爆破事件を引き起こした新左翼過激派のメンバー、桐島聡さんが、約50年の逃亡・潜伏生活の果てに搬送先の病院で70歳の生涯を閉じたニュース、界隈では衝撃をもって迎えられました。「えっ、生きていたどころか、50年近くも国内で潜伏して普通に暮らしてたの?」という。
【画像】桐島容疑者が事件当時住んでいたアパートを見る(1975年撮影)
桐島さんへの直接の嫌疑では死亡事件の直接の関与はないものの、所属していた「東アジア反日武装戦線」では連続企業爆破事件の容疑者の一人として全国に指名手配され、やらかしたテロの重さとは似つかわしくない穏やかな笑顔と黒縁眼鏡の風貌が多くの日本人の印象に残っていることでしょう。
時事通信社
そして、末期の胃がんで死期を悟った桐島聡さんが、搬送先の鎌倉市の病院で「私が桐島聡です」と自供したため、足取りを掴めていなかった公安当局も唖然とするような展開となったのであります。というのも、桐島聡さんの所属先からは「海外逃亡している」という有力な情報がすでにあったことから、素直に国内にいないものと考えていたところ、まさかのご近所神奈川県藤沢市の工務店に少なくとも二十数年以上勤務していたことが分かって当局大失態であります。下手すると、44年いたことになります。なんだそれは。
すでに周辺取材を済ませた報道は多数ありますが、住んでいたアパートは工務店によって法人契約で社宅扱いで借り上げられていたと見られ、また、近所の繁華街に1人で頻繁に出没しては飲んだり歌ったりと享楽的で明るい一面を持っていたようです。他方で、長年住んでいたアパートに移り住むまでに騒音問題なども起こす一方、周辺賃料の相場で見ると風呂・トイレ無しの古い6畳弱のアパートの家賃は月額3万5000円から4万円ほど。当該市からは生活保護世帯の住宅扶助支給物件とされていたことから考えると、金銭的にはかなり厳しい生活を長年に渡って送っていたものと見られます。
指名手配をされ潜伏生活を強いられてまともな仕事を得ることができない桐島聡さんは、自称「内田洋(ウチダヒロシ)」として、いつ逮捕されるか分からない恐怖に怯えながらなかなかしんどい人生を送らなければならなかったのではないかとも思います。
他方、鹿島建設爆破事件(1974年)などのテロ事件の共謀・実行の事案で見るならば、当時21歳の若者に過ぎなかった桐島聡さんが果たした役割は限定的であることを鑑みて逮捕起訴されたとしても実刑15年程度で出てこられたのではないかとも見られています。
そもそもが、戦争中に日本に強制連行された中国人が悲惨な労働環境に耐えかねて蜂起し400人以上が亡くなった花岡事件(1945年)を理由に鹿島建設への爆破を仕掛けたことが背景にありますが、他の事件も含めて桐島聡さんが起こした事故で直接亡くなった方はおられません。そうであるならば、30代後半にはシャバに出られて一般の国民として暮らしていけたはずの桐島聡さんからすれば、人生の最後まで不自由であまり裕福ではない暮らしを強いられてきたのは結果的に相応の罰を「セルフ終身刑」的な形で受けたことにもなります。
さらに、桐島聡さんが勤務していた工務店関係者によれば、働いていたウチダヒロシさんがテロリストとして指名手配されている問題人物であったとは20年以上仕事をしていながらまったく気づいていなかったとのことで、犯行に関わる話を聞いたことも、疑わしい人物と頻繁に接触している雰囲気もなかったとのことでした。ほんまかいな。これから勤務していた工務店周りや、仕事の出先については当局も追加で状況確認的な捜査は行うでしょうから、新たな事実関係が出てくる可能性はあります。
正直、当局としては完全なる出し抜かれ、大失態という評価でもあるため、無理矢理でもなんらか工務店の容疑をでっち上げて起訴でもしようとするんじゃないかと心配になる面もあります。
ただ、現状では桐島聡さんの逃亡・潜伏生活において、過去に事件に直接関係した組織による支援や手引はこれといって無かった可能性が強いと見られます。つまり、本人も反省してか分かりませんが組織から足を洗い、接触を断ってしまっていたからこそ、警察も藤沢市周辺に桐島聡さんが潜伏しているという情報の入手ができなかった可能性が高いのです。
この工務店(というか、人足屋的な仕事がメインだったようですが)を起用した土木系のジョイントベンチャー(JV)を担当した二次請け建設会社によれば、2015年ごろに行った工事の作業員名簿に確かに「ウチダヒロシ」と思われる人物がいることが分かっています。ただし、一般的にこれらの工事に直接携わる作業員については、昨今は従事者全員の氏名を明記したうえで担当事業者ごとに土木工事保険や請負業者賠償責任保険、労働災害総合保険に加入することが義務付けられています。そうなると、偽名で架空の従業員を工務店が「昔から働いてくれていた、訳アリだけど明るいおっちゃん」として置いておくことは、未必の故意で犯人隠匿に協力したとも扱われかねません。
また、日雇いの現場においては、私ども産業廃棄物業界も特に気にしていることですが、身元不詳の人物が求職にやってくることも少なくありません。しかし、突発で多くの人員を要するような作業では現場長の独断で「よく分かんねえ奴だけどまあいいか」となりやすいのもまた事実と言えます。本当に訳の分からない奴だとスマホもまともに持っておらず、招集もかけられません。日雇いで稼いでいる人ほど、いまや仕事を得るツールであるスマホは文字通り生命線です。
