の指導者・池田大作は、いかに組織を統率し、拡大させたのか。
【画像】2000年代にブレイク…退会のきっかけを明かした、元創価学会員のお笑い芸人
ここでは、専門誌『宗教問題』編集長・小川寛大氏の新刊『池田大作と創価学会』(文春新書)を一部抜粋して紹介する。カリスマ亡きあと、さまよえる創価学会の現在地とは?(全2回の2回目/最初から読む)
若き日の池田大作氏 文藝春秋
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創価学会に限らないが、実は日本の新宗教団体には、「立ち上げから間もないころは世間の無理解などもあって迫害も受けるだろうが、信者のなかに2世信者の割合が増えてくれば、組織は安定してまとまる」といった考えがかつて広く存在していた。どういうことかというと、信者家庭に生まれた2世を、キリスト教の幼児洗礼よろしく生後間もないころから入信させ、まだ頭の柔らかい子供のうちから教団の教義などの情報をシャワーのように浴びせていくことで、教義に対する知識が深く、また信仰上の情熱も非常にあつい、完璧かつ理想的な信者ができあがるというのである。
こうした完成された教団エリートを育てるため、日本の新宗教団体は自分たちの学校を熱心に設立していく。天理教の天理大学、立正佼成会の佼成学園高校、パーフェクトリバティー教団(PL教団)のPL学園高校などが、その代表例である。創価学会もまた1971年に創価大学を、池田大作を創立者として設立している。また、具体的な学校組織を持たなくとも、例えば世界平和統一家庭連合(旧統一教会)は原理研究会、生長の家は生長の家学生会全国総連合といった、一般の大学に進学した2世信者らを囲い込んでまとめる学生組織の設立、運営に注力した。
だが、結果としてはその目論見はもろくも崩れ去った。2022年7月、旧統一教会の信者家庭に育った奈良県在住の男が、元首相・安倍晋三を手製の銃で殺害した事件を契機に、世間で「宗教2世問題」が広く認知されたのだ。この男は、母親が旧統一教会に過剰な献金をするなどして家庭が崩壊したことから、教団を恨み、安倍が教団と近い存在だと思い込んだ末に事件を起こすに至ったと、一般に報道されている。無論、このような事件まで起こす例は極端としか言いようがない。しかし、単に何かの新宗教を信じる家庭に生まれたから、その子供は熱心な信者になるだろうといった考えは、実際にはかなり虫のいい希望的観測だったことを示した事件ではあった。
そもそも当の2世自身にとってみれば、生まれた直後から、自分で選んだわけでもない宗教に無理矢理入信させられるわけである。教団の教義で純粋培養するといっても、今の日本のような自由民主主義社会においては、山奥に監禁して育てるわけにもいかない。テレビも見ればインターネットもするし、近所の子供たちとも遊ぶ。ある程度自由に情報の選択ができる社会のなかで育つ過程において、2世としても「自分の家庭は一般社会とは何か違う」ということに気付き、親たちとは違って、教団を客観視する目が養われてくる。そこに親が無理矢理に矯正を加えようとすると、かえって2世は教団を恨むようにすらなる。
安倍殺害後に注目されるようになった「宗教2世問題」とは、まさにそういった人権問題である。これが社会問題になること自体が、多くの宗教団体において「理想的教団エリートとしての2世育成」がうまくいっていないことの表れだろう。
長井秀和という人物がいる。2000年代前半に「間違いないっ!」というギャグで有名になったお笑い芸人だ。長井は創価学会の会員家庭に生まれた2世会員で、創価学会の教育機関である創価大学を卒業している。しかし、彼は学会側が望んだようなエリート2世にはまったくならなかった。例えばテレビの電波に乗らないお笑いライブの場などでは、露骨に池田大作や創価学会を茶化す話芸を行う芸人として、一部で有名だった。
そんな彼は2012年に創価学会を脱会した。また2022年の東京都・西東京市議会議員選挙に出馬して市議会議員となり、現在ではカルト宗教、宗教2世問題に取り組む政治家として活動している。

なぜ長井は創価学会を2012年というタイミングでやめたのか。それはその前年に起こった東日本大震災が一つのきっかけだったと、彼は季刊『宗教問題』40号の取材に応じて、以下のように語っている。
〈 ああいった大きな災害に対して、創価学会はもちろん『弱い人たちを助ける』というスタンスを表向きは取るんですけど、実際に被災者の助けになることがどれほどできたかといえば、なんとも心もとなかった。このときに、創価学会という組織にも池田大作という人にも失望を深めたことが、退会の決断に影響しています。

(古川琢也「『間違いないっ!』の長井秀和が創価学会をやめて選挙に挑む理由」)〉
まさに創価学会に近い立ち位置にいるからこそ、その実態に気づき、教団に失望する場合もあるといった例である。
また、このように創価学会に批判的、敵対的な姿勢にはならずとも、無関心、不熱心といった態度で過ごす2世、3世となると、さらに多くいる。
1974年生まれの創価学会3世会員で、『創価学会員物語』の著書がある清水敏久は、季刊『宗教問題』28号に寄稿した「“ごく普通の創価学会員”が語る創価学会の衰退とその可能性」のなかで、次のように書いている。
〈「今度の選挙では公明党に投票してくれるんでしょうね」
「俺はもう大人なんだよ、お母さん。どこに投票するかは自分で決めるよ。自民党だろうが共産党だろうが俺の自由じゃないか」
「そんなこと言わないでちょうだい。バチが当たるから」
成人して以後、何度もくり返された会話だ。〉
清水は、創価学会に対する熱心な信仰心を持つ母親(故人)に辟易してきた過去をこう語るのだが、自身は創価学会を脱会してはおらず、両親の年忌法要のために、地域の創価学会の会館に通う程度のことはしているという。しかし、同時に清水は自身の信仰心について、「日常において自分が創価学会員であると意識することはあまりない」とし、そうした自分のような創価学会員こそを、「どこにでもいそうな普通の創価学会員」と規定するのである。
つまり、こうした清水のような、「日々活発に活動するわけでもない創価学会員」(学会内部では「不活会員」「末活会員」などと呼ばれる)が、特に2世、3世会員の間では多数派でさえあるのが現状だ。
創価学会以外に目を転じても、例えば天理教を運営母体とする天理教校学園高等学校は2023年に閉校している。またPL教団が母体のPL学園高校では、甲子園優勝経験もある有名野球部が2016年に休部となった。2022年度の在校生は3学年全体でわずか75人で、ほとんど存亡の危機に近い状態に追い込まれている。これらは個々の背景事情もあるにせよ、多くの2世信者たちが教団の教えをまっすぐに信じて、それぞれの教育機関を理想の学び舎として深く認識している状況であれば、まず起こりえない事態だ。
このように、日本の新宗教団体における親子間の信仰継承は、どの団体でも到底うまくいっているとは言いがたい。そして同様に、創価学会からも、若い活力が奪われているのである。
(文中一部敬称略)
(小川 寛大/文春新書)