能登半島地震で、石川県穴水町の会社員中島俊博さん(38)は、同居する両親と妹、妹の息子の4人を失った。
家族5人で出掛けた正月の初詣から戻り、自宅でくつろいでいた時、激しい揺れで裏山が崩れた。笑顔の絶えない家族で、誰が亡くなっても笑って送り出すと約束していたが、できなかった。がれきの中から見つけた妹のスマートフォンに残る初詣の家族写真も見返せない。(秋野誠、写真も)
中島さんは地震後、以前の勤務先の上司宅に身を寄せながら、町内の避難所を回って支援物資を届ける活動を続けている。「やっている間は集中できる」と、悲しみを押し殺す。
あの日は、穏やかな正月だった。5人は午後3時半頃に帰宅。1階の居間などで父博さん(67)と母國子さん(65)はゆっくりテレビを見て、妹の高田美穂さん(34)と、妹の一人息子の羚善(れい)君(10)は好きな動画を楽しんでいた。中島さんは「ちょっと休むわ」と2階へ。直後に地震が起きた。
中島さんが部屋を出ると、あるはずの階段がなかった。土砂が自宅に流れ込み、押し流されて家に突き刺さったカーポートの屋根が目の前に。屋根をつたって外に逃れると1階は潰れていた。
必死に土砂をかき分け、4人の名前を叫び続けた。「俊、だめや。危ないから逃げろ」。余震でさらに崩れる恐れがあると近所の人に説得され、近くの高校へ避難。美穂さんのスマホに何度電話しても、つながらなかった。
翌日、土砂の中から美穂さんが見つかった。5日に國子さん、6日には羚善君と博さんが発見された。羚善君の顔はきれいだった。博さんが体を丸めてかばっていた。中島さんはむせび泣き、4人に「ごめん」としか言えなかった。
◎ 旅行、誕生日祝い、クリスマス――。いつも家族一緒だった。年末にその年に撮りためた中から「今年のベストショット」を家族全員で決めるのが恒例行事。昨年は全員で仮装したハロウィーンの写真に決まった。
中島家には決めごとがあった。ある時、誰ともなしに「葬式で泣くのやめん?」と言い出した。博さんが「俺が先に逝くし、中島家は最後まで笑っとらんとだめや」と言うと、家族が「せやね。それでいこう」と。「そういう人が長生きするねんてなぁ」と笑い合った。
地震から10日後の火葬の時、中島さんはその記憶を思い出した。遺骨を入れた骨つぼは抱えると温かく、人のぬくもりに感じられた。「ここにまだおるんかな」。一人きりになったことを突きつけられ、涙が止まらなかった。
◎ 中島さんは今後、声をかけてくれた美穂さんの勤務先のクリニックで働くつもりだ。「支援活動はどこかで区切りをつけ、今の自分をなんとかせんならんなって」。自身を奮い立たせるが、家族がいなくなったことを受け止められない自分もいる。
「どこかでふと会えるかな」「みんな家に帰ってるんかな」。崩れた自宅に行くたびに思う。美穂さんのスマホを見つけた時、写真フォルダーから初詣の写真が目に飛び込んできたが、見ていられなかった。今年行くと約束をしていた沖縄旅行は果たされないまま。昨年、どこにいくか話し合い、みんな楽しみにしていた。「ただ会いたい。会えたらきっと……、言葉にならないです」