ネット回線はコンビニの駐車場や駅周辺に流れてくる野良Wi-Fiでいいので、変な人はどこからどう入手したか不明なだいたい謎スマホか謎ガラケを持ってるんすよね。
で、桐島聡さんの場合は、少なくともある時期までは勤務先の工務店から謎スマホを支給されていたようですが、入院のタイミングでは携帯電話を持っていなかったと報じられています。どういうことなのでしょう。招集がかかってスマホで点呼に応じてる割に、個人で偽造の健康保険証も持っていなかったことが分かっておりますから、おそらく親切な人が社業で使う用に貸与していたのではないかと思います。
さて、今回当局対応で浮き彫りになったもう一つの問題は、どうも桐島聡さんは今回救急搬送される1年前、体調に不安があった際に、自費治療で検査し、胃がんを患っていることまでは分かっていたようだという点です。セルフ終身刑なのかなと思う理由として、おそらく経済的に厳しい生活を送ると同時に、胃がんが分かっても保険治療を受けることができない状況で悲観したまま、1年ほど、末期がんとして路上に倒れて運び込まれるまで悪化してしまったという点です。
想像として考え得るのは、犯罪を犯して逃亡生活を送ってきたけれど、酒と音楽で享楽的な日々を送りながらついに身体の異変を知り、しかし治療も受けられず、徐々に悪化して働けなくなっていく中でウチダヒロシではなく桐島聡として人生来し方(こしかた)を思い返して取り返しのつかない犯罪を犯したこと、そしてもうどうにもならないことを思い悩むこともあったのではないかと思います。また、胃がんで搬送されて1週間で亡くなるほど悪化していたとするならば、悶絶するほどの疼痛がたびたび桐島聡さんを襲っていたことは想像に難くありません。
末期がんの人を雇用した経験がひとかたならずありますが、正直、末期の人は働けないほどしんどい状況になります。桐島聡さんは、働けなくなった半年か一年かぐらいは、どうやって食いつないでいたのでしょう。

結果的に、同僚に付き添われて藤沢市ではなく鎌倉市の、病院のポリシーとして困った人は必ず受け入れるという理念を掲げている総合病院に救急搬送されて入院しています。当然担ぎ込まれて入院した当初は健康保険証の提示もされておらず無保険です。が、本人は末期がんで精神混濁の状態ですから、医療行政的にも本人確認義務は身寄りか勤務先、これが無理なら居住しているアパートの大家(所有者)に生じます。少なくとも、元の組織からの支援もなく逃亡していたことを考えると、ほとんどの逃亡期間は無保険であったことはもちろん、身分証明できるものは何一つ持っていなかったことになります。
医療行政の観点からするならば、身元不明者の入院においては、本人確認がむつかしい場合は行旅病人及行旅死亡人取扱法という古い法律に基づいて、病院が所在する自治体で仮の戸籍を発行して本人の意思が回復するまで治療費や入院費を代位弁済することになります。
行旅病人及行旅死亡人取扱法https://elaws.e-gov.go.jp/document?lawid=132AC0000000093_20230616_505AC00000000
ところが、病院が応召義務を拒否できる理由について、例えば暴力団排除条例(暴排条例)で反社会的勢力の皆さんの診療を断ることはあっても、合理的な理由で「テロリストとして指名手配されていたから」というのは含まれていません。認知症で正常な意思疎通に問題があるケースなどは頻出する一方で、非常にレアケースだと思うのですが末期がんで担ぎ込まれてきた人がテロリストの桐島聡ですと病院関係者に自供されてもみんな困惑しただろうなあというのは胸に来るものがあります。あんまりないよねそういうの。
結果的に、桐島聡ですと自供したにもかかわらず、本人確認のためのDNA鑑定は桐島聡さんの親族から拒否されたようですので、彼はあくまで「自称・桐島」としてその生涯を閉じ、長い時間の裏付け捜査を当局の宿題として残し幕を下ろすことになります。
今後、この手の話が医療行政で問題視されることが増えるだろうと思うのは、テロリストが救急に担ぎ込まれてみんな呆然とすることではなく、身元不詳の独居老人が救急で運ばれてくることが増えることです。そうなれば、行政手続き上、類似の事案がどんどん出てきたとき自治体と受け入れ病院側で負担が増えていくでしょう。
今回の事件で医療方面がかなりザワザワしているのも、言われてみればそういうことも起きる世の中になるよなという認識が持たれたからに他なりません。
確かに桐島聡さんは行きがかり上、若かりし頃のやらかしで悲惨な事件を起こした責任を自ら背負う形で厳しい人生を送りましたが、特段犯罪を犯したわけでもないのにまともな生活を送ることができず生涯独身のまま孤独な死を迎える日本人にとっては他人事ではないぞということです。
そして、マイナンバーカードによる健康保険証(マイナ保険証)の是非も出てくるかと思うのですが、これは紙の保険証を桐島聡さんが使ったのではないかと問題視するのではなく、まっとうに暮らす国民として偽造されることの少ない身元保証の仕組みがしっかりあることでこのような問題から自分の身を守ることができる、というのは大事なことです。
駆けつけた捜査員には「後悔している」と供述していたらしい桐島聡さんの魂に平穏あれかしと祈りたく思いますが、事件を起こした後、組織とほとんど接触することなく新たな事件を起こさず静かに人生の幕を閉じたのであれば、私たちは彼の生きた歴史から何を学ぶべきなのでしょうか。
(山本 一郎)